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9.大都会の海に沈む(3)

「先に帰っていいって言ったのに。待ってくれてたの?」


 東京駅で待ち合わせた春鹿は言った。

 晴嵐はバックパックを背負い、「ばなな」の土産が入った紙袋を二つも三つも提げている。


「何もせずに、ただおめば待ってあったわげでね。俺にだって東京で仕事さある」


 春鹿は肩をすくめ、

「どうにも、あんたと仕事がまだ結びつかないんだよねぇ。高校ん時のチャラチャラしてるイメージが強すぎて」


「そりゃ、東京みでに毎日ネクタイ締めで通勤するような仕事でねはんで」


「それでも、ちゃんとこの前のイベントで見たのに。晴嵐の仕事」


 春鹿は、ホームに入って来た新幹線の風圧に舞った髪を押さえながら、呟いた。


 ドアが開くのを待って乗車する。指定席の番号を確認しながら、晴嵐は春鹿のスーツケースを荷物棚に載せた。


 発車時刻までまだ時間はあるにしても、車内は空いていた。春鹿たち以外は一人客ばかりで、話し声は聞こえない。

 東京駅の喧騒から切り取られたような空間だ。


 席に座るやいなや春鹿はさっき買った駅弁をテーブルに置いた。


「あー、疲れたー」


「おつかれさん」


「私、お弁当食べるけど、晴嵐は?」


 春鹿が晴嵐を向く。確かに、夕食にはまだ早い時間だ。ましてや、まだ発車もしていない。


「食う」


「んじゃ、一緒に食べよ。いただきまーす! 晴嵐のお弁当なんだっけ?」


「深川めし。おめは?」


「牛肉弁当」


「がっつり肉だべな」


「うん、がっつり肉だべ」


 食べ終える頃、すでに車窓の景色は時速300キロに流れていた。

 腹が満たされて落ち着いたのか、春鹿がぽつりぽつりと話始めた。

 テーブルには食べ終えた弁当箱がゴミとなって置かれている。


「昨日は、なんか、ごめん、ね」


「なして謝る? 元ダンナだ。行って当然。何も謝るごとはねぇ。でダンナさ、どうだった?」


「薬も食べるものもなくて死んでた」


「今日は、もう行ってやらねでよがったのが?」


「うん、朝にはもう三十七度台まで下がってたし。薬も食料も買って置いてきたし、あとは自分で何とかできるでしょ」


 晴嵐は少し黙ってから「そうが」と答える。

 春鹿も少し沈黙したあとで、

「……そもそも、行って正解だったのか、迷ってる」


「ついこの間まで夫婦であったんべな。行って当然だべ」


「そうかな……」


 春鹿は頬杖をついて、窓の外を見た。

 物思いにふける春鹿とはうらはらに、びゅんびゅんと音を立てて景色は後退していく。

 

「『円満離婚』っでのは、今も夫婦って意味が?」


「ううん、違う」


「吾郎さのこどがあっで、いずれ、また夫婦に戻るがら『円満離婚』なのが?」


 春鹿はペットボトルのふたを開け、「違うよ。戻らない」と言って、一口飲んだ。

 袋に弁当のゴミを集め始める。


「早く村に帰りたいなんて、今思ってるから心境の変化ってすごいよね。……寝る。昨日、全然寝てない」


 晴嵐を振りかえってそう言うと、ゆっくり目を閉じた。



『春鹿たちは、すごく仲のいいカップルだったの』


 晴嵐くんには話胸糞悪い話だけど、とA子は苦笑しながら話し始めた。


「率もいいやつでね。お似合いでいつも楽しそうな二人でね。うちの旦那とも『あんな夫婦でありたいよね』っていつも言うくらい」


 でもいつからか、率に対する春鹿の笑顔が『微笑み』になっていることに気づいたという。


「なんて言えばいいのかなぁ、子どもを見守る母みたいな。まあ、結婚してそういう愛情に変化したのかなって思って見てたんだけど、だんだんなんか違うなって。春鹿は、笑ってるけどどこか寂しそうなの」


「……ダンナさ、何がしたのか? 浮気どが……」


 A子は首を振り、

「それはないと思う。子どものことかなって思って、『できないの?』って聞いたことあるんだけど、そのことでは悩んではなさそうだった。嫁姑とか、……もしかしたらDVかもしれない。率からはそういうニオイはしないし、春鹿にそんな気配もなかったし……、まあでも、外からではわからないからね」


