7.銀と歩む(3)
村で春鹿と年の近い子どもは晴嵐と一つ下の六ツ美だけで、三人は幼稚園から高校まで一緒だった。
春鹿と六ツ美は姉妹のように仲良く育った。
しかし、上京と同時に六ツ美との縁をも断ち切ったのは春鹿だ。
当時の白銀村への嫌悪を六ツ美にも転嫁して切り捨ててしまった。
そのことは、年月を経るにつれて苦い後悔となりつつある。
「騒がすくてごめんねぇ」
後部座席で騒ぐのは六ツ美の子どもたちだ。
六ツ美は二十一で結婚して、市内に住み、小学六年生の女の子、三年生と年中組の男の子二人の母親になっていた。
「私こそ、乗せてもらってごめんね」
「なも気にすねで。一緒さ行ぐ方が楽すいもん」
土曜日の昼過ぎ。
白銀村から車で一時間ほどの広域交流センターでイベントがあるというので、春鹿は六ツ美の車に同乗し、向かっている。
催されているのは伝統産業イベントで、銀細工の製作実演があり、晴嵐がそれを担当すると六ツ美に聞いたからだ。
先日、十何年ぶりに会った六ツ美はあの頃と変わらない気さくさで春鹿におかえりと笑ってくれた。
六ツ美は若々しくおしゃれで、そのまま東京にいたってなんらおかしくない格好だ。
街に出なければ買い物が叶わなかった昔と違い、今は白銀にいたってネットで東京の店の洋服が買える。
それなのに、「田舎もんで恥ずかすぃわ」と六ツ美が何度も自分を卑下するのは、そんな価値観を植え付けてしまった春鹿の責任だろう。
「春鹿ちゃん、今日行ぐごと、せいちゃんにしゃべった?」
六ツ美のニコニコ顔は過去の行いを許された気がして、春鹿は癒される。間違いなく自己満足なのだが。
「うん。言ったけど、『わざわざ見に来るほどのものでもね。舞台さ上がって踊って歌うわげでもなす』って」
「確がになぁ。細げえのちまちまやるだけで確がに地味だ」
六ツ美にイベントのことを聞いたのと時同じくして、三滝工房もそれに向けて忙しくなり、最近晴嵐とはあまり顔を合わせていない。
「しかし、晴嵐が職人ってこと自体全く想像できないのよ。私、まずそこからだから。仕事してる姿見てみたい」
「学生時代は本当にちゃらちゃらしだ男だったべな。でも、二十代前半ぐれまでは同じような感じだったべ、三滝の先生に何回も破門を言われでたわ」
「破門って」
春鹿は苦笑した。
それでも晴嵐は今日まで、銀細工を続けている。
久し振りに六ツ美と会って、春鹿の知らない間の晴嵐、つまりは晴嵐の職人としての活躍を聞いた。
それで春鹿は、自分でも千世のSNSを辿ったり、ネット検索してみた。
不真面目代表のイメージが強い晴嵐が、意外にも県の青年技能者として表彰されたり、高校や専門学校に教えに行ったりもしていた。
簪だけではなく、アクセサリーのネット販売もあった。なんとそれが東京のセレクトショップで取り扱われていることも知った。
「……晴嵐も、なんか、落ち着いたよね」
「そりゃね、もうこのトシで落ち着かねでどうするの」
「まあね」
「春鹿ちゃん、おそらぐ今日のイベントにせいちゃんのファンの子が来でるべさ」
「ファン!?」
春鹿は驚いて大きな声を出す。
「四、五人だけんど、若い子らが。相変わらずモテ男だべ。せいちゃんは相手にしでねけどな」
「ち、ちょっと驚いた。すごいじゃん」
「田舎住みだろうが、古臭い伝統工芸だろうが、なまじ顔がいいだけに、何しでもかっごよぐ見えるらしいわ。ちなみにうちの娘もせいちゃんのファンだがら」
「えー……なんか信じらんない……」
