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ただいま、白銀村(2)

 春鹿が白銀村に帰ってきて、三日が過ぎた。

 東京からの段ボール箱は届いたが、それを荷解きするでもなく、自室の模様替えに着手するでもなく、日常の掃除洗濯をしたくらいであとは寝て過ごす。


 会社は五日間、有給休暇を取っている。

 新卒で入社した会社は辞めずに済み、昨今の制度化された勤務形態を時短のリモートに切り替えた。

 給料は下がるが、仕事と実家、両方を選べたのは幸運なことだ。

 東京での仕事を今も続けられているというのは、実家に戻ると決めた白鹿にとって唯一の矜持だった。

 裏をかえせば、いまも都会を捨てきれないでいることの表れでもあったが。


「お腹空いた……」


 起きたままのスウェット、Tシャツ姿で土間に下りた。

 リフォームを一切していないので炊事場(キッチンと呼ぶなどおこがましい)は土間にある。わざわざ靴かつっかけを履かなければならないし、冬は冷える。


 洗いかごに伏せてあった湯飲みを手にして、水道を捻る。

 浄水器のついていない蛇口から出る水道水をそのまま飲むなどいつぶりだろう。


 全室和室の平屋建て。築年数はもはや不明。

 太い丸太の梁が通って、いろりも使ってはいないが存在はしている。

 段差が多くて、年寄りでなくとも三日でつまずいた回数は数えきれない。

 足が不自由になった吾郎もおそらく暮らしにくいに違いない。


「なんかないかな……お、菓子パンかぁ」


 食器棚の中においてあったあんぱんが目に入る。

 冷蔵庫の中は割と充実していた。

 週に一度、移動販売車がくるのと、父も随時買い物に出ているようだ。

 特に今回は娘が帰ってくるのでいろいろと購入したらしい。

 しかし、いかんせん内容が庶民的すぎる。ただ、それらのチョイスが春鹿の高校生の時代のラインナップのままなのが切なくて、文句は言わないでおいた。

 別段東京でセレブ生活を送っていた春鹿ではないが、料理を作るのは好きな方でそれなりに食材にもこだわることをしていたし、それが東京にいた頃は都民スタンダードだったのだ。


「袋パンなんて何年ぶりだろー。あんぱんには牛乳だよね」


 居間で見たくもないテレビをつける。

 キー局の情報番組。東京のおいしいカレー屋を特集している。

 こんな遠い世界の話題を、この辺りの人はどう思って見ているのか。

 行ってみたい、今度行こうと思っては見ていないことは確かだ。


 ここ数日、興味がわかずにSNSを追う事も、なんならスマホを見る気もしないでいる。


 地元には今もつながりのある友達はいない。このまま半分引きこもりのような生活をしながらひっそり暮らそうと思う。

 昔の自分と今の自分、東京と白銀。

 現状に、上手く落とし込める自分を見つけるまでは。


 隣の家と百メートル近くは離れているし、春鹿の存在に気づかれることもないだろう。洗濯物は裏に干して。


 あんぱんをちびちびちぎって食べていると、ピンポンと安っぽいチャイムが鳴った。

 都会人である春鹿は在宅時もきっちり施錠し、カーテンも引いている。

 居留守は考えるまでもなく決定事項だが、トラックの音がしなかったので宅配業者ではないし、どうせ近所のジジイかババアが畑でとれた野菜でも持ってきたのだろう。父の軽トラックがないので不在だとわかるはずだが。


「えぇ……誰よ……?」

 

 しつこく鳴るチャイムの音にも動じず、都会魂でシカトと決め込むが、いかんせん平屋はマンションのように玄関と部屋が遠く離れていない。ドアモニタもないので誰の訪問かを確認できない。どことなく不安が募る。

 念のため居間で息をひそめていると、今度は縁側のガラス戸が叩かれた。


「ひっ……何っ、誰っ!?」


 厳しい寒さのためさすがにそこはサッシの二重ガラスだが、身が強張る。

 立ち上がり無意味な逃げの態勢をとったところで、


「おい、春鹿!」


 カーテンの向こう、窓の外から男の怒鳴り声が聞こえる。


「え、せ、晴嵐(せいらん)……?」


「いるんだべな? わがってらんだぞ! 開げろ!」


「えっ!? なんでバレて……」


「早ぐ開げねと裏の勝手口がら入るぞ! 鍵の場所、昔と変わってねえの知ってらんだぞ!」


 縁側のカーテンの合わせから、片目で覗ける分だけの隙間を開ける。

 五センチに満たない間からこっそり覗いたはずなのに、外で仁王立ちになっている男とばっちり目が合ってしまった。


「やっぱりいだな。おら、早ぐ開けろ!」


「……はい」


 掃き出しのサッシ窓をカラカラと力なく、少しだけ開ける。

 しかしまだ身体はカーテンに隠したまま、顔だけ出しての応対だ。

 なぜなら、春鹿は起き抜けのヨレヨレTシャツに伸び伸びスウェット姿。おまけにすっぴん。

 幼馴染も伸び気味の髪に、伸び気味の髭、Tシャツに短パン姿に草履履きで春鹿と大差はなかったが、十六年培ってきた都会プライドが許さない。


 三滝晴嵐(みたきせいらん)は村で唯一の同級生だ。

 高校時代の線の細さはすっかりなくなって、がっしりした体つきになっている。

 と言っても、十六年ぶりの再会というわけではない。

 帰省したときに見かけたり、言葉を交わすくらいはしている。


 一生田舎で燻るにはもったいないような、ワイルド系の男前は昔からで、高校時代はヤンチャでチャラチャラしていて女にモテた。

 それがある頃から家業の銀細工の技術を継ぐと言い出して、強要されたわけではなかったらしいが、高校を卒業すると同時に父親に弟子入りし、驚くことに今日までまじめにやっているらしい。


「……なんでわかったの?」


「まず、おっちゃんが二晩も飲みに行っでね」


「え、父ちゃんってば、ジャリさん家に毎晩飲みに行ってたの?」


「がと言っで、仕事には毎日来でるがら、体の調子が悪いっでわげではねし」


 吾郎が毎日のように飲みに行っているらしいのは当然飲み屋などではない。飲み屋など白銀にはない。昔、酒屋っぽいことをしていた村の個人宅に、集落ののんべぇたちが夜な夜な集まっているだけの話だ。

 そして、今吾郎は働きに出ている。農協で、足が悪くてもできる簡単なお仕事を紹介してもらったのだ。


「宅配便屋が、おめの名前でこのうぢさ、でっげダンボール箱さいぐつも届いでたっで言っちゃー」


「えー! なにそれ、職務上の守秘義務違反でしょ! プライバシー大事!」


「んなもん、こったな田舎であるわげねーべ。どこにどこがら何が届いだがなんて全部筒抜けだ。置き配指定も意味ねえぞ。ここさ普通に何年も前がら留守なら勝手に荷物さ置いていがれてる」


「今度から荷物はコンビニ受け取りにする……」


 この辺りに受け取り可能なコンビニが指定できればだが。


「んで、様子さ見に来でみりゃ玄関の鍵もカーテンも閉まっでる、クーラーの室外機さ動いでる、洗濯に女モンが干しである」


「洗濯もの? 裏に干したのに見たのっ!? やだ、痴漢! 変態! ストーカー!?」


「おら、観念しで開げろ」


 春鹿はしぶしぶカーテンを引いた。

 もう少しちゃんとした格好で髪も巻いてメイクもした状態で、晴嵐と再会したかったがいろいろと手遅れだ。


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