13.年の瀬
田舎の年末は忙しい。
昔ながらの神事や農耕儀礼が数多く残っていたり、自然崇拝が強く、縁起担ぎやしきたりを重んじる生業も多いため、古来の言い伝えのとおり慣例のままに行事が執り行われている節がある。
前時代的かつ精神的なものばかりで、金をも出さなければならない。
春鹿には実益を兼ねないように思えるものばかりだった。
「この文明社会で、誰も疑うことなく非文明的なことをクソ真面目にさ! 時間もお金も無駄!」
腹立たしげに言う春鹿に、晴嵐は冷静だ。
「無駄だど思っで止めだとして、次の年が不作であったり不猟であったりするど、あれしねがったはんでだってなる。残念な結果がただの偶然の結果であったどすても、人間っていうのは悪い方さ結びづげだがるす、悪い結果の方が目に付くはんで、誰もやめらぃね」
「でもそういうのって時代に合わせて誰かが変えていかなきゃいけないんじゃないの? しめ縄しかり。私、スタイリッシュでモダンなやつ、せっかくネットで頼んだのに」
晴嵐が春鹿の家の土間で使い古しの風呂椅子に座ってしめ縄を編んでいるのを、春鹿は、式台のストーブの前で丸くなって不貞腐れながら高見の見物だ。
『スタイリッシュでモダン』なしめ縄が、開封されたばかりのダンボール箱から顔をのぞかせている。
晴嵐が作っているのは田部家が正月を迎えるためのしめ縄だ。
吾郎は年末に帰った時に編むと言っていたし、なんなら『スタイリッシュでモダンな』しめ縄でも構わないと言っていたと伝えたのに、吾郎を待っていては遅いし、それではダメだと作り始めた。
「てゆーか、マジでいいから。数の子届けに来てくれただけじゃん。忙しいんでしょ」
「すぐだがら」
晴嵐が縄をぐっと締めるとき、力を入れる白い息が見える。
この辺りでは、正月にしめ縄を飾ることが絶対とされていて、例えば飾らなかったり、買ったものを飾っていたりしても口さがなく言われる。
しかもそれは立派であれば立派なほどよろしく、それを担う業者も存在するくらいだ。逆に三滝家などが貧相なものだったりするとそれはそれで言われるので、そこは工芸を生業とする家業のプライドなのか、腕の見せ所とでもいうのか、どこぞの神社かと思うような太いものが飾られていた。千世と戸田の力作らしい。
晴嵐はふと手を止めて、「ばって」と呟いた。
すぐまた作業を再開しながら、
「山や自然相手に暮らすてらど、ほんに人知超えだ力ってものに遭遇するごどがある。不思議で、科学的に説明もでぎなさそうなごどがたまに起ごる。だはんで皆、おろそがにすねんだど思う」
「ふーん……」
それに関しては春鹿も、マタギの山岳信仰の絶対さをよく知っている。ルールも禁忌も多いが忠実に守る。おそらく吾郎も、他の猟師たちも、みんな何かしら自然の畏怖や超常現象を体験したことがあるからに他ならない。
「でも、しめ縄はただの見栄でしょ」
だいたい、春鹿の家は行き止まりなので通りかかる人もいなければ、吾郎も不在がちなので訪ねてくる人もいない。
「何を飾っててもバレないじゃん! そもそも、何を飾ろうとうちの自由じゃん!」
「郷に入れば郷に従えだ。吾郎さは柔軟で革新派で、おめの意見を尊重すてける器の大ぎい人だべさ、ばって村の人に悪ぐ言われるのは吾郎さだがらな。それはおめも嫌だべ?」
何も言えず、春鹿は黙るしかない。
それでなくとも、春鹿のことも出て行った母のこともあって、田部家はいろいろと言われがちな家なのだ。
「……ホント無駄。くだらない。しょうもない。だから嫌なのよ、田舎は」
「知っでるよ」
晴嵐は口許だけで笑った。
「まあ、いづがねぐなるから。そのうち、こごに住む人がいなぐなれば、こんな風習もなぐなる」
「そんな百年先のことじゃなくて、私の目が黒いうちにこの風習なくしたいの!」
「わがっだ。いつか村が俺だけになっだら、買ったしめ縄さ飾るべ」
「そういうことじゃないんだって!」
出来上がったしめ縄を玄関に飾った写真を吾郎に送ると、こんな立派なのを作ってもらってありがたい、せいちゃんに酒でも買って礼をしないとな、と返事がきたので、吾郎が喜んでいるのが文面からでもわかった。
