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銀に白鹿、春嵐  作者: 佐久間マリ
後日談
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白銀村、雪(5)

「……A国で製作?」


 神妙な顔でやってきた晴嵐は、声低く「ああ」と頷いた。

 夕暮れの土間には煮炊き物の香りが充満していて、この時間やって来る時は、だいたい『うまそだな』とそのセリフで始まるのに、今日は違う。


 ティアラが採用された一報から、詳細待ちだったその連絡が先ほど来たらしい。


「いろんなデザイナーと相談しながら、イチがら作るらしい」


 晴嵐の意匠や技巧に、外せない伝統や流行のエッセンスを加え、作っていくのだそうだ。

 晴嵐の作ったものはあくまでも見本品である。


「まあ確かに、普通に考えてそれ用のオーダーメイドの一点モノだよね」


「……先生が」


「先生? って昔、工房にいた人?」


 晴嵐は頷いた。

 高校の時に出会って、晴嵐の運命を変えた人だ。

 その後話を聞いたことはなかったが、今もつながっていたらしい。


「今はA国在住で、今回の件も先生の推薦が大きぐて」


「そうだったんだ」


 それならば、A国への想いもひとしおだろう。


「で、期間はどれくらいかかるの?」


 晴嵐にしては珍しく、伏せた顔を上げないままに、

「……それが、三ヵ月から半年っで話で」


 春鹿は一瞬返事ができなかった。想像よりも長かったからだ。

 せいぜい、ひと月、ふた月くらいの話だと思っていた。


 今から半年と言えば、

「……この子が産まれてくるのに、ギリギリ間に合うかどうかってところか」


 自然と腹に手が行く。

 近頃、心なしか下腹部が出てきたような気もするが晴嵐にはまだ教えていない。


 晴嵐が顔を上げる。

「だから、戸田か千世に行ってもらおうがど……」


「……それで、あんたはいいわけ?」


 春鹿はおもむろに、晴嵐の隣に腰掛けた。

 晴嵐は何も答えない。

 やがて、ゆっくりと、

「……滞在中、A国の工芸大学さ、通わへでくれるらしい」


「え、なにそれ、すごいラッキーじゃん!」


 春鹿が思わず声を弾ませたのを晴嵐はいきなり抱きしめ、

「ばって! おめの腹さ、俺の子で大きぐなっでいくのを見でし、おめを一人こごさ置いでおぐなんてできね。村で嫌な目に遭っでても何もできね。おめを守っでやれね」


「晴嵐……、だからって、行かないなんて選択肢を選ぶんなら、怒るよ?」


 春鹿がそっと背中に手を回す。


「なして今なんだ……」


 苦しげに絞り出した声でそう言って、春鹿の身体を自分から離した。


「すまね。苦しかっだか?」


「……ううん、平気」


「悪ぃ。ちょっど、考える……」


 そう言って立ち上がり、田部家を出て行く。

 春鹿は夕暮れの土間に一人残された。



 次の日の朝、晴嵐の仕事が始まる前に春鹿は三滝家を訪れた。


 五分もかからない道中で、朝採りの野菜をバケツに入れた女性と、今から畑に行くらしい、そこ通りかかかった農作業服の女性とが立ち話をしている。

 足が痛い、腰が痛い、そんなおきまりの話題が聞こえてくる。


「おはようございます」


 春鹿はできるだけ愛想よく頭を下げた。


「おはようさん。早ぐがらご苦労さんだね」


「いえいえ、お二人こそ」


 春鹿はなにもご苦労さんなことはしていないのだが。

 

 春鹿がそこを通り過ぎてもいないのに、二人が話を再開した。

 予想どおり、話題はさっきとは変わっていた。


「焼け木杭に火がついたんだべ」


「昔がら憎がらず思っちゃー仲だどはいえねー」


 内緒話のつもりなのかもしれないが、しっかり聞こえている。むしろ聞こえるように話しているとしか思えない音量だ。


 春鹿の妊娠はすでに村に知れ渡っているらしい。


 見覚えのある顔は、正月に晴嵐の家で一緒に台所に立った二人だ。

 正月には好意的で、応援やアドバイスなどもしてもらったように記憶しているが、春鹿が離婚したという事実だけなら、二人にも他人事で済んだ話も、それが妊娠、ましてや相手が晴嵐となればまず無関心ではいられない。

 

