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銀に白鹿、春嵐  作者: 佐久間マリ
後日談
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白銀村、雪(3)

 吾郎は、これからのことは二人で好きにすればいいと言った。

 当然、祝福されて生まれる子どもを二人で育てていくことを前提に、

「村八分にでもされだっきゃ、村出で暮らせばいだげで、昔じゃあらねす、わらすまでなすた好ぎ合ってら者同士の中割ぐより大事なごどなんかねど」


「うん」


「それに、村で何どしゃべらぃようど、せいちゃんも種付けした責任さあるべ」


 まだ目を涙で潤ませながらそう言って、吾郎はにかっと笑った。


 ちらりと横目で運転中の晴嵐を窺うと、何か言おうか迷っている、そんな曖昧な動きで唇を噛んでいる。


 晴嵐もおそらく、春鹿が妊娠しないと思い込んでいたから、避妊しないことにためらいはなかったのだろう。


 未だ黙ったままの晴嵐に、少しだけ意地悪をする。


「種付けした責任、とってくれるの?」

 

「当だり前だ! 責任取るなんて、まるで仕方ねごとみでな言い方、いや、そりゃ男の責任なんだけども……、確かに無責任で……すまねがった」


「うそうそ、ちょっと意地悪言ってみただけ」


「……おれはただただ、嬉しい。本当に、嬉しぐで、たまんね」


 傍目に見てもわかるほどに、ハンドルを強く握りしめていた。


 春鹿ではなくまっすぐ前を見て。それは運転中だからというわけではない。

 人知れず、まだ新しい煙草の箱を握りつぶしてドアポケットに捨てたのを知っている。

 この男らしい、真摯な喜び方だと思う。

 手を握られて見つめ合って、嬉しいよと言われるよりもずっといい。




 夕食時ということもあって、国道沿いのファミリーレストランは賑わっていた。


 正面に座った晴嵐は、メニューを開くまえに、

「あれ、なんづっだが、オエっとなるやづ」


「つわり?」


「そうそれ。妊婦さんさ、つわりで大変なんでねのが?」


 なけなしの知識を総動員しているらしい。


「それが割と軽くて。妊娠初期ってゲロゲロしてるイメージあるよね。少なくともあんなふうではなかった」


 ふうん、と難しい顔で言ってから、「それはいい事なのが?」


「うん、恵まれてると思うよ。重い人は点滴したり最悪入院しなくちゃいけなかったりするみたいだし」


「入院!?」と眉をひそめた晴嵐に「いや、だから、私は大丈夫だったから」とは言ったものの、これから先の数か月、常に健康、安全でいられる保証はないことを春鹿は色々見聞きして知っていたが言わなかった。結局のところ、次の日には晴嵐も調べて知っていたが、その時は、再び「ふうん」と納得した様子で、手慰みに車のキーをテーブルで転がした。

 リンゴのキャラクターのキーホルダーがついた鍵だ。


 食欲はある。そう言うと、「おめは二人分食わねど」とおせっかいなおばさんの定型文で春鹿の好きなものをかたっぱしから注文していく。


「いづ産まれるどが、もうわかっでるのか」


「12月26日だって」


「寒い時だべな……」


「そうだね」


 晴嵐は思い出したように、

「そういえば分家の嫁さは、雪がひどぐで病院さ行げねど困るはんで、早々に実家にがえっちゃーって聞いだな。まあ、嫁さの実家は市内であったはんで」


「実家が白銀の私は一体どうしようね」


「そったごとになっきゃ何どすてでも俺が病院に連れでぐさ」


「さすがパパ。頼りになるわ」


 茶化して言ったのに、晴嵐はみるみる顔を上気させて無言で俯いた。

 そして、「あー」と息を吐きながら両手で顔を覆う。

 顔を隠したまま、

「……マジで嬉すい。ありがどな、ハル」


 食事がくるまで、晴嵐は何も言わず、そうしたまま顔も見せなかった。

 春鹿は短く切りそろえられた爪と、半袖のTシャツから出た腕を見ていた。

 太く、日にも焼けて、まるでインドアの繊細な工芸職人と思えなかった。苦労を苦労と思わずに腐らず努力した山の男の腕だ。

 誇らしい腕だ。

 

 やがて晴嵐の注文したハンバーグが運ばれてきた。

 熱々の鉄板に肉汁とソースが跳ねる音に紛れて、父になる男はもごもごと何か言っている。


「……最近」


「え? なに?」

 

「……いや、最近さ、おめ、全然ヤらしでくれねがら」


「あー……」


「愛想つかされたかど思っでた」


「なんでよ」


「だって、そりゃ……」


「うん、だよね。ごめん」


 晴嵐とは、かっこよく言えば大人の関係、悪く言えばずるずると身体の関係を持っていた。


 一応「つきあっている」ことで間違いはなかったはずだが、あえて確認する必要が今さらなかったし、その延長に必ずしも結婚がある「普通の男女」ではなかったから、それでいいと思っていた。