意地になって『モダンでスタイリッシュ』なしめ縄を飾ることにしなくて、やはりよかったのかもしれないと、しょんぼりした春鹿だった。
*
『ミスアップルが今工房に来てます!』
戸田からメッセージが送られてきたので、リモートの仕事をさぼって春鹿は興味本位でこっそり見に行った。
こっそりといっても、雪道をぼすぼすと音を立てて大股で歩いて行くので、抜き足差し足というわけにもいかないが、そもそも誰も外など出歩いていない。
降る雪をかぶりながら三滝家に着くと、庭に黒塗りの乗用車が停まっていた。
豪雪の限界集落と高級セダンの組み合わせは違和感がある。
勝手知ったる裏口から入って中を覗くと、簡易的な応接セットで、晴嵐と黒スーツ姿の女性が話をしていた。珍しく師匠の姿も見える。
顔を出しすぎたのか戸田が気づいて裏へ下がってきてくれた。
「年末の挨拶に来てくださったみたいです」
「ふーん」
千世はお茶出しをしたのか盆を持ったまま、後ろで正座をして話を聞いており、杉林は我関せずで、マイペースにいつもと変わらず作業中だ。
「三滝せんせのどごろは新すいジャンルさ銀細工取り入れでおらぃで、販路も独自さ広げらぃでいで、県下の工芸業界は見習わねどいげねーです」
言葉こそ地方丸出しだが、確かに顔は、ぱっと花が咲いたような美人だ。育った環境のせいなのか、帰国子女だからなのか、田舎臭さはまったくない。
萬さんが話の中で、
「大賞、取りでぇね」
と言ったのが聞こえたので、戸田を視線で窺うと、
「『伝統工芸芸術賞』っていう大きなコンクールがあって、ランさんのやつが入選してるんです。大賞の発表はまだなんですけど」
「それってどれくらいすごいの?」
「入選でも十分すごいですけど、大賞ってなったらスゲー! って感じです」
「その説明、すごさ全然わかんない……」
「美術誌の表紙飾ったり、全国の有名美術館で単独展示させてもらえたり? 大賞ってなったら外国とかに行く機会も増えるだろうし、とにかく知名度、爆上がりです」
「入選したことも知らなかった」
「まあ、業界の人以外に言っても『なにそれ?』ですからねー」
「それもそうだけど……」
確かに、晴嵐に報告されたところで、「ふーん」くらいにしか思わなかっただろう。
「で、取れそうなの? 大賞」
「作品を作るときから、傾向と対策みたいなのは、萬さんと相談されてましたけど……」
「そういうのがあるのんだ。美大の受験みたいな?」
「いや、俺もわかんないっすけど……。他の工芸品とも競うわけで、実際、大賞ってなると取れたらまじやべぇってレベルですし……。生活が変わるかもしれないですよ。ランさんビジュアルもそこそこなんでテレビ出たり、するかも!? やべーじゃん! ま、大賞でなくても部門賞とか副賞もあるんで」
そうこうしているうちに、萬さんは丁寧な年末の挨拶をして帰って行った。
裏口でこそこそしていた春鹿を晴嵐の母のつる子が見つけて、いろいろと食べるものをくれていると、晴嵐にも見つかる。
「何すてんだ、仕事は? おめの家がら足跡ぐっきり残ってですぐ来だのがわがったぞ」
「ちょっとおばちゃんに用事で……」と今しがた頂いたばかりのものを慌てて見せる。
「ふーん。こっだなとごにいでると冷えるぞ。なんだ、おめ、雪ん子みてだな。めんごいぞ」
分厚い防水ジャケットのフードをかぶって、その中はマフラーをぐるぐる巻きにしている。下はだぼだぼの防寒ズボンに、長靴姿。
競う気もないが、さきほどの萬さんとの装いとは大違いだ。
「……嫌味に聞こえる」
「は? 何がだべ」
「もう帰るし。……てゆーか、さっきの元カノなんでしょ」
「……一応?」
「きれいな人じゃん。普通にもったいないと思った」
率直な感想だ。田舎に慣れていて、家の格も合って、家業への理解もある。力になれる知識もあるのに。
晴嵐は軒下に出て、煙草に火を点けた。
煙草の煙と白い息の見分けがつかないほど寒い。