「春ぢゃんが出戻ってぎだのはいづだったがね」


「いやいや、それがらもあの子、何度も東京さ帰っであったよ。あっちで何しでるかわがらねよ」


「出でぎだっきゃせいちゃんと似でも似づがね顔であったら」


「責任だげ取らされでなぁ」


「それにまだいづ出で行ぐかもわがらね子だべ」


「ああ、吾郎さの時みでにまたなぁ、村が嫌で出て行ぐだろうて」


 春鹿の母親のことだろう。

 でも村の人の言う事は事実であり、そして、春鹿もまさに一度はそれで村を出ている。


「東京のいい大学さ出てらんだびょん」


「そうそう、吾郎さ怪我すても今まで見向ぎもしねがったべ」


 春鹿は拳をぐっと手に拳を握りしめて耐えた。

 言い返すつもりはない。あることないこと言われているわけでもないし、間違ったことも言われていない。

 田舎では、女の学歴はあったらあるだけ逆に困る。それも知っているし、わかっている。


 ここで言い返すことは簡単だ。しかし、そのことで吾郎はさらに村で生きづらくなる。

 生まれてくる子どもだって、村で育てたい。育てるからには村に愛されて育ってほしい。


 こういうことを言われる覚悟はできていた。こんなくだらないことにいちいち反応して、春鹿を選んだ晴嵐の評価を下げたくない。 

 その時。


「村上のおばちゃんと村下のおばちゃん」


「あらあら、せいちゃん、おはようさん」


「怖い顔しでどうしたの」


 晴嵐とすれ違ったかと思うと、春鹿をその背中に庇うように立ちはだかる。


「吾郎さ心配しで帰っできた春鹿に、俺が無理やり手さ付げたんだ」


「ちょっと、晴嵐」


 背中に向かって止めようとして、逆に手で制された。


「わらすさ授かって、春鹿は嬉しいごとにこの村に住んで、さらには産んでぐれるど言う。願っだり叶っだりだ。だから俺は責任さ取る。そんだけだべ。春鹿は被害者だべ、虐めてやらねでよ」


「いやあ、せいちゃん、この度はおめでたいごとでよがったねぇっで喋っでたのよ」


「せんせもつる子さんも喜んでらだべさ」


「男の子さでぎだらいいねぇ」


「いやべつに。俺は女の子がいいけどな。俺が男一人だったはんで、父ちゃも母ちゃも女の子さ欲しいっで」


「女の子はめんごいでね、それもいさ」


「それがら、春鹿が白銀で辛いごとさあっで、村さ出て行きたくなっだら、俺も一緒に出て行ぐづもりだし」


「そったごど、困るでねの」


「へば、おばちゃんらも、ハルのごど、よろしぐ頼むわ」


 行くぞ、ハル。そう言って、晴嵐は春鹿の手を引いて、家の敷地に入った。

 静かな村で朝っぱらから話す大きな声を、聞きつけたつる子が晴嵐を呼びに行ってくれたらしい。


「晴嵐、大丈夫だってば。想定の範囲内。むしろ、晴嵐が悪く言われないか心配だよ」


 引っ張られていた手が離れて、晴嵐が振り返る。


「先生に事情さ話しで、おめも一緒に連れて行げねか聞いた」


「え? 私もA国に滞在するってこと?」


「そうだ。慣れね外国で身重の身体は正直心配だけど」


「晴嵐」


 春鹿は正面から見上げた。

 いつもより腫れぼったい目は、寝られず遅くまで起きていたせいだろう。

 春鹿も色々と考えて、なかなか眠れなかった。

 正直言えば、勝手についていく選択肢も考えていて、海外で出産することについては、すでに昨夜のうちに調査済みだ。

 出産のリスクと不安、同時に晴嵐とともにいる安心。

 しかしそれらを天秤にかけるよりも先に春鹿の中で答えは出ていた。


「私は白銀で待ってるよ」


「……は?」


 晴嵐には予想外だったらしく、顔をしかめる。


「さっぎみでなごど、俺がいねがったら、こっだな時も守ってやれねんだぞ!」


 春鹿は離れたばかりの晴嵐の手をまた取った。

 両手で握り、そして、少しだけだが確かに膨らみ始めた腹部にその手を持ってくる。


「……あ、これ、ちょっと膨らんでるんでねが……」


 うん、と頷いて、晴れ晴れとした笑顔になって、

「さっきのでもう十分。次になにか言われたら、その時は晴嵐に手籠めにされましたって言うから!」


「ダメだ、こごにおめさ一人で置いておぐのは怖い。帰っできたとぎにおめがいなぐなっでだら……」


「いなくならない。絶対いる。待ってる。負けないよ。だってここでお母さんになるんだもん」


 いつまでも晴嵐に頼ってばかりいられない。

 守られてばかりでもいられない。

 

「次は、私がここであんたを待つ番」


 十六年も待つわけじゃない。

 たった半年だ。


「晴嵐、行っておいで」





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