テストの順位は下から数えた方が早く、部活命のサッカーバカで、原付を乗りまわしていた晴嵐。今もそんなイメージしか思い浮かべることしかできない春鹿には、実演する晴嵐は別人だった。
高校の授業はほとんど寝ていたし、チャイムと同時に教室を飛び出すし、思い出す晴嵐は学ラン姿で、いつも大きな声で笑っている。
春鹿を見つけると、嬉しそうに笑う。
テスト前に勉強を教えるときも、例えで言うならペンを咥えていそうな不真面目な態度で、集中力がなくて、すぐにちょっかいをかけてきて、気がつくとその顔のその唇が春鹿の頬をかすめてくるような。
馬鹿なこととやらしいことしか、頭にないような。
人だかりの真ん中で、紺の作務衣姿の晴嵐は座布団にあぐらをかき、大きな体を猫背に丸めていた。
手元のライトのすぐそばで、指先のさらに先で零点何ミリの世界の線を形にしていく。
いつもは人懐っこく笑う目を細め、最前列の女子たちに撮影されているのに目もくれず、にこりともしない。
人をからかってばかりの表情も今はひどく真剣で、春鹿がこんなに近くにいるのに気づきもしないで、前髪から覗くその瞳には今糸のごとき細くともまばゆい銀が放つ白を映している。
今、晴嵐の世界を支配しているのは白い銀だけだ。
春鹿はずっと見ていた。
六ツ美や小さな子どもたちがいることも忘れて、ずっと見ていた。
こんな晴嵐を、春鹿は見たことがなかった。
六ツ美が叫んだのは、晴嵐の実演が終わってしばらくしたときだった。
通知音がして「なんだべー」とスマホをチェックして「えー!」と声を上げた。
「春鹿ちゃん! ごめん、急に帰らねばいげねぐなった!」
「急用? 間に合う?」
「間に合うけど、三滝のセンセの講演さ聴げねよ?」
この後には人間国宝の、つまり晴嵐の父・晴男のトークショーが予定されているが、子どもたちには退屈な時間だろう。
「いいよ。子どもたちももう飽きてきてたし」
年中児の末っ子、勇気は少し前から歩くのを嫌がり、ずっと六ツ美が抱っこしている。
「ほんとごめんねぇ」
三滝工房のブースに挨拶をしてから帰ろうということになって行くと、六ツ美がいきなり、
「せいちゃん、春鹿ちゃんさ乗せで帰っでぐれね?」
「えっ、なんで!? 私もムッちゃんと一緒に帰るよ!」
「俺は別に構わねよ」
「よがっだ! 春鹿ちゃん、チビと一緒でフェアもゆっぐり見れてねだろ? センセのお話も聴いてあげでよ」
「えっ、いや、ほんとに……私……」
おろおろとする春鹿をよそに、晴嵐と六ツ美とで話が進んでいく。
一人で帰れるよと簡単に言えないのが田舎の悲しいところだ。電車もない。タクシーもない。自分の車がなければ誰かに頼るしかないのだ。
「もともと、春鹿さ乗せて帰るつもりもあったべ。六ツ美も直接市内さ帰った方が近い。白銀に寄るど遠回りになるがら」
「あ、それもそうか……。ムッちゃん、気が利かなくてごめん」
「ちげよ! 一緒乗って行っでって頼んだのは私だべ」
「でも、ランさん!」
たまりかねた様子で、千世が会話に入って来る。
「今日この後、師匠が焼肉に連れて行ってくれることになってるじゃないですか」
「別に、あえて親父ど焼肉食いだいわげでもねし。俺、パス」
あっさり、きっぱりとフラれた千世は、静かに目を伏せた。
春鹿も交えて焼肉に行くという提案も戸田から出たが、すでに晴嵐が話を終わりにして他の事をし始めていたので、『みんなで焼肉案』は見送られることになった。