「DV……」


 表情を強張らせた晴嵐に、A子は慌てて、

「違うよ! なんの証拠もないし! あくまで可能性の一つとしてね」


「なんにせよ、春鹿さ結婚がうまぐ行っでながったってごとか」


「うーん。……上手く行ってないって言いきっちゃうのもまた微妙なんだけど」


 手元のグラスの氷をカラカラと鳴らしたA子は、

「でも結局、別れちゃったから、そういうことなんだろうね」


「円満離婚だと春鹿は言っでいた」


「お父さんの足の事で離婚理由をちょっと尤もらしく繕ってたけど、私が春鹿がなんか変だなって気づいたのはお父さんの事故よりも前だった」


「事故はきっかけにすぎながったってごどか」


「だって、好き同士ならわざわざ別れはしないでしょ。仕事もあるんだよ」


「……東京の恋愛さ、難しいんべな」


 晴嵐がそう零すと、A子は大きな声で笑った。


「白銀村も十分難しそうだけど?」


「田舎はもっど原始的で単純だ」


「原始的? どんなの?」


「限られだ中で恋愛さ始まって、そうすたら女が男さ嫁いで、男ば働いで、女ばそれさ助けで、そのうぢに子どもが産まれで、みんなで育てる。それで上手ぐおさまっでる。ばって、春鹿やA子さんがらすれば時代錯誤な生き方だべ」


「……そうだね。普通に、そういうのにいささかの反発を覚えちゃうようになってるから、私は立派に今どきだ」


 A子は腕時計を見て、そろそろ行こうか、と言った。



 白銀村に着いたのは二十二時だった。

 東京から帰れば、ただの夜も闇にしか見えない。

 春鹿の家の庭に車を停める。

 山の夜はしんしんと冷えていた。見上げれば星が見える。


「父ちゃん、ジャリさん家行ってるって。駅弁あるのに」


 晴嵐は、春鹿が家の鍵を開けるのをその後ろで待った。 

 一眠りした春鹿にもう憂いは残っていない。

 居間の明かりはついたままになっているようだが、留守らしい。


 カラカラとサッシの引き戸が開き、石油ストーブのにおいがした。


「はー、ただいまー。つかれたー」


 スーツケースに敷居を跨がせ、春鹿はがつんと土間に置いた。

 晴嵐も春鹿の後に続いて入る。

 特に荷物などを持たされているわけではないので、わざわざ家に邪魔する用向きはないが、入った。


 後ろ手に玄関の戸を閉める。

 そして、春鹿の腕を後ろから掴んで引き寄せると、閉めたばかりの玄関を背にして押し付けた。

 

「せい……」


 すべては言わせなかった。

 驚いた顔で見上げてくる春鹿の唇を目がけて、自分も押し付ける。

 予想通り春鹿の身体が囲いの中で抵抗を見せた。自由な腕で、晴嵐の身体を叩いて来る。


「んーん……! っん!」


 晴嵐は大きな体で春鹿を閉じ込め、一方的なキスで攻める。 

 いくら春鹿が抵抗をみせても、すでに経験済みの唇はいとも簡単に舌が絡みあう。

 晴嵐が満足して拘束の力を緩めた瞬間、突き飛ばされた。

 

「……ちょっと! いきなり何すんのよ!」


 涙目なのは怒りからか、熱情からか。

 後者であってほしいが、おそらく春鹿は怒っている。

 それも覚悟の上だ。

 

「おがえりのキスだべ」


「アホか!」


 A子に最後に言われた言葉。


『春鹿は、やっぱり何かを求めて村に帰ったと思うんだ』


 逃げ場所としてなのか、何かに疲れたからなのか、何かの傷を癒しになのか、それとも単純に老いた父との時間か。

 それは私にもわからないけれど、とA子は言った。


 A子がわからないものを晴嵐がわかるはずもない。

 経緯も真相も晴嵐にはわからない。

 夢を見たからと、そんな抽象的な理由で帰ってきたと本人は言った。

 しかし、実際に春鹿は帰って来た。

 それでも帰って来た、この大嫌いだった白銀に。


「なんで……」


 肩で息をしながら、手の甲で口を拭う春鹿を射抜くように見た。


「俺の愛情さ、受げどれ」


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