15.決断のとき、東京
「働ぎ口はあるよ、給料は高ぐはねばって」
「東京でバリバリやってましたって言うと採用は敬遠されるかもー」
「スローライフはマジで人生の価値観変わります!」
「ド田舎を売りにした田舎系ユーチューバーになったらいいじゃないですか」
「こぃがらどんどんトシ取っで、暮らすにぐぐなっていぐだげのになんで今更わざわざ田舎さ住むの」
「本格的さ腰下ろすとなるど、やれお寺だ農協だ婦人会だの強制参加だはんで嫌がる人も多ぇ」
「迷うまでもなく東京一択でしょ!」
「通販もあるす全ぐ困ねよ。そもそも田舎さ住んでらど物欲もなぐなるの」
「ハルちゃんの好きそうなごはん屋さんがマンションの近くにできたんだ」
「アンタみでな独身子ナシだと田舎ではいろいろ口さがなぐしゃべらぃるよ」
「もう単純に、『好きな方の場所』で選べばいいんじゃない? 白銀で幼馴染とほのぼの復縁でも、東京で仲良しジェンダーレスカップル生活でも」
「てゆーが、このまま白銀にいだら、好ぎどが嫌いどが関係なぐ、なすくずす的に気づいたらせいちゃんと夫婦になっどるわ。それもウケるげど」
みんな言う事はそれぞれだ。
当然である。春鹿の事情など知ったことではなく、自分本位の無責任な意見でしかない。
そのどれ一つに、共感も、取捨選択も、決断もできていないままに、日にちだけが過ぎていく。
「田舎で生きていくほどのアイデンティティが私にはないんですよ」
スキー場のロビーの移動販売車のハイチェアに腰掛け、コーヒー片手に春鹿はため息をついた。まるで、バーで管を巻く酔っ払いのようだ。
「ロハスとかオーガニックとかそういうポリシーもないし、自然とか自給自足とか古民家とか、そもそも生まれたのがここなんでそういうのに魅力も感じないし。たいした趣味も特技もないし。しいて言うなら料理はちょっと好きだけど、だからって仕事にしたいってほどでもないし」
カフェ・バーチのマスターに教えてもらい、車で一時間半の道の駅で開かれているマルシェに行ってみたのは先週のことだ。
田舎暮らしをしながらモノづくりをしている若者が集まって、手作りの小物やインテリア家具、野菜やパン、お菓子などを販売していて、月に一度開催されているらしい。
カフェ・バーチも出店していた。
「まあ、そういう明確なアイデンティティーがあった方が、このご時世、田舎で暮らすには『格好』がつくかもしませんねぇ」
マスターも移住組で、いろいろと外からの視点で教えてくれる。田舎ならではの良さと住みにくさと。もちろんIターンとUターンでも立場が大きく違う。
「動画やSNSで田舎の暮らしぶりをアピールしてる人は多いから、そういう自分のジャンルやタグがないといけないみたいな雰囲気はあるかも」
マスターは春鹿の考えに同意のようだ。
「まあ、実際は、ここに住むための理由を探してるだけかもしれません」
「実家なのに、住む理由っているものなんですか? 対外的なもの? 村の人たちへとか」
「うーん。自分に対する、理由かな……」
春鹿は、曖昧に首をかしげるだけだった。
*
雪の止み間を狙って、春鹿は三滝家につる子をたずねた。
家からの道は朝に除雪したのがまだどうにか保たれていて、滑らないように気をつけながら坂を下っていると、晴嵐が庭で軽トラの荷台からなにやら荷物を運びおろしているのが見えた。
蛍光オレンジのベストを着ているので、遠くからでもわかる。
「おつかれ。山、入ってたの?」
「おう」
晴嵐は猟友会のメンバーで、冬の間、趣味ではなく有害鳥獣駆除のための狩猟をする。報酬も出るし、農作物や環境保護のためにとても重要な仕事だ。
