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14.雪に恋して(3)


 厳密に言えば、春鹿が先に知ったのは昇進の話の方だった。


「びっくりしたわー。新年早々」


 社内の休憩スペースにA子を呼んでその旨を報告すると、

「いやいや、逆に新年だからでしょうが。いつまでに返事がいるの?」


「OKなら四月一日から東京に復帰で、でも今はまだ考えとくだけでいいって」


 寛大な会社で助かると言うと、A子ももれなく同意した。


「正直、もう梯子は外されたと思ってて……まあ、ラストチャンスではあるのかもしれないな」


 いくら時代に沿った働き方の提案とはいえ、割に合わないリモート社員などその気になれば一番に首切りされる。


「でも、昇進込みで選ばせてくれるってことは見込まれてるってことじゃない?」


「それなら素直にありがたい話です」


 A子は自販機で買ったコーヒーを春鹿に手渡しながら、

「ま、迷うだろうだろうけどね。今の春鹿の状況だと」


「うーん……確かに即答はできない」


「具体的に迷ってるのは何を?」


 春鹿はしばらく考えてから、力なく首を横に振る。


「……何を迷ってるか、それさえちゃんと言葉にできないくらい自分の現状がわかってない」


 正直なところ、今は将来に何のビジョンもない。決断を迫られる様な事態もなく、現状維持でいいと思っていた。何も考えずにいたのだ。まさか会社がこんなカード切ってくるとは。


「だったらさ、このタイミングで晴嵐くんがプロポーズしてくれたら?」


「……そういうので解決するわけでもない気がするんだよなぁ」


「なにそれ、ゼータクな!」


 確かに、贅沢で甘えた考えだった。


 このあと間もなくして、晴嵐の落選を知ることになった。

 つまり、晴嵐からプロポーズされる可能性は無くなった。


 取捨選択は不自由の中にこそあって、行き過ぎた自由は自分を見失うだけだ。

 自分の居場所を探している途中の春鹿には、糸の切れた凧になるのと同じだった。

 晴嵐の言動は、気づかないぐらいの心地よい錘となって、春鹿を繋いでいてくれたのだと気づく。



 率とはゆっくり話がしたかったので、春鹿が呼び出した。

 昨日の今日で、「毎日ハルちゃんに会えて嬉しいな」と、冗談とも本気ともつかない笑顔で待ち合わせ場所に現れた。


「また白銀村に行ける機会があるとは思ってなかったし、それに雪の白銀村の方が断然いいよ。また行きたい」


 まずはと注文したビールを飲みながら、率は言った。


「……いや、またの機会はもうない方がいいよ」


 率が今回あの村にいたことはやはりいびつなのだから。


「でもハルちゃん変わったよ。昔はさ、用事で行っても、白銀村にもう一分一秒いたくないって感じだったのに」


「いや、そうじゃなくてね。何しに来たのと聞きたいのよ、私は」


 春鹿は、ビールジョッキを強めにテーブルに置いて、仕切りなおすように言った。

 率は、のらりくらりと言い訳めいた冗談を並べていたが、春鹿が乗ってこないとわかると一旦黙ってから呟くように、

「……そりゃあ、ハルちゃん取り返しに行ったんだよ。ランくんに正々堂々勝負を申し込まれたから」


「そんなのやめてよ、私の知らないところで勝手に」


 春鹿の意思を無視した行動を責めているのではなく、取り合いされるような人間でもないのが居心地が悪い。


「ランくんと元鞘エンドなのかなって正直諦めてたところはあったんだけど、なかなかそう落ち着かなさそうだからさ。ハルちゃんの気持ちに迷いがある証拠かなって」


 確かに率の考えは、中らずといえども遠からずで、春鹿は黙った。


「でも、フェアじゃなかったことに気づいたからさ。ハルちゃんにかけた呪いを解いた」


「呪いって何」


「うん、贖罪というか。二人にカミングアウトして。もう、ハルちゃん一人で俺のことを背負わなくていいよって」


 春鹿は返す言葉を探したが上手く見つからない。


「『マイノリティ=迫害、差別しちゃダメ』っていう風潮というか、世の中全体にポリコレ意識が高まってるじゃん? 良くも悪くも」


「まあ、それは否めない」


「だから、このご時世にマイノリティだよって宣言するのは、ハルちゃんに対して圧になってたとこあったと思うんだよね。錦の御旗じゃないけど、俺を拒絶することは道義にもとるように思わせる、昨今の風潮」


「私にそんな正義感ないよ」


「優しさでしょ、ハルちゃんの」


 正直、率に対してあるのを愛情に似せた愛情だと思ったことはある。そして一度は生涯を共にすると誓った相手への責任とも重荷とも感じていたことは確かだ。

 

「俺みたいなのとする面倒くさい恋愛じゃない、女性として普通の、ステレオタイプの幸せを望んでいいんだ。百パーセントでハルちゃんを愛してくれる男に、女性として愛されていいんだよ。いいんだよっていうか、愛されてもらってほしい。……俺にはできなかったことだから」


 最後の言葉を言う時、いつもの飄々とした率ではなかった。


「呪い、解いたよ」


 つまり、春鹿はまた一つ新たに自由になったらしい。


「……その呪い、もうちょっと早く解いてほしかったかな」


 言ってしまってから、

「うそ、ごめん。率のせいにしようとした、ごめん」


 慌てて否定する春鹿を、率は不思議そうに笑って許す。

 

 春鹿は離婚してから、籠の外に飛んでいきたいふりをして、不自由の中で自由を望むふりをしていただけで、その実、籠の中にいることに甘んじていた。

 籠の扉の鍵はいつも開いていたのに。

 率のことを、飛んで行けない理由にしていたのだ。

 飛んで行かないだけなのに、飛んで行けないふりをしていた。


「もちろん、俺だって俺の百パーセントでハルちゃんを好きなんだ。それは知っておいて」



 駅で率と別れて、春鹿はスマホを取り出した。

 待ち合わせの前に見たメッセージをもう一度表示させる。


『賞、取れなかったわ』


『お前を嫁にもらえねくなった』


 賞が取れたからといって、「はいじゃあ結婚します」とも言わないし、賞を逃したからといって、「はいでは結婚しません」という話でもなかったけれど、凧糸は切れてしまった。


 東京の赤い夜空に、星は見えない。

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