7.銀と歩む
「ちわーす! お荷物でーす!」
トラックが庭に停まり、威勢のいい声が三滝工房に響いた。
「ご苦労様ですー」
千世が作業の手を止めて入口に駆けて行く。
「お荷物、三つっす! あ、坊ちゃーん!」
配達の若者が、奥にいる晴嵐に向かって大きな声を出した。
「今日、田部さん家の荷物来でますよ!」
「ああ、吾郎さ留守だべ。俺が後で持って行っでやるがら置いでけよ」
晴嵐はその場で顔を上げ、頷いて見せた。
「いつも助がりますー!」
勝手知ったる千世は、机の上にあったもう一つの印鑑を出して、そちらの伝票に受け取り印を押す。
「こぢら割れ物みたいっす。重いんで気をづけて! では、どうもー!」
三滝工房に届いた荷物と、少し離れたところに大きめのダンボール箱が一つ置かれている。
定位置に戻って来た千世が、呟くように言った。
「……春鹿さん宛です。送り主はご本人ってなってますけど、東京の住所で」
仕事が終わって夕食までの時間に、晴嵐は割れ物の赤いシールが何枚も貼られたそれを軽トラの荷台に積んで、車で一分の春鹿を家を訪ねた。
重い箱を両手と体で抱え、足を使って器用に玄関の引き戸をスライドさせると、春鹿が早速土間にいた。台所で料理中らしい。
珍しく眼鏡をかけ菜箸を持った格好で、突然の侵入者に驚きもせず、「なにその箱」と怪訝そうだ。
辺りには、煮炊きもののいい香りがしている。
「おめん家の荷物。割れ物だべ」
「ああ、届いたか。てか、なんであんたが。私、一日家にいたけど?」
「おめん家まで道狭いで、トラックでここまで入って来ると方向転換すっどきみんな難儀すんだよ」
「……ふーん、まあ、わざわざありがと」
どすんと置きたいところだが、これでもかと貼られた割れ物のシールの主張に負けて、晴嵐は静かに板の間に置いた。
「東京がらだべ」
「ああ、うん。東京で住んでたマンションには今も元夫が住んでるから。買い集めてた食器を、その時は要らないと思って置いてきたんだけど、やっぱり惜しくなってこの前取って来たんだ」
「ふうん」
「せっかくだし、早速うつわ使おうっと」
春鹿はびりびりと乱暴な開封をし、まずは一番上に乗っかるように入っていた郵便物の束を取り出した。
次に食器かと思いきや、出てきたのは都会的な色合いの包装がされた小箱で、春鹿はそれを見てふっと笑い、
「あは、ご丁寧に。私の好きなチョコが入ってる」
東京から戻った春鹿の様子はどこかおかしかった。
しかし、届いた荷物の送り状にあった筆跡を見て、晴嵐は腑に落ちた。
春鹿本人の字ではないことはわかるが、その事情は晴嵐にはわからない。
春鹿は箱から、緩衝材に包まれた皿や小鉢を板の間に出して広げていく。
「……吾郎さは?」
居間に姿はない。
農協の仕事は終わっているはずだ。車も置いてあったが。
「ああ、今夜もジャリさんとこ」
「おめは一人飯か?」
「あんたにやるメシはないよ」
「わがっでるよ」
「俺ん家、今がらメシだべ、一緒に食うべか?」
「遠慮しまーす」
目当ての器がようやく見つかったのか、春鹿は青磁の皿に水を通している。
「……そか。じゃ、まだな」
踵を返す。
「うん。ありがとねー。……あ! ちょっと待って」
春鹿は慌てて手を拭き、鍋をかけていたガスコンロの火を止めた。
つっかけを飛ばさんばかりに脱ぎ捨てて、居間へ上がって行ったかと思えば、待つこと一分。
戻ってきた春鹿が手にしていたのは桐箱だった。
差し出され、
「これ花簪。戸田君が見たいって言ってたから」
晴嵐はふいと背を向けた。
「持っで来んならおめが来い。自分で自分の作ったモンを「これだべー」で持っで帰るのハズいわ」
結局、その足で春鹿は工房にやってきた。
戸田と千世はまだ仕事をしていたが、花簪と聞いて手を止める。
しんとした注目が集まる中、晴嵐は桐のふたを開ける。
春鹿の手の中にあった桐箱に見る自分の落款は少し照れ臭いが、まぎれもなくあの時の晴嵐がまさに精魂込めて作ったものだ。
簪を包む和紙を左右に開けると、びらびらの部分に工房の照明が反射した。
経年の変化で少し鈍い色にはなっていた。
銀は手入れが難しい。
「すっげ……」
「すごい……」
晴嵐の手元をのぞき込んでいた若い二人がおもわず感嘆の声を上げる。
「すごいの……?」
「はい、すごいっす」
「確かにきれいでもらった時私も感動したけど……詳しくはわからないから」
「素晴らしいです。少なくともランさんの今までの作品のなかでは一番精巧だと思います。概念も新しい」
千世が答える。
「春鹿さん……、これ、触ってもいいっすか」
「え、うん? 私は……もちろん。晴嵐、いいよね?」
「もうお前のだべ」
「失礼します」
戸田は壊れ物を扱うようにそっと摘み上げ、掲げたり、近づけたりして細部にまで目を凝らす。
「うわ、細けぇ……これ、モチーフは雪すか? 結晶?」