「猟友会……か。私も入れるかな。どうやって登録するの?」
「はぁ?」
「人生迷走中なのよ」
「意味わがらん。自分にでぎると思うか?」
「私だってマタギの子。今、ハンター女子って流行ってんだって。ジビエも流行ってるしさ……って、ちょ、あんたその顔どうしたの!」
晴嵐の怪訝な顔のその頬には、出来立てとわかる真っ赤な筋の擦過傷がいくつもあった。
「ああ、今日は若ぇ猟犬数頭いで、あいづらまだ抑えが利がねえはんで。たげ引っ張らぃでな、あどもう少しでガケに引きずり落とさぃるどごろだったげどなんとが堪えだわ。まあ、咬まれだ方は大すたごどねがったしいがった」
「咬まれたの!?」
「ああ、ばって服の上からだべ、傷はね。打撲だ、二、三日で直る」
晴嵐が異常の有無を確かめるように腕を動かしながら言う。
「傷、ほんとにない? ちょっと見せなさい」
春鹿が手を伸ばした時、晴嵐がさっとのけ反った。
「俺に触んな」
「え?」
「獲物授がった日は夫婦は別どして血縁以外の女さ触れだっきゃいげね」
両手を上げて降参のポーズを取る。
「吾郎さとおめは親子だがら今まで特に意識しでながったのかもな。山の神様は女だがらな。ヤキモチ妬くんだど。俺たちはマタギじゃねけど、禁忌はできる限り守っでる」
「わかった……。でも、甘く見ないで病院行った方がいいって」
「おいおい、吾郎さだって何度も犬さ咬まぃでただだろうが。猪やらハチやらヘビやら数えぎれねほどあったべ。こんなんで罹っでたら医者が儲かってしゃーねー」
吾郎の負傷の数々を思い出す。
スズメバチにも一度刺されているので、次は命にもかかわると言われている。
「そうだけど……」
「平気だ。慣れでる」
寒さで、鼻の奥がツンと痛い。
「……おばちゃんに手当てしてもらいなね」
「おう。冷えるぞ、早ぐ中さ入れ」
春鹿が母屋に入った後も、晴嵐は小雪の舞う中、後片付けを続けていた。
*
次の春鹿の本社出張に、晴嵐もついてきた。
晴嵐に東京で特に用事らしい用事はないのだが、冬は何かと忙しく、休みなく働き詰めなのを心配した千世が無理やりに予定を入れた。旅行がてら休養しろということらしい。
本業の銀細工すら空き時間や睡眠時間を削って夜中に作業しているようで、確かに晴嵐は行きの新幹線をほぼ寝て行った。
「用事が終わったら東京で何するの?」
東京着を告げるアナウンスが聞こえたので、晴嵐を起こして尋ねる。
明日の帰りはまた春鹿と一緒に帰る予定にはなっているが。
「あー、いぐづが他さ挨拶すて、あどはいろんな美術展回れるだげ回る。ながなが行げねはんで」
「ふうん」
「あのあんたがねぇ」などと感慨深く思ったのは本音だが、大人なのでそんな子供じみた嫌味は言わないでおいた。
しかし、高校生の頃のおちゃらけでおバカな晴嵐を思えば、信じられない文化的な行先設定だ。
「今夜、ご飯一緒に食べる?」
「A子さんとが、他の友達はいのが?」
「別に。今日はいいよ」
「率さんには? 連絡すたのが?」
春鹿はついていた頬杖をはずして、わざとらしいため息をついた。
「しないって。別れた人に」
呪いは解けた。それを解放だと思った時点で、春鹿にあった情はもう恋情ではないのだろう。同情か一時家族だった者への愛情かのどちらかだ。
一瞬でも、率の性嗜好を裏切りだと感じてしまったときに入ったひびは、二度と戻ることはないのだろう。率の愛を信じることはできてもひびはずっと入ったまま。
「用事がない限りは会わないよ、もう」
「そうか」
「うん」
再び、頬杖をつく。
晴嵐の好きそうな店を予約しておくと約束をして、東京駅で別れた。




