14.雪に恋して
『今年のお正月は寒さが緩み、晴れるところが多くなるでしょう』
その予報どおり、年が明けてから雪はほとんど降っていない。
おかげで正月の間に雪かきをする必要はなく、男たちはこれ幸いとばかりに正月気分、つまりは心置きなく酒びたりになれた。
宴会続きで吾郎も帰ってこない。晴嵐も顔を出さない。
「今年の年始は思いきり自堕落に過ごそうっと」
そう決めたはずだったのに、春鹿の休暇は思いもよらぬ結果になった。
家には誰もおらず、遊ぶ人もおらず、行くところもなく、正月番組にも映画にもドラマにも飽きた春鹿は、大量のサンドウィッチを作った。食パンを焼くところから始めてカツも揚げた。
サンドウィッチができると晴嵐を呼びつけて、宴会料理の足しに持って帰ってもらうことにした。
「すげぇ量作っだな」
「お口に合うかわかりませんが。私からってわからないように上手く言って差し入れてよね」
「また難すいごとを」
その後、再び暇をもてあました春鹿がこたつでゴロゴロしていたら、ほろ酔いの晴嵐がやって来た。
つる子から「ハルちゃん、暇なら手伝っでよ」との伝言と共に寿司桶を持参したので、仕方なくちらし寿司を作った。田舎というのは基本的にどの家にも買いだめした大量の食糧とストックがあるので買い物に行かずともなんとかなってしまう。
だんだんと目の据わってきた晴嵐がちらし寿司を取りに来たと思ったら、それと引き換えに給食用かと思う大きさの寸胴鍋とカレールーを携えてきたので、次はカレーを作る。
その間、日付も昼夜も関係なく吾郎が酔い覚ましに帰って来ては、数時間寝てまた出かけて行くというシーンが何度かあった。
『カレーできたんだけど?』
『白ごはんはあるの?』
『ちょっとー?』
『できたってば! どーすればいいの?』
『おい!』
晴嵐に連絡しても取りに来ないどころか返事もない。
しびれを切らした春鹿が三滝家に様子を見に行くと、とうとう晴嵐は酔いつぶれていた。
こっそりのぞいていたのをつる子に見つかって、台所にいた三滝の分家の女性たちにも捕まって、あれよあれよという間に春鹿も三滝家の台所に立つことになった。
つる子の割烹着を着せられて、女性たちのノリはまるで学校の文化祭のようで、ハイテンションでかしましく楽しそうだった。
女性は飲まず食わずでおさんどんなのかと思っていたらそれは違って、肉を焼けば一番いい部位を先につまみ食いしたり、少ししかない珍しいものや美味しそうなものは表に出さずに内々で食したりして、むしろ座敷の男たちより腹を満たしていた。
結局、どこのおばちゃんかも知らない人たちが、春鹿の家までカレー鍋を取りに来てくれて、ごくごく普通のカレーなのにいたく褒められ、春鹿が皿を洗っているだけでも褒められて、出戻ったことは今時珍しくないと一蹴されて、そこにいた人達の娘も息子も結構な数で離婚していて、娘は子どもを連れて離婚して帰って来てくれるのが一番の親孝行だと口を揃えた。
おばちゃんたちは、だったら晴嵐と結婚すればいいと勝手に盛り上がるから本当に困った。
当の晴嵐は、自分の部屋でいびきをかいて寝ていた。
様子を見るために、十数年ぶりに晴嵐の部屋に入った。
記憶の中のインテリアとほぼ変わっていないことに笑ってしまった。中学生の時に六ツ美と三人で撮った写真が埃にまみれて飾られていた。
布団をかけて、寝ている晴嵐の髪にちょっと触れてみたが、起きなかった。
思わず少しの間、ギンを撫でるときのように何度も触ってしまった。
冬なのに晴嵐の顔はよく焼けていた。唇は相変わらず薄くて、そして、きっと冷たい。
*
三滝家の宴会がいつまでも終わりそうにないので適当に暇を告げて家に帰ると、今度は酔っぱらった吾郎がこたつで寝ていた。
「なんなの、この村の男どもは。もー、風邪ひくよー?」
しかし翌朝、吾郎はまた平然と起きて懲りずにどこぞの寄合に出かけて行った。
春鹿が起きぬけの格好のままぼんやりしていると、こちらもまた二日酔いなどどこ吹く風の晴嵐が「スキー場に行ぐべ」と誘いに来た。
「え、なんで。三が日は休みなんでしょ?」
正月イベントでいろいろと催し物があるとかで、晴嵐自身スラロームのタイムトライアルに出場するのだと言う。
この日、春鹿は十数年ぶりにスキー板を履いた。ウエアもレンタルした。
四人乗りの長いリフトの途中で、晴嵐はポケットに入っていた飴をくれた。二つくれた。
枝木に雪を積もらせているだけの寂しい山肌にアップテンポの音楽がこだましている。
晴嵐と上級コースまで上がった。
頂上はマイナス十何度と表示されていて、しかし冴え渡る冷気には清々しさがある。
そこまで晴天率の高いスキー場ではないのだが、この日は晴嵐も「稀に見るいい天気だ」と言い、斜面に立つと真っ青な空と真っ白な山々が見渡せた。
ずいぶん下にふもとのレストハウスが見える。遠くを望むと湖や街も見える。
春鹿もそれなりには滑れるが、上級者向けのコブを降りるのは久しぶり過ぎて怖かったし、何度も転んだ。
「おいおい、大丈夫が?」
晴嵐がからかうように笑う。
こけて起き上がるのに、晴嵐が差し出してくれるのはストックだ。手ではなくて、春鹿はそのストックを掴んで引っ張って起こしてもらう。その動作が、春鹿はなぜかとても好きだった。
何度もこけてみては、引っ張ってもらった。
晴嵐が参加するレースはもちろん本格的なものではないけれど、それなりにポールも立っていて、コースは一般客の立ち入りも制限されていた。誰でも参加できるらしい。競技スキーをしている地元の中学生や高校生の参加者もいた。
園子たちに新年の挨拶をして、もみの木の前で一緒に観戦した。
スキー競技の観戦は、マラソンの沿道で走る選手を応援するよりも短い一瞬で前を通り過ぎる。
春鹿が見た晴嵐の滑降は一秒くらいで、あとはぐんぐん滑り降りて行く背中だけが見えた。
晴嵐のタイムは、シニアの部の優勝だった。優勝者には月桂樹の冠が贈られた。
晴嵐と一緒にもみの木で名物の煮込みハンバーグを食べて、カフェ・バーチでコーヒーとケーキを買って、キッズイベントの雪合戦には春鹿も参加した。
白銀村に帰ったら晴嵐は休む間もなく、今度は吾郎と猟友会の寄合という名の飲み会に出かけていった。
鏡を見ると、顔が雪焼けで赤くなっていた。
「やばい! ホワイトニングのパックあったかな!?」
体もあちこち痛い。
一位になってもらえた月桂樹の冠を「いらね」と晴嵐がくれたので、思いついて、洋菓子の箱の包装に使われていた銀のリボンを出してきて結んでリースにしてみた。
その真ん中に、銀の鹿のオーナメントを吊るす。
「お、なんかいい感じ」
居間の砂壁の、砂利酒店と名前の入ったカレンダーの横に画びょうを挿して、それを飾った。




