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10.反撃開始

 チャイムが鳴ったので玄関を開けてみれば、晴嵐がいた。


「春鹿、荷物だベー」

 

「……だから、なんであんたが配達してくるのって話」


 ダンボール箱をいくつか抱えている。

 両手がふさがっているので、足で器用に間口を広げ、

「何度も言ってら。こごまで配達の車で入ってきたら⋯⋯」


「あーあーあー、もういい、いい。みなまで言うな。あ、荷物、そこに置いておいてもらって結構です。ご苦労様ですー」


「重いべ? 家の中さ運んでやろ」


「いいです。大丈夫でーす」


「なして。遠慮さいらね」


「おーい、ストップ」


「あ?」


 荷物を抱えたまま敷居を跨ごうとした晴嵐を、真顔の春鹿が阻んだ。


「あんたこの家、出禁だから」


 玄関口の晴嵐にそう言い残して背を向ける。


 春鹿は台所に立っていて、タ食の支度中だったのだ。作業を再開する。

 言いつけ通り、晴嵐は敷居を跨がず玄関わきに荷物を置いた。

 ポケットを探り、何の迷いもない動作で煙草の先に火を点け、

「あったの都会じゃ挨拶みてなもんだべさ?」

 と言って、曇りがちな寒空に向かって煙を長く吐き出す。


 どこの都会に行けば、あんな挨拶があるのか知りたいものだ。

 挨拶にしてはずいぶん濃厚で執拗なキスだったとの文句は心の中で言う。


 この土間で晴嵐にいきなりキスをされた日から二日が経っていた。


 あの夜、なかなか逃してくれようとしない晴嵐を、春鹿はやっとのことで突き飛ばした。


「なにすんのよ!」


 わななく春鹿をよそに、晴嵐は「今日は帰る」と意味深ともとれる言葉を残して、すたすたと帰って行った。


「……は? ちょ、待ちなさいよ! 意味わからん!」


 近くて遠い東京のことも、つい数時間前まで東京で過ごした時間のことも、一切吹き飛んでしまった。

 それから、悶々とするすること約四十時間。

 どんな顔でどんな理由をつけて謝って来るのかと思ったら、謝罪どころか弁解も弁明も一切なしで、何もなかったかのように現れた。


「うちの周囲五十メートルは路上喫煙禁止区域なんですけどー」


 風に乗って、家の中に煙草の煙が入ってきたので晴嵐を睨む。

 吸いかけの煙草をポイっと足元へ放って、踏んで消した。


「もうしねよ。断りもなくは」


「……断りあっても、二度と許さん」


「なしてだ?」


 真正面から問われて、春鹿は答えに詰まる。


 答えに詰まった春鹿の様子を見つめること数秒、

「よっごらせ」


 晴嵐は足元に積んだ荷物を再び持ち上げた。


 今度はためらいなく、土間に入ってきて

「だからー、いろいろ問題アリなんだけど!」


「一番上のクール便さ、牡蠣が?」


「あんたに食わせる牡蠣はないよ! てか話逸らすな!」


「いな、俺も食いで。吾郎さがいる時なら俺が来でも構わねだろ。晩メシ来るがら。じゃな」


「だから! ちょっと!」


 結局、晴嵐は夕飯時に軍手持参でやってきたかと思うと、薄暗い土間で七輪の炭を熾すところから春鹿と吾郎に加わって、焼き牡蠣を食したのだった。


 それからというもの晴嵐は、ある日には木箱に入ったたくさんの林檎を抱えてやってきて、

「収穫さ手伝いに行っだら、がっぱりんごもらったはんでアップルパイ作っで」


「は? なんで」


「アップルパイ、俺の好物だべ。知らねがったんか?」


「……知らんよ」


 そして、またある休日には、

「そろそろタイヤの履ぎ替えしねとな。作業の間、モールまで行って映画でも観るべ」


「え、電話一本で車取りに来てくれたりするんじゃなかったっけ、浦谷自動車」


「持ち込みすっど工賃半額だべな」


 狩猟が解禁になると、

「猪さ、獲っだ」


「え、ありがと! これは嬉しい」


「今夜は鍋で決まりだな」

 