「ん? ああ、こいづは小花っていうより鋭角ってイメージだっだがら」
「花より鋭角って、例えおかしくない?」
春鹿が抗議するが、その表情には少し照れが見て取れる。
「陽の光を浴びる白雪の反射をイメージした」
「ランさん、雪のパーツこれ一体何個あるんですか。細けぇ……」
「形も斬新ですね。簪と言うよりヘッドドレスに近い。全体で見ると大きな銀の花にも見える」
戸田から、千世はそれを白い手袋を嵌めて受け取った。
「春鹿さん、衣装は和装だったんですか?」
「え? う、うん……そう」
今までのような態度ではない、真剣な千世に話しかけられて春鹿が戸惑っている。
「ビラビラがあるから簪に見えるけど、パーツ次第でドレスにも十分使えそうです」
「春鹿はドレス着たがっでたがら」
「ホントだよ! 実際ドレスの予定だったんだから。勝手に送り付けてきて。せめて新婦の希望聞くとか、普通はヘアスタイルの打ち合わせとかするんだよ!?」
「別に使ってぐれとは言ってね」
「こんなのもらって、使わないわけにいく!?」
「おめから送られてぎた結婚しましたハガキ見て、頭にこれがついでたがら驚いたべ」
「え、コレはさすがにつけるっしょ!?」
戸田が驚いた仕草をしたが、晴嵐は自嘲気味に、
「こげなダサぇの、おめがつげるとは思わねがったがら。作ったけど、ダメ元で送っだ」
「ダサいなんて思わないよ……。だから、ドレスから白無垢に変更したんだよ。結構無理矢理、直前の変更で……ドタバタだったけど、でも……」
春鹿は声を落として言った。
「あの、ここ、どうやってるんですか。こんな技術、見たことないです」
ルーペから顔を上げ、千世が晴嵐を見る。
「ああ、仕事の品物じゃねがらな、邪道な手もたぐさん使ってんべさ。ロウ付けも下手くそだべ、あんまりじろじろ見んね」
「いえ、すごいです。想像以上でした。……ありがとうございました」
千世は桐箱の中に簪を戻し、また和紙で包んだ。
「あ、待って。春鹿さん、これ写真撮っていいすか」
戸田がパンツの後ろポケットからスマホを出したのを制して、
「いや、これ預けるよ。私が持ってても箪笥にしまうだけだし」
「いいんすか! じゃ、じっくり見せてもらいます!」
そのタイミングで、つる子が夕飯ができたと呼びに来た。
*
「あ、この『いいね』してくれてるの、春鹿さんかも」
昼休憩、スマホを触っていた千世が箸片手に呟いた。
「どれどれー?」
「私のインスタです。ランさんの、あの花簪の投稿」
戸田は親指で何度か画面をタップし、
「おー、このhrsk0322ってやつ?」
「春鹿の誕生日だべ、3月22日」
晴嵐もおかっけ千世のSNSアカウント投稿を開いた。
くだんのアカウントは、春鹿のメッセージアプリのアイコンと同じで、すぐにそれとわかった。
『この花簪、インスタにアップしても構いませんか』
千世が言い出したのはあの日、春鹿の帰り際だった。
千世は白銀村での暮らしや仕事内容、工房の作品、商品をSNS発信している。
「……ランさんの花簪、本当に感動しました。こんな銀細工もあるんだって紹介したいんです」
「うん、もちろん。それは私も知ってほしいし」
「あと、もしお式の時の写真があればお借りしたいんですが」
「写真は……あるにはあるけど、こっちには持って帰ってきてないと思う。スマホにも残って……ないわ」
「そういえば、ランさん『結婚しましたはがき』もらったって言ってませんでしたっけ?」
「捨でだ」
即答した晴嵐に千世が、
「え、そういうのって捨てられます!?」
「いやいや、わかりますよー、わかります。俺でもきっと捨てる! てか、そもそもそんなハガキって大事に置いておくもの? 俺、友達のとか全部捨てるけど」
「私、無理。そういうの捨てられない」
「えー! だって捨てなきゃどんどん増えていくじゃん!」
春鹿は慌てて、言い合いになっている千世と戸田の会話に入って、
「あの、夫に言えばすぐ送ってくれると思うけど?」
「あ、元ダンナさんとそういう距離感なんすか」
「うん、まあ。ついでに一応元夫の許可も取るわ」
ものの五分で、結婚式の写真、むしろ意図したアングル──花嫁の、さらに花簪だけに焦点を当てたスナップ──が転送されてきて、千世はすぐに持ち前のセンスで『いい感じ』の記事を書いて投稿した。
あの夜から二日。
すでに三百件あまりのいいねがついている。
銀細工への興味か限界集落の暮らしへか、はたまた美大時代のつながりか、どれがメインのフォロワー層なのかは知らないが千世の投稿にはいつもそれくらいの反応がある。
「俺、春鹿さんフォローしちゃおーっと」
戸田がいそいそとスマホを触っている横で、昼食の食器を重ね、晴嵐は立ち上がった。
「……ちょっと吾郎さどご行ってぐる」
「了解っすー」
「時間までに戻ってくださいよー」




