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7.銀と歩む(2)

 杉林も含む三人でその背中を見送ってから、戸田が呟く。


「吾郎さんとこって言うか、春鹿さんの所でしょーが。春鹿さん晴れて独身に戻ってランさんまだ独り身で……ってやっぱり元サヤなんかな」


「……春鹿さんが出て行って十六年も経ってるんですよ。ずっと好きとかあり得ます?」


「さすがにそれはないかー。ランさん、ちょくちょく彼女いたしな」


「あ」と戸田は思い出したかのように立ち上がり、続きの工房に行ってまたすぐ戻ってきた。一片の紙を手にしている。

 食堂のテーブルの中央にそれを置いた。


「捨てたとか言ってましたけど、春鹿さんの結婚しましたハガキ、実は持ってたんですよ、ランさん」


「え、これ見ていいやつなの?」


 千世が眉を顰めて、まだ立ったままの戸田を見上げた。


「結婚式の写真、他のも見たいなーって独り言呟いてたら、「あったわ」っていきなり、別に探す風でもなく作業机の引き出しから出してきて。もう捨てていいってランさん言ってたんで見てもOKでしょ。捨てないけどね」


 ハガキは道具に混じって仕舞われていたのだろう、擦れて表面は傷ついていた。

 ごく普通の、幸せそうな新婚カップルの写真。

『花簪ありがとうね』と直筆のメッセージが添えてある。


「うわ、旦那さんかっこいい」


「ザ都会って感じでしょ。春鹿さんもキレイだし」


「こりゃ晴嵐も穏やかでながったべな」


 杉林がのぞき込んできて、肩をすくめる。


「ま、あれを作っでた時の晴嵐も……声かげられねがったけんど」


「いや、俺、春鹿さんが元カノとか知らなかったっすから当時は普通に、真剣に作ってんなとしか……」


「……晴嵐がこれを捨でられながった気持ちも捨てたがった気持ちもわがる気がすんべ」


「昔の女の結婚式に生業にしてる銀細工を贈る、かー。切ないっすー」



「おめのアカウント、ごれ?」


 スマホの画面を見せる。

 春鹿は一瞬だけ顔を晴嵐に向けて、

「あー、うん」と空返事だ。


 時刻的に昼休み中のはずだが、春鹿は今もパソコンに向かっている。

 窓を叩けば開けてもらえたし、話しかけても静かにしろと言われなかったので、マイクはミュートにしているようだ。

 白銀に帰ってきたばかり時のように前髪をピンで留めたまま過ごしたり、ノーメイクということは最近はない。

 化粧もちゃんとして、髪も下ろしている。


 木箱に乗ってようやく覗ける高さの窓から見た春鹿の部屋は昔と全く変わっていない。

 まだ、帰ってきた時の段ボール箱がそのまま積まれている。


「おめのごと、フォローしたべ」


「あー、うん」


 晴嵐は立っていた箱から下りて、今度はそこに座った。

 煙草に火をつけ、スマホを操作する。

 春鹿のアカウントを遡った。

 驚いたことに最近こそ頻繁に投稿していた。

 多い時には一日三度、作った食事の写真があげられている。

 今日の昼食の投稿はまだだった。

 予想外に春鹿はなかなかセンスのいい写真を撮るらしい。

 どれも絵になる写真だ。


 と、そこで春鹿が窓辺にやってきて、

「あんたはこれ?」


 頭上に突きつけたられた画面を見上げる。


「だべ」


「Seiran mitakiってそのまんま」


「商業アカウント兼ねてるがらな」


「え、そうなの? ほんとだ、作品の写真ばっかり。てかさー、煙入ってくるからタバコやめてってば」


 晴嵐はポイっと地面に捨てて足で踏んだ。

 後で拾ってよと冷たく言われる。


「ところで、千世ちゃんのアカウント、すごいのね。白銀村か銀細工の公式みたい。東京にいた時に知ってたらあんたたちの暮らし、逐一知れたのにね」


「別に興味ながったべ?」


 晴嵐の答えは呟きに近かった。春鹿には届かなかったに違いない。


「てかさー、あの花簪の投稿よかったよ! 『伝統工芸の花簪 東京に嫁ぐ幼なじみに』ってなんか泣かせることになっててウケた」


「なんも間違ってねだろ」


「まあ確かに」


「泣ぎながら作っだべさ」


「ほんとに?」


 春鹿が身を乗り出す。


「嘘さ決まっでら」


「あーあ、可愛くない。じゃ、私今から昼ご飯食べるんで」


 無慈悲に窓を閉めようとする春鹿に、

「なあ、おめの料理の写真さ、かっごええど思て見でいら。なあ、この皿ちょっど見へてもらいでいが?」


「なに、あんた、うつわに興味あんの?」


「これでも工芸職人のはしくれだベ。芸術品には多少なりとも」


 春鹿は目を丸くし意外そうにしていたが、すぐに晴嵐に玄関に回るよう言った。


「へえ、おめ、いいの持ってんべな」


 晴嵐は田部家の食器棚の春鹿のコレクションと思われる一角を眺めて言った。

 次々に手に取ってまじまじ見たり、裏を返したりしている。

 そんな晴嵐を、春鹿は居間に上がる段差に座って、

「……実は割と好きで」

 とこぼした。


「こぃ、骨董が?」


「ああ、うん、それは骨董市で買ったやつ。安物だよ。でも作家さんのとか、清水の舞台から飛び降りたやつもあるよ。……詳しいわけじゃないし、種類も色々なんだけど、気に入ったのをコツコツ集めてて……」