「え?」


「六時ごろ来る」


「……あんたも鍋食べんの?」


「鍋は三人以上でねと始まらねだろ」

 と、猪肉だけでなく晴嵐ももれなくついてきたり、

「おい、冬支度しに行くぞ」


「……何、こんな朝っぱらから……」


「おめ、長靴も手袋も防寒服も持っでねだろ。何年も冬さ帰っで来でねんだからホームセンター行くべ」


「ホームセンターで売ってる服なんか買いたくないよ!」


「最強のヤッケさ売っでるで。チャラチャラしだ服で白銀の冬さ越せるど思っでんのが。死ぬぞ」


「絶対やだ!」


 *


 しんと凍える夜道を、春鹿は晴嵐の家に向かう。

 風はなく、音はない。

 吐く息は口から出た瞬間、真っ白な固まりになって、星空へ消えていく。

 ぞっとするほどに真っ暗な空に輝く星がきれいだ。


「おばちゃん、おばんです」


 裏口を勝手に開け、台所で夕飯の片づけをしていたつる子に声をかける。


「あらぁ、ハルちゃん」


「今日、六ツ美とうちでシュトレン焼いたの。おすそ分け。クリスマスまで持つから」


「どうもねぇ。美味しそ。クリスマスまで待でねで食べてしまうかも」


「その時はまた焼くよ」


 春鹿はちらりと視線を動かしてから、「晴嵐は?」と尋ねた。

 一昨日から姿を見ていない。


「ああ、工房さいるはずだべ」


 つる子に「ちょうどよかった」と晴嵐に夜食を持って行くように頼まれ、トレーを預かった。


 母屋から通じる方の入り口からそっと入ると、晴嵐は一人で作業をしていた。

 普段、春鹿がここを訪れることはない。千世がいい顔をしないし、そもそも顔を出す用もないからだ。


 晴嵐は春鹿に気づかず、手元を照らすライトの下で細かな作業をしているようだ。

 横から窺うその目が真剣で、少し眩しい想いでその姿をしばらく見つめていた。

 しかし、ことりと物音が立ってしまったらしく、晴嵐が顔を上げた。


「ごめん、邪魔した」


「春鹿? 母ちゃかど思っだ」


「夜食、頼まれた」


「どうも」


「ねえ、作業見てていい?」


「いいけんど……おいおい、散々馬鹿にしでたけんどちゃっかり着てるでねか」


 指摘されて、春鹿は自分の姿を見下ろす。

 先日、ホームセンターで購入した晴嵐イチオシの防寒上着だ。


「いや、ほんと、これ温かいっす」


「だべ。オシャレとか見た目なんか気にしでられね寒さよ」


「うん、確かに。だんだん思い出してきたわ、現実を。今も雪降りそうな寒さだった」


「まだ降らねべ。見るなら、ストーブの前さ、いろ。こごは冷えるべな」


「うん」


 春鹿はスノーブーツを脱いで上がり、カンカンと音を立てる石油ストーブの近くに座る。

 かけられたヤカンの湯がシュンシュンと音を立てている。


 晴嵐は田部家の出入り禁止令などどこ吹く風で、一日一回は何らかで顔を見せるし、二日に一度は春鹿の家で夕食を食べるまでになっている。

 しかし、最近仕事が忙しいらしいことは常々こぼしていて、実際音沙汰がなかった。


「スキー場が開いだら忙すくなるべな」


「え、なんで?」


「バイトさ行ぐ」


「スキー場の? ええ? 晴嵐も行くの? 父ちゃは昔、行ってたことあったけど」


「スクールのインストラクターの方がよっぽど儲かるべ。従業員に少しはボーナスも出さねといけねし。貧乏暇なし。おめにも構っでやれねぐなるわ」


「むしろ構わないで欲しいんだけどね。って、工房の経理的なことも晴嵐がやってんの?」


「やってねけんど、台所事情ぐれは把握しでる」


 晴嵐が今、どんな工程の作業をやっているのかはわからないが慣れた手つきで細い銀の線を操りながら呟く。


「戸田と千世には銀細工さ専念させてやりでぇし」


「……晴嵐、えらいね」


「なんも。銀細工だけで十分食ってげる職人だったらそれは偉いけんど」


 春鹿はただ黙って首を振った。

 実際、晴嵐を十分尊敬している。

 現状やこの白銀に不満があるのかないのか、それはわからないけれども、置かれた場所で立派に咲いている。

 ただ、春鹿が嫌いだからと逃げたその場所で。


 何もかもが中途半端な自分とは大違いだ。


 

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