【毒】Poison person【者】
「これは、イカン」
響重太郎は、その文章を見て思った。
誰でも投稿できるweb小説サイトでたまたま読みはじめたエッセイジャンルの作品に、次のような描写を見つけたのだ。
── 私はバンドをやっているんですが、ライブ中にノリすぎてステージから落っこちちゃったことがあります。ギターをかき鳴らしながら前へ走り出たら、地面のないところまで走り出ちゃって、1メートルほど下の客席に右側からズドーン!
ライブは中止になり、みんなに迷惑をかけましたね。脱臼で済みましたが、今でも右腕がまっすぐ伸びません。
重太郎はすぐに感想をつけた。
【描写が足りないと思いますよ、これ。地面のないところまで走り出た時、どんなことを思ったのか、その時世界はどう見えたのか、そこが肝心なのです。一瞬だけ自分が鳥になったように感じたのか、それともただ「しまった」と思ったのか、そのへんの感情描写がないと読者は引き込まれません。
また、いきなりライブが中止になったことに話が飛ぶのはリアリティーがないと思います。客席に落ちた時の描写をしないのはおかしい。あなたの腕がありえない方向に曲がっていたとか、どんな痛みだったかとか、書いていなければ私は空々しい作り話だと思って読んでしまいます。
プロフィールを見ると「小説執筆初心者ですので気になるところがあればご教授ください」とあるので指摘してみました。
とにかくもっと読者の心の動きを意識して、文章にリアリティーをもたせて書いてみてください】
その出来るだけ短文にしてまとめたつもりの感想を、読み返すと、問題なしとして送信した。
エッセイの作者は『はらむーちょ』というユーザー名だった。
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法月卓也は仕事から帰宅すると、パソコンを開いた。
コンビニ弁当をパクつきながら、小説投稿サイトをチェックする。
「投稿しといたライブの失敗談のエッセイ、ポイントついてるかな」
わくわくドキドキしながら画面を見ると、赤い文字があった。
『おめでとうございます、はらむーちょさん! あなたの作品に感想が書かれました』
卓也は喜び、興奮する手つきでそれをクリックする。
「ああ……」
思わず声が漏れた。
「そういう読まれ方をしたのかぁ……」
感想を書いてくれた人は『響重太郎』というユーザー名だった。初めて見る名前だ。まさか本名だとは思わない。
相手は自分のエッセイに感情描写とリアリティーがないと書いている。卓也にとってそれは意図的なものだった。
それをわかっていただこうと、弁当を食べ終わるとすぐに返信をした。
【ご感想どうもありがとうございます。ご意見、とてもありがたいです。
ただ、感情描写やリアリティーを入れなかったのは、実のところ意図したものです。
高いところから落ちたことがある方には嫌な記憶を呼び起こさないように、また、共感力の高すぎる方には痛い想像をあまりしないようにと配慮したつもりでした。
ゆえにこういう軽い描写になっているとご理解ください。ご指摘ありがとうございました】
すぐに返信の返信がきた。
本当にびっくりするぐらい、すぐだった。
【文学ってそういうものじゃないですよ。感情描写もリアリティーもなければ、それはただの作り物の絵空事になってしまいます。誰かを傷つけるつもりがなくても、自分が書いたもので傷つく人は必ずいるものです。そんなことに配慮して嘘をついてはいけないのです。感情描写とリアリティーは絶対に大切なものなのです。重きを置くべき場所を間違えてはいけません。
小説執筆の初心者さんということですが、これだけは覚えておいてください。感情描写を怠っては作品が軽くなる。リアリティーを損ねては作品が嘘として読まれてしまう。わかりましたか?】
「……めんどくさいな、コイツ……」
卓也はそれだけ呟くと、負けないぐらいの速書きで、返信を書いた。
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感想返信の返信を書き終えると、響重太郎は入念に推敲し、問題なしとしてすぐに送信した。自分が日頃考えていることを書いたので、我ながら書くのが速かった。
返信してからも何度か自分の文章を読み返した。とても満足だった。きっとこの『はらむーちょ』という初心者を善い道へ導けることだろうと、仏のような笑みを浮かべた。
重太郎が高級日本酒を口に含み、その風味を楽しんでいると、感想返信の返信に返信がつけられた。はらむーちょというユーザー名が目に入る。
【再度の感想をありがとうございます。文学畑の方なのですね? 私は文学作品をあまり読んだことがないのでよく知りませんでした。教えてくれてありがとうございました(^^)】
どうやら導けたようだ、と重太郎はいい気分になった。
これから先のはらむーちょさんの成長ぶりが見たいという思いから、お気に入りユーザーに登録した。
それから3作、はらむーちょさんが新作の短編小説を発表した頃、響重太郎は遂に我慢しきれなくなった。
前の2作品はその成長を見守る親のような心境で感想もつけず、拙いと思いながらもスルーしていたのだが、遂に黙ってはいられなくなったのだ。
しかもはらむーちょは自分を逆お気に入りに返していなかった。
彼ははらむーちょ氏が投稿した二千文字ほどの異世界恋愛ジャンルの作品に、感想を書き込んだ。
【ひどいですね。相変わらず感情描写が省かれ、リアリティーなどどこにもない。
