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8.うつろうもの(2)

 晴嵐が家に着くと来客中だった。

 といっても、同じ白銀村に住む村田の奥さんが来て、玄関先でつる子と話し込んでいるだけだが。


「晴嵐おがえり」


「晴ちゃん、そっだなカッコで、どっかの手伝いにでも行っちゃーの?」


「ああ、吾郎さのとごの栗さ拾いに」


「あらあらそれはご苦労様。そう言えば吾郎さとごの春鹿ちゃん、離婚すてがえってぎでらんだってね」


「……みてだな。吾郎さの足のごともあっだがらな」


 言い残して、晴嵐は庭を抜けて裏に回る。


「んだべ。女の子はその点、頼りになるねぇ。男の子は仕事があるはんでながながこっだな田舎さ帰ってなんかぎでぐれねもんな」


 晴嵐が長靴を脱いでつっかけに履き替える間も、裏口にいても村田の声は大きいので聞こえてくる。


「吾郎さもはよがったよね。ハルちゃんが帰って来てぐれて。私らも安心だべ」


「春鹿ちゃん、わらすはいでねの? 結婚すて何年が経っちゃーんだべな? 春鹿ちゃん、せいちゃんと同じ年だべ? 孫連れて戻って来てけだっきゃ、もっとえがったばってね」


「うん、それはまだ二人であったみだいよ。今の人はそういうごとはゆっくりだはんでね。お仕事のタイミングもあるす……」


 離婚や出戻りに関して色々と言われるのは春鹿にも覚悟があるだろうし、同様の話は晴嵐もすでに何度も耳にしている。

 しかし子ども云々は普段は男の耳には入らないように言われていることで、聞いていて愉快なものではない。極めてデリケートでプライベートな話題であることくらい田舎者の晴嵐でもわかる。

 春鹿に聞かせたくなかった。憶測でなんであれ言ってほしくない。

 つる子もわかっていて話を打ちとめようとしているがなかなか難しいらしい。


「だったら、わらすがでぎねで離婚されだのがもすれねね。わんどの時代なんて三年子がでぎねがったっきゃ実家さ帰らされだもんだべ。それが原因だとすっど再婚は難すいべ。貰い手がねびょん」


 村田に悪気はない。好奇心はあるかもしれないが圧倒的には善意からの言葉で、しかし今の時代もこれが正論かつ常識として罷り通るのが田舎なのだ。

 それでも、春鹿は東京で生きてきた人間だ。


 晴嵐は裏口から上がり、家の中から玄関に向かった。


「春鹿ちゃん一人っ子だべ、吾郎さも寂しいねぇ。そういえば隣村で子どもさ置いて嫁さんが出で行っだ家があるけんど、その人、確か四十前だべ、春鹿ちゃんと似合いでねがね? もらっでもらえねびょんか聞いでみだらどうだろ」


「いやぁ春鹿ぢゃん、今はそったな気はねって帰っでぎだ時にしゃべっちゃーがら。そこまで村田さんがおせっがい焼がねぐでもいんじゃねかねぇ」


「すたばってもう若ぐもねんだし。この先も一人ってわげにはいがねべな。産めるうちに次の……」


「おばちゃん」


 晴嵐はポケットに両手を突っ込んだまま、話に入った。


「あら、せいちゃん、まだそっだなとごろにいたべか? なにどした?」


「春鹿のもらい手の心配ならいらね。やれ再婚だ

だっでなっだら俺がもらうがら」


「それはダメだべさ! せいちゃんさ、大事な三滝の跡取りだべ。もすかしたら春鹿ちゃんはわらすが……」


「子どもなんてできてもできなくても別に俺はどっちでもいがら。春鹿が嫁ぎ先に困るようなことがあっだら俺が手さ挙げるで」



「お風呂カゴ買ったんだー! 前行ったとき常連さんたちがみんな持ってたからさ」


 春鹿がピンク色のカゴを見せる。


「ああ、あれな。ババアみんな持っでる、持っでる」


「先にご飯食べる? 先にお風呂?」


「つが普通、先に風呂でねの?」


「あー、足もう筋肉痛きてるかもー」


 春鹿はいつになく饒舌で、しかし、春鹿が準備をして家にやってきたのは晴嵐の予想よりもずいぶん遅かったので、村田の話を聞かれていたと言うことはないはずだ。

 先に入浴することにして、券売機でチケットを購入していると、男に声をかけられた。


「お、晴嵐でねが」


 中学の同級生の奥山だった。

 男の子を二人連れている。一人は腕に抱き、もう一人は奥山と手を繋ぎ、兄弟だろう。

 全員、髪が濡れているのですでに風呂を終えた後らしい。

 女連れの晴嵐を横目で見て、あからさまに冷やかしてくる。


「お、彼女? 銭湯デートがぁ?」


「や、こいづは……」


「あ? え? もしかして田部? 春鹿?」


「ひさしぶりー」


 春鹿は作り笑顔で応えている。


「なんだー? おめ里帰りか?」


「うん、まあ、そんなとこー」


「奥山は家族でか?」


 晴嵐が辺りに視線を彷徨わせながら尋ねたのに、奥山は肩をすくめて、

「いや、嫁は家。ガキ連れでどっか行げっで追い出された」

 

