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3.恋の化石

「ランさん! 探したんですよ!」


 晴嵐が作業場に戻ると、唯一の女性従業員である千世(ちよ)がおかんむりだった。


 一応は十二時から一時間と定められている昼休憩だが、戻って来た時刻を見る限り晴嵐は三十分遅刻だ。ちなみに開始も定時より三十分早く出たので、計一時間サボっていたことになる。


 勤務時間も九時から五時とこれも一応は決められている。

 しかし、代表であり師匠である父・晴男の考えもあって、職人の作業には裁量労働制がとられているため、遅刻早退、中抜けには寛容だ。その代わりに朝早くから、または夜遅くまで作業を続ける場合もある。


 もっとも、自由と言っても事前告知は必要なのだが、晴嵐はそこは息子であることを傘にきて、その辺りを無断で勝手にしがちだった。

 そもそも近くにサボれるような遊び場があるわけでもなく、普段なら仕事中に不在になると言っても村人の用事で借りだされる時ばかりだ。


「もー、どこ行ってたんですか!」」


 千世は三滝工房で一番若い職人で二十五歳。関東の芸術大学卒業後、専攻していた銀細工を学ぶために白銀村にやってきた。三年になる。


「メシ」


「えぇ!? ランチしに行くなんてズルい! どこに!?」


 百五十センチ前半の身長しかない千世は、体に似合わない威勢の良さで、晴嵐の後を追いかける。

 晴嵐は出るときに脱ぎ捨てて行った作務衣に袖を通しながら、「ランチか」と自虐的に繰り返した。


「道の駅だべ」


「なーんだ」


 場所を聞いたとたんに、千世は留飲を下げた。


「でもわざわざ? 誰と? 何も言わずにいなくなるのはやめてくださいってば。それはそうと、新しい材料、届きましたよ! デザインできてるんですよね。明日から作業入りますか?」


「……そうだべな」


 作業場の定位置に胡坐をかいて座る。

 午前中に作りかけていた銀糸が途中で放置されている。それを手を取りかけて、またすぐ放り出した。作業を再開することなく、頭を掻く。


「……ランさん? どうしました? モチベ、上がらないんですか?」


 千世が横から、先ほどとはトーンを落とした声色でたずねてくる。


「……いや、なんもね」


 天井を仰いでいた顔を正面に戻して、晴嵐は手元の一ミリに満たない銀の糸に目を凝らした。



「ごはん、でぎだよー」


 母のつる子が工房に顔を出す。

 一応の定時である五時はとっくに過ぎていたが、まだみんな作業をやめてはいなかった。


 工房には現在、父晴雄の他に晴嵐を入れて四人の従業員がいる。

 晴嵐はこの道に入って十六年目になるので、歴としては一番古いが、年長には晴嵐より八歳上の杉林という男がいる。地元白銀村の人間で、一度は村を出て会社勤めしていたが、銀細工職人になるため村に戻って来た。ちょうど十五年前、職人としての経験は晴嵐と一年しか違わない。


 二人目は戸田という男で、銀線細工に興味を持ち、今から七年前に晴雄に弟子入りした今年二十八歳。もともとはシルバーアクセサリーを作っていたらしい。


 そして、紅一点の千世。


 杉林は白銀の自宅から通い、戸田と千世は住み込みだ。

 その二人のために食事の面倒を見るのがつる子の仕事だった。

 ただし、二人の部屋がある離れには台所もあるので、自炊してもかまわないし、町に出てパンや弁当を買ってきた日は部屋でそれを食べても構わない。

 食べたいときに食べたい人だけが食べるという従業員にやさしいまかないだ。


 晴嵐はこの日の夕食を断わっていなかったので、工房の続きの休憩室には三人分が用意されていた。

 

 しくじった、と晴嵐は思った。

 ただの母なら用意があっても「メシいらね」で通用するところだが、建前は「おかみさん」なので、他の従業員の手前、大きなルール違反や勝手な事はむしろ許されない。大目に見てもらえているのは、仕事中にフラフラしていても怒られないことだけだ。


