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銀に白鹿、春嵐  作者: 佐久間マリ
後日談
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白銀村、雪(6)

 白銀村、朝六時。

 ビデオ通話のアプリを立ち上げる。


「おはよ」


『はよ』


 朝の挨拶だが、画面の向こうの窓の外は真っ暗だ。A国、夜の九時。

 画面の中の晴嵐は一回り細くなった。A国の食事が合わないらしい。


『体はどうだ?』


「最近すごく動くの。動くとお腹の形が変わるんだよ」


『へえ、見てみでなぁ』


「うーん。今は全然だわ。寝てるっぽい」


『そっちはもう寒いべ』


「うん、あったかくしてるよ。今日は中学校に出張銀細工授業だよ」


『千世さ行っでくれるのか』


「うん、若いお姉さん先生でとっても好評」


 晴嵐が旅立って数か月。

 白銀村は、すでに吐く息の白い季節になっている。


 春鹿はまだ実家に吾郎と住んでいて、毎朝七時半に三滝工房へ《《出勤》》する。工房の経理と雑務をつる子と千世から教わっているところだ。

 職人たちが来る前に掃除を終わらせてから、改築中の離れの進捗を確認し、大工や仕事師の茶菓子の用意をする。そんな毎日の繰り返し。


『昨日、病院だったべ』


「うん、順調だって」


 今回は杉林に定期的な妊婦健診のため病院まで送ってもらった。

 待合室まで付き添ってくれたのはいいが、「こちらがお子さんのお父さんですか」と間違われたことは晴嵐には黙っておく。


『俺はバースプリパレーションさ行っで来た。出産準備の、日本で言う両親学級っでやつ』


「へえ、お国が違ってもそんなのあるんだ?」


『あっだ。調べた。俺だけパートナーいねぐて一人』


「ウケる。一人で何してんだって思われてただろうね」


『パートナーの腹の大きさがわがらねっで言ったら、知り合いがバランスボールさ、くれだ』


「さすがにそこまで大きくないよ」


『帰っだらいろいろ手伝うがら』


「頼りにしてる。そういえば、昨日ね、園子さんが玉子持って白銀まで来てくれてさ」


『妊婦に玉子ていつの時代の話だべ』


「今年は、もみの木バイト無理だねーって」


『さすがにな』


「裏のばあちゃんの干し柿用の柿の皮むき、手伝ったよ」


「そうか」


 晴嵐は優しい顔で笑う。


 春鹿は、一人でもそれなりに村でコミュニティをつくることに成功しつつある。

 嫌味っぽいことや人権を侵害するような言われることもあるが、意地悪というよりはただの本音でそれが零れたという感じで、閉鎖的な地域性と封建的な歴史を鑑みれば、昔からの常識が今風に改まらないのは仕方のないことだ。


