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ただいま、白銀村(3)


 窓もカーテンも、人一人分くらいの幅しか開けなかったのに、晴嵐はつっかけてきた草履を脱ぎ捨てて縁側からずかずかと居間へ入る。


「ちょっと! アポなし訪問の上に勝手に家に上がるとかありえないんだけど……」


「あんぱんに牛乳てェ……」


 こたつテーブルを見下ろし、蔑むように鼻で笑う。


「カッコも全然東京っぼぐねしなァ。おめさ、東京でセレブやってらんでねの?」


「セレブなんかやってないよ! 普通の暮らしだよ! 普通だけどさ! だって……あんたが急に……! と、東京人だって、家着はみんなこんなもんだよ!」


「あっそ」


 心底どうでもよさそうにそう言って我が物顔で居間に腰を下ろしたので、春鹿もしぶしぶさっきまでいた座布団の上に座った。


「んで、いづ帰っで来だ?」


 言いながら、テーブルの上に残っていた食べかけのあんぱんを、断りもなく口に入れた。

 驚いたが何か言ってやめるようなやつではない。マイペースな自由人なのだ、昔から。

 

「……一昨日だけど」


「ようやぐ帰っで来たのか。吾郎さ怪我してがら」


「ようやくって、入院してたときは病院には行ってたよ」


「知ってらし。おめには病院で一回も会わながったけどな」


「え、晴嵐も来てくれてたの? 何回も……?」


「村のジジババが行ぐっつーがら、その足代わり」


 吾郎が入院していた病院は鉄道の最寄り駅周辺である田町より、さらに都会の『市内』と呼ばれるところにあって、白銀からだと車で一時間強かかる。


 東京からでも片道二時間かかったが、新幹線から乗り換える在来線は一本だけなので白銀ほどは遠くない。

 春鹿は週末ごとに見舞いに帰っていた。

 村の人が見舞いに来てくれているのは知っていたが。

 

「遠いのにわざわざ悪かったね」


 晴嵐は特に、いいよとも別にとも言わず、テレビに視線を向けている。

 会話が急に途切れて、ついたままのテレビの音は、邪魔でもあり、頼もしくもあった。


「おめよ、一昨日電車で帰っで来たのか? 駅からどうやっで来だ?」 


「……え? ああ、父ちゃんが田町まで迎えに来てくれたよ」


 春鹿はようやく気付いて、居間を出て、続きの板の間にある冷蔵庫を開けた。


「あ、牛乳でいいべ」


 確かにお茶でもと思って立ち上がったのだが、遠慮なく言われるとそれはそれで腑に落ちない。

 しゃくなので、空のグラスと牛乳パックをそのままテーブルに出す。

 年代物の曇ったガラスコップ。

 晴嵐は文句も言わずに、自分で注いでいる。

 ふと、春鹿は東京のマンションに置いてきたガラス作家のグラスを思い出して、あれは持って帰ってくればよかったなとふと後悔する。

 

「おっちゃん、運転はあぶねのに。駅までってなるど、この辺ぢょろぢょろ運転すんのどはわけが違うべ」


 晴嵐は難しい顔でそう言うが、

「……でも、ここで車なしで生活しろってのはさすがに無理なのわかるし。あー、どうしようかなぁ」


「おめは? 今回、車で帰ってごねがったのが?」


「えっ、なんで? ないない、遠いのに。何時間かかると思ってんのよ」


「おっちゃんの入院中、おめさ車で帰って来てただろ、青ぇ車」


 確かに一度、元夫の(りつ)と車で帰省した。


「やだ! こわっ! なんで知ってんの!?」


「東京ナンバーの車なんて目立づに決まってんだべな」


「ナンバープレートなんていちいち見る!? 田舎こわー。今、閉鎖社会の本気を見たわ……」


「嫁いだ娘が実家さ帰って来てだだげで、別になんも悪ぇ事してねんだし別にいべさ。しっがし、こっだな田舎であんなピッカピカの車、チョー感じ悪ぐであったげどなー」


「あれはカーシェアの車だし。好きで青いの選んだわけじゃないし」


「カーシェア? レンタカーか?」


「あー、そうそう、そんな感じ」


 もっとも、父の見舞いを兼ねた温泉旅行のついでに寄ったのだが。

 元夫が白銀村を訪れた数えるほどのなかの一回だ。


「父ちゃんの入院が長引きそうだったから冷蔵庫の整理とか、細々したことをね。ちょっと寄っただけなのに。二、三時間。見られてたなんてほんと怖いわ、恐ろしいわ田舎コミュニティ」


