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9.大都会の海に沈む

「『馬子にも衣装』とが、そういうのはいらねがらな」


 東京に出張する日の早朝、迎えにやって来た晴嵐を見て春鹿は目を丸くした。

 ネクタイこそ締めていないがスーツを着ていたからだ。

 だからと言って東京のアパレルショップ店員のような細身でスタイリッシュなパターンのおしゃれ系スーツではない。だぼっとした形で野暮ったいのが何とも晴嵐らしかった。


「なんだべ? 惚れ直したが?」


 ふふんと得意気に言われて、冷めた顔で助手席に乗り込んだ春鹿は、

「確かにね、腐ってもスーツってところは少なからずあるよ。けど、いかんせん、軽トラじゃね」


「うるせー」


 まだ薄暗い中、息を白くする吾郎に見送られながら、車は出発する。


「あんたさぁ、素材は悪くないんだからもうちょっといいスーツ着たら?」


「だったら東京で一緒さ見でけ。俺さ店とがわがんねもん」


「時間があったらね」


 晴嵐は委託販売先のショップに行くほか、顔を出すところがいくつかあるそうだ。

 この晴嵐に、東京で顔を出すようなところがあるのか、どんなところなのか、春鹿には想像できない。そもそも東京に銀細工の需要があるのだろうか。


「品物置かせでもらっでる店もあれば、知り合いの工房もいぐつがあるし、見て回りたい工芸品もある」


「東京に? 江戸切子とか?」


「アホウ。切子以外にもいっぺあるべさ。認定されでる伝統工芸の数は東京さ一番多いんだべ」


「意外ー! 伝統工芸ってなんか地方のものってイメージ……」


「将軍様のお膝元だべ、いい職人が江戸に集められたんだろうな」


「ふうん……」


 春鹿は伝統という言葉が嫌いかもしれない。古くて地味。

『歴史』は否定しないし、『昔の技術』としては尊敬する。けれど、今の時代に昔のものを受け継いでいく意味はわらかない。昔のものは昔のものとして残ればいい。春鹿は『今のもの』が好きだ。


「おめ、ホテルさ取っでるのか?」


 晴嵐の言葉に春鹿は思い出したように、時間がなくてポケットに突っ込んできたままのピアスを取り出し、耳たぶにつけた。

 窓越しのサイドミラーに顔を近づけ、そこでアクセサリーとメイクの具合を確かめながら、

「ああ、会社の近く」


「俺もそごにする」


「え、なんで」


「おめは、東京っづーおっがね大都会で俺みでなか弱い田舎モンを放置プレーとは、なんづー冷たい女だべ。づか、田舎の幼馴染が出てきてんだべ。少しぐれぇ相手しろや」


「これまでだって東京に来てたんでしょーが」


「どごもがしこもうるせえし、せわしねし、言葉もわがらん、知り合いもいねー、メシも便所で食ってな……泣かへるべ」


「どこのぼっち大学生よ。大胆不敵なくせに」


 かかかと笑う晴嵐を見た。

 晴嵐の耳にもピアスがついている。

 高校の時、春鹿が自宅でピアッサーであけたピアスホールだ。男のオシャレはわからないが、春鹿にはイケてないように思う。田舎のヤンキーくさい。


「てか、今日の今日で部屋、空いてないかもしれないよ」


「んだら、取れだらそごにする」


「……じゃあさ、夜、ごはんでも行く?」


 春鹿は窓枠に頬杖を突きながら言った。

 ホームである東京に、見た目には全くか弱そうに見えない晴嵐がぽつんと立ち尽くす姿を想像して、庇護欲をかきたてられた。


「ほかに約束はねぇのが?」


「まぁ、先月会ったし来月もまた来るし……。ま、仕方ないじゃん、田舎の幼馴染がはるばる出てきてるんだから。ちょっとくらい相手してやらないと」


「んだば、仕事頑張んべがな」

 

 カッチカッチとウインカーの音がして、晴嵐が口笛を吹く横で春鹿は鞄からスマホを出した。

 かくして田町の駅に着くまでに、同じホテルに部屋が取れたのだった。


 晴嵐とは東京駅で別れた。

 心配で、雑踏の中に消えていく後ろ姿をしばらく見送っていた。

 晴嵐の歩く速さは東京のサラリーマンではないから春鹿にはすぐわかる。

 スーツにリュックは今や普通だけれど、晴嵐が背負っているとどうにも遠足感が拭えない気がする。村から出てきた者だとどこかで軽んじているからだろうか。


 春鹿は自分の乗り換える線に向かうため、踵を返す。

 思い出したように人の波からそれて、スマホを手にすると元夫の率にメッセージを送った。

 東京に来ているので、たとえば自署が必要なものなど急ぎの用があれば今日明日対応できる旨、連絡しておく。

 離婚に際し十分な準備期間を設けたわけではなかったので、いまだに「これはどうしようか」という案件が浮上してきて、円満な別れ方だけに、逐一相談しながら対処している現状だ。