 ちなみに今日の昼食は、母屋の台所を覗いて、もう作りかけていたつる子に「俺いらねわ」とだけ言い捨てて出かけたのだが。


 晴嵐は母屋で食べることもあるが、戸田か千世のどちらか一人でも休憩室で食事をすると言う時は、残って一緒に食べる。

 杉林は「ちょうどキリがいいので」と言って、さっきのタイミングで帰ったが、あまり慣れ合わない気難しい性格であるのと、自宅通いであることを理由に残業の時以外は夕食は不要だ。


「そういえば、ランさん」


 茶碗から白飯をかき込みながら、戸田が思い出したように、顔を上げた。


「宅配さんが、吾郎さんとこに荷物届いてるって伝えといてって言ってました。今日配達に来た時、ランさんいなかったから」


 千世が口をもぐもぐさせ、

「吾郎さん家、最近よく荷物届きますね。足が不自由になったから、いろいろ便利グッズでも買ってんのかな」


「娘さんからみたいだったよ」


「そうなんだ。結婚されて東京におられるんでしたっけ?」


 偶然か必然か。今まで話題にのぼったこともない田部家の、さらには春鹿の話になり、千世に話を振られて、晴嵐は喉を詰まらせた。


「そ、春鹿さんって言うんだよ」


 他意もなく戸田が代わりに答える。


「猟師さんの子どもにピッタリの名前ですね!」


「それが、村とかマタギとか結びつかない感じの都会の美人って感じで。って俺も一瞬しか見たことないけど。ランさん、同級生なんでしたっけ?」


「ん、まあ……」


「遠くて帰れないけど、ド田舎に住む足が不自由なお父さんのために……って、なんかアマプラのCMにありそうな話だな。親孝行イズ、プライスレス、なんちゃって」


 戸田と千世が盛り上がっている。


「吾郎さん、農協の仕事続いてるみたいでよかったです」


「もう山には入れないんですかねぇ? 吾郎さんの獲ったイノシシ、最高にウマかったのになぁ」


「ランさん? どうしたんですか? なんか口数少なくありません? 昼からもなんか静かだったし」


 千世が俯き加減だった晴嵐の顔をのぞき込んでくる。


「や、べづに。いづもと変わらねよ」


「いやいや、確かになんか暗いっすよ」


「……んじゃ、今夜ははやぐ寝る」


「うんうん、その方がいいっすよー。明日は忙しくなるし」


 晴嵐は食器を重ねて、立ち上がった。

 自分の使った食器は自分で洗って伏せておくのがルールだが、晴嵐の場合は母屋のシンクの洗い桶につけておけばいい。


「お疲れ様ですー」


 千世の声に見送られて、休憩室を出ようとしたとき、「あ、ランさん」と戸田に呼び止められた。


「土曜日、俺飲みに行きたいんすけど、ランさん、千世ちゃん、予定どんな感じっすか?」


「私、市内に行こうと思ってる」


「だったら、行きは乗せて行くからさ、帰りは車乗って帰ってよ」


「戸田くんは帰りはどうすんの? カラオケでオール?」


「んー。ランさんか千世ちゃんが迎えに来てくれるなら帰るけど」


 三滝家に車は三台あるが、職人に使えるのは軽トラかつる子の軽自動車だ。

 休みの日はみんなで調整し合いながら、用事や遊びに出かける。


「どうしよっかなー。戸田くんの帰る時間にもよるなー。あ、それかランさん、私たちも市内に飲みにいきません? 私、ノンアルで運転手しますから」


「んー。考えどぐ」


「えっ、どうしたんですか? いつもなら即答じゃないですか。用事あるんすか?」


「浦谷の車屋いぐがもしれんし、他にもいろいろあるがも」


「浦谷さんとこ? 車、買うんすか?」


 戸田が顔を輝かせたのを、「いや、ちょっと、人に頼まれでて」と濁して、晴嵐はやっと工房を出た。


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