「ンなもん、村の誰かさ頼れよ」


「空気の入れ替えとかポストとかは村の人にしてもらってたのは知ってるよ。それでもね、身内が誰もいないならともかくそこまではお願いできないし、帰ってからの生活でなんだかんだ頼らせてもらっただろうし。私まで、そういうわけにはいかないでしょ」


「うちの母ちゃに遠慮はいねばって」


「そうは言っても甘えてばかりじゃね。でも、やっぱりおばちゃんには退院してからいっぱいお世話になると思ったから、電話でご挨拶しておいたんだけど。あ、まさか父ちゃん、みんなにお礼してないとか? 私、なにがいいかわからないから快気祝いとかは本人に任せてたんだけど……」


「そしたらものの話じゃねぐて。すたっきゃ、俺さ言えばいいべ。俺ば頼れよ」


 簡単に頼れるわけがない。昔とは違うのだ。

 返す言葉に困っていると、晴嵐はポケットからスマホを出した。

 そして、テーブルの上にあった春鹿のスマホの隣に投げ置く。


「連絡先」


「え?」

 

「おめ、番号変えたべ?」


「ああ、そりゃ昔とは違う……」


「うちの親も、おっちゃんもそろそろいいトシだ。いつ何どきが何があるがわがねし、おめも出て行っだ人間とはいえ葬式はこっぢで出さねとダメだろ。だから連絡先。ん」


「……はい」


 こたつ机に向かい合い、スマホを寄せ合って、電話番号とメッセージアプリのIDの交換をする。

 早速表示された『三滝晴嵐』の名前を、字面で見るのは久しぶりだった。

 プロフィールの画像を拡大する。


「あんたの画像のこの犬ってギン?」


 素朴な茶色の雑種に見覚えがある。

 三滝家で飼っていた犬だ。


「ああ、まあギンだげど、おめさ言ってんのはギン一世のことだべ」


「は? 一世?」


「こいつギン二世。おめさ知ってるギン一世はとっぐの昔に死んだ。こいづは新しい犬だ」


「そりゃそうだよね……」


 二人が高校生の時点で、ギンはすでに子犬ではなかったのだから。


「てか、前もギンで今もギンとか、なんで違う名前つけないのよ」


「ほっどげ」


 そして晴嵐は、春鹿がプロフ画像にしているパリに旅行したときに撮ったカフェの写真を「なんこれ。なに、おめそったらにコーヒーが好ぎなの?」と一蹴した。無視する。

 春鹿とて、特別に気に入っている写真というわけではないが特に替える機会も、次もなく、何年もそのままになっている新婚旅行の一コマ。


「鹿の写真にすろや。マタギの娘だろが」


「ハァ? しないよ。マタギ関係ないし。鹿がペットってわけでもないのに変でしょ」


 晴嵐はスマホをハーフパンツのポケットに突っ込んだかと思うと、代わりにそこからくしゃくしゃのセブンスターのソフトパックを出した。

 一本を抜き出しながら立ち上がり、縁側に行って火をつける仕草をしている。

 背、こんなに高かったかなとぼんやり思った。

 畳に座った春鹿から見るからそう思ったのだろうか。見慣れている男性でいえば、元夫もけして低い身長ではなかったが。


 晴嵐は庭に向かって煙を吐き出す。一応、気を遣ってくれているらしい。

 吾郎もヘビースモーカーで、めっきり喫煙者離れした社会にいた春鹿にとって、この環境が帰ってきて一番馴染めないことかもしれない。


「んで、いづ帰る?」


 とうとう、一番警戒していた質問が来た。


「えーっと、とりあえずしばらくは……いるつもり」


「しばらくっでどんぐらいだべ。そんなに長いごと会社休めんのが? あー、あれか、盆休みさずらして取ったとがか?」


「……いや、その、私ね、しばらくこっちに住むから」


「は?」


 晴嵐が振り向いて、その勢いで煙草の灰が落ちる。


「住む? 白銀に帰ってぐるってごとか?」


「うん、まあとりあえず? 当面の間は? あ、もちろん、もっと先のことはわかんないけどね!」