「いい趣味だべ」


「ありがと……」


 無意味に靴下の先を触りながら春鹿が言う。


「……どのうつわにしようかなって思いながら料理するのが好きなの」


「今日の昼飯はなんだべ? どれを使う?」


「ひ、昼はテキトーだもん! 今日は時間もないし、見られるの恥ずかしいごはんだから……見せない!」


 つんとそっぽを向いて、晴嵐の手から平皿を取り上げた。


「このお皿、一番お気に入り」


 春鹿は愛おしげに眺めてから、「でもあんた触ったから洗う」とつっかけを履いた。


「おめ……」


 顔を引き攣らせる晴嵐をよそに、土間を渡って、シンクに向かう。

 水道を出したまま皿をじっと見つめていたかと思うと、

「……私にとってはすごく大切なものだったはずなのに、一度は全部置いてマンションを出たの。でも、あの時は確かに、もういらないって思ってた」


 ようやく皿が水を受けて、流水音が乱れた。


「やっぱり、こっちに帰って来た当初って、自分が思ってたより平常心じゃなかったのかもなって」


「そりゃあよ、生まれ育った家に帰るだげとはいえ、こごに戻っで来るのさ、おめにとっちゃ都落ちにも似たようなもんだべ。少なからず落胆はあっだだろうさ」


 春鹿はきゅっと水を止めて、手を拭きながら、振り返った顔はいつもの表情に戻っていた。


「それにしても、あんたがこういうのに興味があるのは意外」


「ああ、まあな。食器は銀と相性がいいべ、少しずつだけど勉強しでるとごろだ」


「へえ、勉強……」


「最近はテーブルウェアとしでの銀細工も出て来でら。簪だけじゃ存続していげねし」


「確かに。いろいろ大変なんだ……」


「んじゃ、俺戻るしメシ食ってぐれや。おめのインスタ飯、チェックしでるでな」


 晴嵐はポケットに手を突っ込んだ。

 三滝工房は、そろそろ昼休憩の終わりだ。



 風呂を終えて、晴嵐はまだ濡れた髪のままベッドで寝転びながら春鹿のSNSを開いた。


 最新の記事は数時間前、写真は本日の田部家の夕食だろう。メニューの内容しか記載はない。

『青梗菜の炒め物に肉豆腐、かぶらの煮物、さつま芋ご飯』

 青磁に灰琥珀釉、黒釉の小鉢、刷毛目の茶碗。

 毎回の写真に登場している、おそらく北欧メーカーの黄色のマグカップはどうやら春鹿のお気に入りらしい。家に行くと、手にしたまま移動している姿をよく見かける。


 晴嵐は夕食は済ませていたが、下心なく本心から『食いたい』とコメントを打ち込んでみて、すぐに消した。


 春鹿の投稿にはすでに何件かコメントがついている。

 元夫だろうと思われる反応もあった。たまに親しげなコメントを残しているのは、たしか率という名前だったと晴嵐は記憶しているそれに似たIDだ。

 さすがにそれをさらに追うことはしなかった。


 過去の記事には、そう頻繁ではないが、自作の料理をはじめ、食べたものや買ったもの、旅行先での写真。

 春鹿本人を含む人物が登場しているものはないにしても、どれも晴嵐の知らない世界での出来事だ。

 東京での春鹿は、晴嵐には何一つ想像できない。


 スマホを手にしたまま目を閉じていると、着信があった。

 かけてきたのは、村の一つ下の幼馴染、六ツ美だ。


『せいちゃん、今いいが?』


「おう、なした?」


『せいちゃんさ、春鹿ちゃんのインスタ、フォローしたべさ?』


「しだ」


『おかげで、せいちゃん経由で私も繋がれたべ、DM送っだら早速返信さ来だよ』


「俺がフォローさしだの、今日の昼だべ。おめ、暇人か」


『ああ、暇だべ。インスタに張り付いでる』


「おっかね。で、春鹿はなんて?」


『春鹿ちゃんが引ぎ気味の返事であっだらやめでおぐべど思ったばって、向ごうがらランチ誘ってけだはんで』


「へえ、そうが。えがったじゃねか」


『女子会だべ、せいちゃんは不参加な』


「わがっでるわ。行ってごい行ってごい」


 十何年ぶりに会う春鹿なので、六ツ美は緊張すると散々言ってから、

『なぁ、せいちゃん、こっだな日が来ると思っでた? まさか春鹿ちゃんが離婚しで、ましでや白銀に帰ってぐるなんて考えたごとあっだ?』


「それは考えだごとながったべな」


『あの花簪もようやく日の目を見だべ、千世ちゃんに感謝だべな。たげ美談っぽぐ書いでもらっちゃーげど、実際はせいちゃんの恨み辛み込めだ呪いの花簪なのにな。ウケたべ』


「うるさぇ」


 六ツ美はひとしきり笑ったあと、一呼吸おいてからしみじみ言った。


『せいちゃん』


「あ?」


『やっぱりまだ好ぎだったんでねが? 再会しでみだら、思い出したんでねが? あの頃の気持ち』


「……さあな」


『なんなら私が一肌脱ぐべさ』


 六ツ美の言葉に慌てて起き上がった晴嵐は、

「脱がねでい。おめに脱がれだら俺の目が潰れるでねか」


『あらー、潰れたどころで本望だろうて』


 晴嵐は言葉に詰まる。

 首にかけていたタオルで、思い出したように髪を拭きながら、やがて、

「春鹿の幸せが何なのが、どうしだっきゃ春鹿が幸せなのが、春鹿はどうすてのか。……それがまだわがんねがら。だがら、俺の気持ちもまだわがらね」


 六ツ美は優しいため息をついて、「へば、私はナチュラルに応援するどするがな」と笑った。



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