 さすがに妊娠がわかってからは、流産の危険や気分的な理由で抱かれる気になれず、あからさまに見え透いた嘘で誘いを断ることが続いていたので晴嵐が不審に思うのも無理はない。 


「そういうわけだから、しばらくは無理」


「そうなのが。わがった」


 神妙な顔で頷く。


「ちょっと待って、一応確認だけど、産んでいいよね」


「当たり前だべな! 産まねなんでごとがあるか!」


「でも、あんたさ、結婚とかしていいの?」


「誰が反対すんだべ!」


「うーん、村の人とか? 後援会?」


 後援会なんて存在しないが。


「……けど、正直いろいろあるどは思う。陰口や面ど向かっででも差別的なごとや時代錯誤なごとさ言われだりもするがもしれね。また嫌になるかもしれね。そもそもおめはそういうのが嫌で出で行っだんだべ」


「ううん。今回はそれ込みで、私は村に住むことを選んだんだから、今さら泣き言は言わないよ」


「でも」と、晴嵐はフォークとナイフを置いた。


「俺が守るがら。一生、全力で俺が守る。おめは子どもと吾郎さと幸せに暮らせ」


 じんわりと目頭が熱くなる。

 大切に箱にしまっておきたくなるくらいの言葉だ。

 滲んだ瞳を誤魔化すように、

「私と子どもと父ちゃと? 三人で幸せに暮らせって、それ変だから。あんたはどうすんの?」


「いや、そりゃ俺も……」


「これをプロポーズと受け取っていいわけ?」


「……おう」


「しかし、ハンバーグにライス大盛りで言われてもねぇ……」


「た、たしがに……。けど、へばどこで言うんだ。東京みでに洒落た場所も夜景もねし」


 拗ねたように言う。

 春鹿は無言で首を振った。

 場所なんてどこでもいい。


「十分だよ。ありがとう。好きだよ、晴嵐」


 その言葉に晴嵐は慌てて水を手に取り、ごくんと音を立てて口の中のものを嚥下した。

 有料のミネラルウォーターでもなければ、プラスチックのコップにセルフサービスの水。


 そういえば、わかりきったことだと、言葉にして言ったことはなかった。言われたことも。


「俺もだ……好きだぞ、春鹿」


「うん」


「子どもは男か女か、もうわがるのか?」


「まだわかんないって」


「名前、どうすっぺ」


「とりあえず性別がわかってからでしょ」


 晴嵐はスマホで名付けについて検索し出した。

 もっと他に調べなければいけないことはあると思うが。

 縁のある漢字や、思い入れのある、ぶつぶつと呟いている。


「そだな、銀……はどうだ?」


「あんたん家の犬の名前と同じだけどそれでいいわけ?」


「いや、ダメが……」


「まあ、生まれるまで何ヶ月もあるんだから、ゆっくり考えようよ」


 晴嵐は頷いて、食事をようやく再開した。


 結婚することとそれに付帯するもろもろは、とりあえず晴男とつる子に相談してみると晴嵐は言った。

 この先のことは、考えなければならないことが山ほどあるようで、別段今までと大きく変わらない気もする。


 満腹で白銀村に帰って来て、田部家の庭先に車が停まる。


「ありがと。ひとまず、おいおい考えていこう。とりあえず今日は、おやすみ」


 そう言って車を降りようとして、晴嵐に引き留められる。


「ハル」


「なに?」


「これ」


 晴嵐がポケットから小さな桐箱を取り出す。

 受け取って、小さな車内のルームライトを点けてそれを見た。


「……なにこれ、まさかあんたの臍の緒とか入ってんの?」


「わけねーべ。なんでそっだなもんをおめにやるんだ」


「いや、なんか父から子へ受け継ぐ的な何かあるかと……」


「んなもん、ねよ。ま、開けでみろ」


 蓋を開けて白の和紙を左右に開くと、指輪がころんと入っていた。

 凝ったデザインではないが真ん中に光るのはダイヤモンドだ。


「あんた、これもしかして……手作り?」


「シルバーでねよ、プラチナだぞ」


「こんなのも作れるの? え、いつ作ったの? まさか今日?」


 晴嵐は、さすがにそんな急ごしらえは無理だと笑って、

「……いづだったか、ずっと前だ」


「はめてよ」と左手を差し出すと、晴嵐は恭しく春鹿の手を取り、薬指にすっと通す。


「サイズがぴったりで怖い」


「職人なめんな」


「……きれい」


 ルースを扱う知り合いに加工してもらったというダイヤモンドが、この場に似つかわしくない輝きを放っている。


「……渡せる日さ来るのか、作ったとぎは夢半分で。しかし、まさかな、実際おめの指にはめれる日が来るとはな。感無量だわ」


 そう言って晴嵐は春鹿の薬指を口元に寄せる。

 そして、すぐに柄にもないことをしたと暗い中でもわかるくらいに真っ赤になったのだった。




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