 何をごまかすことがあるのか、晴嵐相手に無駄な笑顔を作って言うと、もっと言い訳じみた答えになった。


「とりあえず住むって、あっちさ大丈夫なのが?」


「あっちって東京? まぁ、仕事は辞めずに済んだから。リモート社員になって、たまに出社すればいいみたいだし」


「いや、ダンナは? 別居ってごとか?」


「えっと、それが、別れたんだ、よね」


「あ?」


「離婚して」


「離婚?」


「そ。……なんか、ごめんねー。晴嵐も花簪作ってくれたのに」


 春鹿は首を傾げて、おどけてみせた。

 離婚したと言ったら、晴嵐は「あほが、出戻りが、それみだごどが」と大笑いするような気がしていたからだ。

 予想していた反応ではなかった。

 

「……なんでだ? おっちゃんの介護さ原因か? それども男が浮気したのが?」


「いやいや、浮気とかそういうんじゃないよ。うーん、父ちゃんのことは直接的な原因ではないけど、きっかけではあったのかなー。まだ、よくわかんないの。円満離婚だし、普通に会ったりもするだろうし」

 

 指に挟んだままだった煙草の長くなった灰を落としてから、ようやく口に持っていく。

 しかし、浅く吸っただけですぐ煙を吐き出すと、視線は外に向けたまま、

「円満離婚てそったな離婚、離婚て言わねぇべ。……そったな都会的な理由、俺にはわがらん」


「都会的な理由って……」


 春鹿が苦笑しかけたところで、バイブ音が鳴る。

 晴嵐のスマホだったらしく、煙草を口で咥えなおし、ポケットからスマホを取り出した。

 画面を見て、

「あ、俺、戻らねど。悪ぃ、春鹿、灰皿ば貸してぐれ」


 主がヘビースモーカーのこの家のことは当然よく知っているらしい。

 春鹿はため息で、隠していた灰皿を持ってきて差し出した。


「この家、禁煙にするから! 今のご時世、こんなヘビーなのありえないよ! 次来た時に灰皿はないと思え」


「そったら常識、田舎じゃ通用しね」


 晴嵐が沓脱石の草履に足を突っ込むのを、縁側から見送る。

 庭先に自転車が停めてあった。

 山間に集落が広がる白銀村では平地が少なく自転車で行けるような場所も多くないので、村民のメインの移動手段ではない。隣の家に行くのも軽トラで行くことがほとんどだ。

 一応、定義上では田部家の隣とされる三滝家とは歩けば五分、軽トラなら一分。自転車であれば上りも下りもない一本道を行くだけだ。


「おい、クーラーなんてづげてら、おめん家だけだべ。自然の風で十分涼しいべ。俺、クーラーの風、苦手ー」


「……お前もか。謎のクーラー嫌い。田舎あるある。そんなこと言ってたら熱中症で死ぬんだよ」


 春鹿は脱力して、ガラス窓にゴンと後頭部をぶつけた。


「おめ、買いもんとがどうしてんだべ?」


「あー、帰って来てからはまだ行ってない。今のとこ、父ちゃんが買ってきてくれたのでいけてるけど……。全部宅配でなんとかできるかな……」


「無理だろ。連れて行ってやら」


「いらないよ。しばらくはうちにも来ないで。村の人には帰って来てること、まだ言わないで」


「アホが。すぐにバレるべさ。じゃあな」


「ちょっと! 頼むから、誰にも言わないでよ!」


「ハイハイ」


 遠くから見ても錆びているのがわかるボロいママチャリに跨って、一漕ぎ。


「あ」


 足をついたかと思うと、晴嵐が振り返る。


「まあ、とりあえずは、おがえり春鹿」


 晴嵐は少しだけ笑った顔でそう言った。

 幼馴染との再会に破顔するでもなく、都落ちした女を嘲笑うでもなく、チャラ男のタラシ笑顔でもない、大人の曖昧な笑顔だった。


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