 兄弟は二人とも人見知りなのかじっとして喋りもせず、買ってもらったのかペットボトルのジュースを握りしめている。おもしろくらい奥山によく似ていた。


「おい、春鹿、いづまでこっちにいるんだ?」


「えっと、未定……?」


 春鹿があいまいに首を傾げるのを、晴嵐はだまって聞きながらその場にしゃがみ込む。

 ポケットをまさぐってみたが子どもが喜ぶようなものは入っていない。同じ目線の高さになった長男にちょっかいをかけてみる。風呂上りのせいか、林檎のように真っ赤な頬をつついてやると、どうしていいかわからないようにはにかむ。上の子は五歳らしい。


「未定? しばらくいるべか? 飲み会すべじゃ。五年ごと同窓会も、おめさ一回も来たごとねべな」


「五年ごとに同窓会って普通やりすぎだからね。みんな集まって飲みたいだけでしょ」


 奥山は、がははと笑って「へば、晴嵐に連絡するわ」と長話せず帰って行った。


 晴嵐が長男に「バイバイ」と手を振ると、やはり無言で、しかし小さく手を振りかえす。

 春鹿も同じように、子供に手を振っていた。


「テキトーな時間で出て、その辺りでテキトーに待ち合わせね」


「ここの湯さ熱いべ、長いごと浸かるなよ」


「ハイハイ。子どもじゃないんだから」



 得てして女の風呂は長い。

 一方、晴嵐は早い。


「ばって今日はほんに長ぇな」

 

 休憩スペースの座敷のテレビを観ながら待つこと、三十分。

 ようやく春鹿が出てきたと思ったら、その顔に表情はなく、真っ青な顔をしている。

 濡れた髪もそのままで、不確かながらも確かな足取りで晴嵐のところまで辿り着いたかと思うとそのまま倒れるように寝転がった。

 幸い、二人の周囲には人はいない。もちろん人目を気にしている余裕は今の春鹿にはなさそうだが、出入り口に近い手前に一人、中年女性が壁にもたれてスマホを見ているだけだ。


「なんだ、のぼせたべかぁ?」


 春鹿はただ無言で、不調と戦うように眉を顰め、額には脂汗が浮いている。


「おいおい……」


 晴嵐は慌ててウォーターサーバーから冷たい水を汲んできて、春鹿の上体を起こして飲ませる。春鹿はおとなしく、されるがままにこくこくとそれを飲み干した。


「タオル絞ってぐるがら待ってろ」


 まっすぐに寝かせて濡れタオルを額と目元にそれを当てる。

 軽いため息と共に、傍らに胡坐をかいた。


「とにがく横んなっで安静にしどげ」


 病気ではないので介抱の必要もそうなく、ただ落ち着くのを待つだけだ。


 晴嵐はテレビの画面を見つめた。

 おもしろいはずのバラエティが今は頭を素通りしていく。

 スマホを手にしてSNSを立ち上げる。しばらく春鹿の投稿を見返していたが、すぐそばで無防備に転がる、横たわる身体を見る。

 Tシャツにハーフパンツ。膝から下はむき出しで、とにかく理性崩壊で放り出され揃わない両脚。

 夏でもないのに綺麗にペディキュアが塗られている。

 まるで女優のようだと晴嵐は思った。女優の足など見たことないが。


 手にそっと触れてみた。


「……こいづ、なんづー冷やっこい手してんだべ」


 涼を取るにはもってこいといえる温度の指先をぎゅっと握る。

 冷たく細い。


「……手なんか握らないでよ。あんたの手、熱すぎ……」


 ゆっくりと口が動いた。


「お、少しマシになっだか?」


「うん……少し……」


「寒ぐねか?」


「……うん」


 しばらくそのまま春鹿を見つめていたが、ふとまたスマホを見る。

 片手は春鹿の手を握ったままなので、もう片方の手だけで操作する。


「おめのインスタの昨日の皿、あれよぐ登場するべ。あれ、いな」


「……あんた、私のインスタ見てんの?」


 いまだ顔半分はタオルで冷やしたままだが、会話は可能になった。


「見でるべ?」


「反応ないから見てないのかと思った」


「毎日見でる」


「見てるんなら、いいねとか」


「いいね、が? よし、押したべ。ごっだなことすねでも見でるばって。まさかいいねの数で勝負しでるクチか?」


「……いや、そう言うわけじゃない。けど、やっぱりモチベーションには繋がるって言うか……」


「しかし、おめの足の指、綺麗だべな」


「は!?」

 

 春鹿は飛び起きかけたが、まだ体調は思わしくなかったのか体を起こす前に諦めて、

「……変態」

 ごろんと寝返り横向けになる。 


 額のタオルがずり落ちても、目を閉じたままだ。しかし、顔色はずいぶんよくなっている。

 そして、晴嵐に握られている手を中心に、丸く小さくなった。

 握られた手の上から自分の手をかぶせて添える。


「……晴嵐、ありがと」


「あ? 別に。今はおめの回復を待っでるだけだべ」


「今のこともあるけど」


「ほかに何がだ?」


「……帰って来て、こんな毎日が待ってるとは思ってなかった。楽しい。晴嵐がいてくれたからだよ」


「そうが。それはえがった。……ま、俺、頑張ったべな」


「頑張ってくれたんだ」


「そりゃ相手は村嫌いのおめだべ、頑張ったさ」


 ややあって春鹿の手に力がこもる。


「……手なんか……握らないでよ」


「ダメなのが?」


「ダメだよ……」


 そう言ったのに、直後、晴嵐が握る自分の手にもう片方の手を添えた。




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