「縁がねがったんだ。有能な人だがら、こった小さな工房のおかみさんにすてしまうのは可哀そうだしな。向こうの家も工芸家だがら家同士のづぎあいも難すくてあったど思うし」
「そんなごちゃごちゃ考えてたら結婚なんかできないって」
「だがらできてねんだよ、ほっどけ」
「賞とか……、入選してたのも、初めて聞いたよ」
「しゃべったどごろで」
「確かに興味なかったし、結局言われても何もできないけど……! 応援くらいはしたいじゃん。取れそうなの?」
「……取れねだろな。ばって、でっけ賞だはんでな、取れだっきゃ嬉すいばって」
「そっか……。取れたらいいのにね」
心から思った。
やりたくないかもしれないことも、ここに住んでいなければやらなくて済むことも、腐らず、文句も言わず、立派に勤め上げている晴嵐に、ご褒美があってもいいのではないかと思ったのだ。
晴嵐がタバコを消す。
いつもここで吸うのか、ちょうどいい場所に錆びた灰皿が置かれてある。
からん、と簡素な金属の音が鳴る。
しんしんと、青い雪が降っている。
寒さで足が、痺れていた。
「取れたら、おめば嫁にする」
「え」
「どうだべ、それでも俺に大賞さ取っでほしいが?」
「え、なにそれ……」
春鹿がわずかに後ずさったせいで、じゃりと長靴が砂を噛んだ。
「驚きすぎだべ?」
おいおい、と苦笑しながら、晴嵐はその場にヤンキー座りをして、春鹿を見上げる。
「だって、いきなりびっくりすること言うから……」
「俺の気持ぢは知ってらったべ? 喋っただろ」
「それは……知ってる。いや、だから、この前も好き嫌いの問題じゃなくてって話になったでしょ。結婚とかは現実問題、無理な話で……」
「そったなごと全部どうでもうい。関係ね。もっど簡単な話だ、俺が賞さ取っでもいいがどうか」
真剣な声色で、晴嵐が念を押すように聞く。
「そ、そりゃ取ってほしいよ。取ってほしいに決まってるじゃん! それはもちろん、そうだよ……」
「そしたら嫁にもらうど」
「それは……」
「そったに嫌か」
春鹿は声に出しては言えない答えを、首を横に振って態度で示す。
「……ズルいよ。そんな条件……」
晴嵐との暮らしは、きっと難しくない。現状と大して変わらない。
それなのに、『結婚した』晴嵐と自分の生活を、春鹿は見事なまでに想像できなかった。
なぜなのだろう。
案外悪くはないのだ。
不便な田舎暮らしも、ダサい格好も、古い風習も、晴嵐と一緒ならば、少なくとも楽しいと思っている。
それなのに、どうしてこんなに素直に飛び込めないのか。
自分は恐れているのだろうか。少しでも油断すれば押しつぶされそうになるこの雪を。閉ざされた白銀村を。壊れそうに繊細な銀細工を。閉鎖社会を。結婚を。愛を。率を。そして、晴嵐を逃げ場所にしてしまうことを。
軒下から見渡す山が、降る雪で白くけぶっている。
雪は音を飲み込み、降る雪に音はない。
しかし、雪は空から地に舞い落ちた瞬間にかすかな音を立てる。
さく、さくと、木々に、葉に、山に、根雪に、雪に雪が積む音だ。
寒さの中で雪を眺めるときにしか聞くことはないその音を、しばらく聞いていた。
爪先のしびれも、指先の痛さも忘れていた。
「今年はいづの年にもましてよぐ降る」
よっ、と掛け声付きで立ち上がりながら、晴嵐が言う。
この土地で冬を過ごすことが久しぶりな春鹿は、例年の降雪がどの程度のものなのか知らない。今見る景色も、記憶のなかの景色も、春鹿にはどちらも変わらない。とにかく一面の雪でしかない。
しかし、晴嵐には春鹿の知らない白銀で越した十六回の冬がある。
「ばって、もっど降ればいいなんて思うのは初めてだ」
「……もっと降ったら困るよ」
「ああ、その通りなんだども」
「だったらなんでもっと降れなんて言うのよ」
「そりゃア、もっど降っで、もっど積もっで、春が来ても雪さ解げねで、おめがどこにも行けねようにここに閉じ込めてしまいてなって。そっだな自分勝手な願い、怒らぃるな」
すれ違うとき、自嘲的な笑みを浮かべる晴嵐と、目は合わなかった。
「……賞、取りてな」
呟くように言って、晴嵐は工房に消えていった。