 運動がてら村を散歩することで、畑や田んぼで仕事をしている人に声をかけたり、かけられたりする機会が増えた。妊婦という立場はよいきっかけだ。

 村の年寄りは、ある年齢を過ぎるともう世俗的なもろもろを忘れてしまうのか、単純に子どもの誕生を楽しみにしてくれている。

 心を開いて歩み寄れば、似たものが返ってくることを学んだ次第だ。


 このタイミングでの晴嵐の不在は、結果的によかったのかもしれないと思っている。  


『俺は明日サッカーの試合見に行ぐ』


「わ、いいな!」


 晴嵐には限りある時間だ。毎日忙しそうで充実もしているようだ。

 仕事の傍ら美術学校に通い、友人もできたらしく、休みの日は郊外や国外にまで出かけている。

 勝手な本音を言えば、寂しいと思うことはある。けれど、それ以上に晴嵐が外で学ぶ姿をみられる喜びは大きい。


『離れさどうだ?』


「すごくいい感じ。この前は、壁を工房のみんなで塗ったの。自分たちでやるとかなり安く上がるっていうから」


『なんだべ、えらぐ楽しそうだな』


「たのしかったよ! さすがに千世ちゃん、超うまかったよ」


 春鹿はひとりでも十分楽しくやれていた。

 戸田、千世、杉林、三滝の両親、六ツ美もしょっちゅう白銀に帰って来てくれる。みんなのおかげだ。

 寂しい限界集落では人間関係にこそ助けられる。本当に実感する。密だが、もう今は嫌ではない。


『こっぢももうすぐ雪さ降るらしい』


「こっちはまだっぽいね」


「早ぐ会いでな」


「……うん」


 白銀村の初雪は、去年より三日遅かった。




 晴嵐の帰国は思っていたより早くなった。

 出産予定日の二週間前、成田に到着した晴嵐が新幹線で帰ってくるというその日、白銀村は大雪に見舞われた。

 夕方前から急に降りだした雪はみるみる積もり、車で迎えに行くのは困難だと判断される。


「まあ、春鹿ぢゃんの予定日は幸いまだ先だべ。一日や二日、晴嵐が帰ってぐる日が遅ぐなっでも別に問題ねえべ」


 人が集まれるようにと、広く大きく設計してもらったリビングの窓から空を見上げて杉林が言う。


 晴嵐の帰国を祝う予定でみんな集まり、宴会の準備中だったが、天気のせいで晴嵐は市内のホテルで一泊する話に落ち着いた。

 明朝、除雪車が来てから迎えに戸田に行ってもらうと。


 白銀村とは思えないロッジ風の木を基調とした室内に、白熱灯の色は寒々しさは一切なく、目にも暖かい。

 離れの改築は突貫工事で、晴嵐の帰国までにどうにか住めるところまでは仕上げてもらった。インテリアは千世と相談しながら決めているところだ。テーブルだけは今日のために届けてもらったが、まだカーテンもなく、がらんとしている。


「赤ちゃん、男の子だから。ランさんが帰ってこられないように雪降らせたんじゃないですか? パパなのにすでにライバル視」


「そんなの知ったら、パパ泣くよー? 戸田君、どうかした?」


 春鹿は腹を撫でながら笑ったが、神妙な顔をしている男に声をかけた。

 さっきから、スマホを握りしめて、口数も少ない。


「実は……」


「どうすた?」


「白銀地区が雪だって予報に出てたんで、ランさんもそれチェックしてて、実は、俺、ランさんに言われて昨日、雪山の装備を田町の自転車屋に置かせてもらいに行って……」


「……まさかそれって、最悪歩いて帰ってくるってことですか?」


「さっきライン来て……。自転車屋のおっちゃんに、白銀村口のバス停まで送ってもらうって」


「あのバカ!」


「……アホだべ」


「……アホですね」


「無茶ですよね!?」


「……しゃあねえ、バス停までは無理でも雪除げらぃるどごろまで除げでおいでけるが」


「っすね……。装備持って行かなけりゃよかったし、俺……」


 杉林と戸田が腰を上げる。


「すみません! ごめんね! もー、ほんと、誰も逃げないのに……」


「私は留守番でいいですかね!?」


 街灯もない真っ暗な、けれど雪は白い夜。

 野とも道ともわからない雪原に、道をつける。この辺りの人は「道つけ」と呼ぶ。

 町へ続く、ひと一人分の道。


 車も走らない。通らない。人はいない。

 すべてが雪に吸収され、大自然の中にあって不思議なほど無音だ。


 ざく、ざく、ざくと聞こえてきたのはどの辺りからか。

 

「……さでは、この雪はごいづの嫌がらせが?」


「かもね」


 寒さでか暑さでか、顔を真っ赤にした晴嵐は背負っていたバックパックを下ろして、脇の雪に投げた。

 被っていたフードを脱いで、ざく、ざくと近づいて来る。


「寒びばって、待ってなぐでも」


「だって」


 気を利かせて、みんなは家で待っている。

 というよりも、雪かきで冷えきった身体を温めてもらっている。


「あー、雪道さ、きつかっだぁ!」


「そりゃそうでしょ! もー、無茶苦茶なんだから! でも、おかえり」


「……抱ぐのさなんか怖ぇな。いや、これはバランスボールぐらぇあるぞ」


「ここひと月で急に大きくなったんだって」


「ただいま、ハル」


「おかえり」


 壊れ物に触るように、晴嵐が春鹿を大きく包む。


「……名前」


「久しぶりに、それ聞いた」


 A国に旅立ってからしばらくして、名づけについての話題が会話に出なくなったことを少しだけ寂しく感じていたことは言わなかった。


「向こうでもずっと考えでたけど、あっぢでは洒落だ英語すか思いづがねがった」


 晴嵐は春鹿を抱きながら、空を仰ぐ。

 祝福が天から降り注ぐように、ちらちらとはるか上から落ちてくる雪片。


「この雪さ、根雪になるべさ」


「うん、父ちゃも言ってた」


「雪」


「せつ?」


「……雪と書いて『せつ』。どうだべ?」





 翌朝、真新しいリビングに、晴嵐は筆を持ち出してきた。


「ほんと、字だけは綺麗だねぇ」


 正座をして、しかし、上半身は裸、下はパンツ一枚で。

 新しい家は暖房がぬくぬくついているとは言え。


「できたべ」


「なにそれ『白銀村、雪』って。命名書きってさぁ、『三滝 雪』とか『命名 雪』とか書くんじゃないの、普通……」




 北の端の過疎地域、人口の半分が六十五歳以上の限界集落・白銀村に男子が一人、新しく誕生したのはその三日後のこと。







番外編『雪月花』を近日公開します



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