「けじめ。やっぱり、そろそろつけなきゃなのかなぁ」


 春鹿は人の流れに合流する。

 スーツケースを引くと、キャスターが滑らかに加速するからだろうか、いつもより早く歩いている気がするなと思った。


* 


 迷子になったら仕事中でも構わないから連絡してと言っておいたが、晴嵐から電話はかかってこなかった。


 出社するとやはり忙しい。

 それでも、たまに本社に来たは浦島太郎状態で何もすることがないという状況よりはずっといいので、文句を言うつもりは毛頭ない。

 あっという間に定時は過ぎ、すでに二十一時前だった。


「春鹿、そろそろあがらない? 明日もあるんだし。ごはん行こうよ」


 A子がデスクにやってきた。


「今日は地元から幼馴染が来てるから無理だわ」


「えっ、なにそれ! 村の!? 幼馴染!?」


 すごい勢いで食いついたかと思うと空席の椅子を引き付けてきてどすんと座ったが、春鹿は視線はパソコンのモニタ、手はマウスを握ったままで、おざなりに応える。


「うん、未だに村から出て行ってない同級生がいるのよ」


「幼馴染って結婚式の髪飾り作ってくれた男!? 元カレじゃなかった?」


「そうそう、話したことあったっけ?」


「なになに、その展開!」


「いや、たまたま向こうの東京……出張? のタイミングと重なったの。あ、もうこんな時間か。さすがに待たせてるな」


 春鹿は壁の時計を確認すると、パソコンをシャットダウンし、デスクの上を片付けはじめた。


 晴嵐から何かメッセージが来ているか確認するためにスマホのロックを解除したところで、その画面に美しく手入れされた掌がさっと邪魔する。


「なに?」


 春鹿はその主を不審げに見上げた。


「私も一緒にご飯食べる!」



「春鹿の幼馴染で三滝晴嵐です。……よろすく」


「よろすくだってー!」


「方言男子イイ!」


 宿泊予定のホテルからも会社からもすぐの居酒屋で、晴嵐は両手に花以上の数の女性に囲まれて、卓上に集まったビールジョッキに自分のものをぶつけた。

 A子だけでなく春鹿の後輩二人も便乗して、結果テーブルには女四、男一。

 特に、春鹿の事を「田部主任」と呼ぶ後輩たちはテンションも高く、声も大きい。周りのテーブルもうるさく、半個室になっている席なので人目は気にならないが。


「主任、田舎に帰ってもこんなイケメン幼馴染さんいて退屈しないじゃないですか!」


「ワイルドさが、なんかイイ!」


 晴嵐の隠しきれていない田舎のヤンキー臭さえ今は刺激的に映るらしい。

 退色気味の金髪も、K-POPアイドルのようなカラーリングとは色味に天と地ほどの差がある。


「晴嵐くん、今夜はごめんね。お邪魔しちゃって」


 A子が晴嵐の顔をのぞき込むようにして言う。


「いんや、むしろ春鹿に感謝だべ。みなさん、女優さみでに綺麗な人ばかりで、東京来た甲斐ありましだ」


「いやいや、女優さんはもっと綺麗ですからー」


「なんで敬語。A子は同い年」


「あ、んだんず?」


「『んだんず?』」


 A子が春鹿を窺う。


「『そうなの?』って意味」


「うん、そうそう。私も同じ三十四歳」


 A子は得意顔で三本の指を立てて見せた。

 意外にも、モテ男の晴嵐も少しばかり緊張しているらしい。

 さすがは東京OLだ。


 春鹿が荷物を置きがてらチェックインし、そこで晴嵐と合流して店にやってきた。

 その時に「こんなことになってごめんね」と一応謝ったら「せっかく二人の夜をキメでけるべど思っちゃーのに」などとさっきまで生意気な顔で軽口を言っていたのに。


「晴嵐さん、どんどん飲んで下さい!」


「ああ、どもども」


「……ま。確かに、村で暮らしてたら東京女子なんて全員モデルみたいに見えるだろうねぇ」


 ちやほやされる晴嵐を頬杖で見ながら、しみじみ言うと、

「春鹿なんて毎日、ちょんまげに寝巻でうろうろしでるべな」


「うるさいな」


 春鹿は晴嵐から一番離れた席で不愉快な顔を作って見せる。


「晴嵐さんってお仕事何されてるんですか!?」


「銀細工を作っでて」


「職人さん!? かっこいいー!」

 

「晴嵐くんって結婚式のときに春鹿の髪飾り作った人でしょ?」


 A子が落ち着いた様子で尋ねた。


「そうでず」


「あれ、すごくきれいだった」


「ああ、あのキラキラしてた簪ですよね! 私も覚えてます。たしか田部主任の地元の伝統工芸品でしたよね。すごーい!」


「いや、別にスゴイわげじゃ……」


「でも、春鹿の花嫁衣装は覚えてないけどあれは覚えてるもん!」


「……どうも」


 晴嵐はめずらしく照れた表情になって俯いている。

 それから少し銀細工の話になって、食事が運ばれてきたので話題はいったんクリアになった。



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