エレノアが婚約を破棄されたというのに自分都合でふつふつと怒っているばかりで、まるで復讐劇を描くための操り人形ではないですか。
憎い、悔しいという感情の裏には悲しさや寂しさ、そしていまだ残る王子への愛もあるはず。それをこそ描いてほしいものです。
また、王子に階段から突き落とされたというのに、すぐに立ち上がって歩いて行くなんて、あまりにもリアリティーがない。あなたはかつてライブ中にステージから落ちて脱臼したことがあるのではないですか? その時のご自身の体験から、そんなことあり得ると思いますか?】
感想を書いたらスッキリした。
きっと相手は謝って来るだろうと思った。
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法月卓也は悲鳴を上げかけた。
あの響重太郎がまた感想をつけて来ていたのだ。
「これは……放置すべきだろうか?」
コンビニで買って来たカカオ80%チョコを噛りながら、しばらく考えた。
「……いや、無視されたと思われて、怒り出されても困る。適当にあしらっておこう」
そう思って、感想に返信を書いた。
【ご感想ありがとうございます。これは文学ではなく、ただ読者さんにスッキリしてもらおうと思って書いているだけの娯楽作品です。だから悲しみとかは意図的に省いてあることをご了承ください。
痛みの描写なんかも意図的に省いてあります。エレノアが脱臼して動けなくなったら物語が進まないので、そこはご都合主義だと思っていただけないでしょうか?(^.^;】
またすぐに返信の返信が来た。
コーヒーを飲み干す暇もないほど、すぐだった。
【ご都合主義に堕落してはいけない。そこに陥るとリアリティーが犠牲になるんだ。
また、読者はスッキリするだけではいけない。そんなものばかり読んでいては現実に対する適応力を失ってしまう。
あなたはそんな害悪のあるものが書きたいのですか?
読者が傷つかないようにとか仰っているが、そんなものは結果的に読者の精神を弱くし、堕落させ、傷つけてしまうことになるんだ。
今すぐそんな悪い意味での毒のあるものを書くのはやめなさい】
卓也は返信せず、即座に響重太郎をブロックユーザーに設定した。ミュートも忘れずにした。
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響重太郎は愕然としていた。
「なぜ……ブロックされたんだ?」
高級マロングラッセをおちょぼ口で噛りながら、考えた。
自分は善いことをしたのではないか? 未熟な小説執筆初心者を正しい道に導く助けをしたのだ。感謝されることはあっても、拒絶される謂れはない。
考えるほどに『これではイカン』と思えはじめた。
急いで複垢を作ると、ログインし、はらむーちょ氏の異世界恋愛作品を検索し、響重太郎への感想返信に、響重太郎Ⅱのユーザー名で返信をつけた。
【有益なアドバイスをくれるユーザーをブロックするような自分本位さがあなたの悪いところだ。なぜ、自分の好き嫌いで情報を取捨選択などしてしまうのか? 反論できなかったらあなたは相手を消してしまうのか? いつまでもリアリティーも感情描写もおざなりにしたままでは、あなたはいずれ心が折れてしまう。私はそれを心配して、こうやってアドバイスを差し上げているのだ。どうかわかっていただけないだろうか?】
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「ぎゃー!」
法月卓也はイカフライを手に持って叫び声をあげた。
「複垢作って感想書いてきたよ! お前に心折られそうだよ、俺!」
迷わず卓也は運営に報告をした。
しばらくして響重太郎のアカウントは規約違反で運営によって削除された。 彼の投稿していた128作品も同時に消滅した。
これで安心と思った卓也が甘かった。
『はらむーちょさん、某巨大掲示板で悪口書かれてますよ』
そんな情報が相互お気に入りユーザーさんから入って来たので、おそるおそる見に行ってみた。
114 このラノベが名無し! sage 2022/10/15(土) 12:32:40.11 ID:LxGO4k7D
はらむーちょというユーザーは『小説執筆初心者なのでご教授お願いします』とかプロフィールに書いておきながら、いざアドバイスをされると相手をブロックし、果ては退会にまで追い込む悪質ユーザーだ!
129 このラノベが名無し! sage 2022/10/15(土) 13:02:21.45 ID:LxGO4k7D
はらむーちょは相互ユーザーの力だけでポイントを荒稼ぎしてるよ。あんな価値のない作品を書いておいて、まともに評価されてあのポイント数はあり得ない。
135 このラノベが名無し! sage 2022/10/15(土) 13:15:30.01 ID:LxGO4k7D
>131
はらむーちょって、実力はないからね。感情描写もろくに出来ないし、作品にリアリティーがなさすぎる。あれでランキング入りなんかしてるのは、どう考えても相互クラスターの力だよ
143 このラノベが名無し! sage 2022/10/15(土) 13:22:24.015ID:LxGO4k7D
>139
うん。君も事前ブロックしておいたほうがいいと思う。はらむーちょは自分から交流をもちかけておいて、自分の嫌なことがあったら相手を退会に追い込む危険なやつだから。ヨイショしてくれるお仲間にはとても愛想がいいけど、そんな関係にもなりたくないだろ?
「俺……、どうしたらいいの?」
思わず卓也は相互お気に入りユーザーさんにメッセージで相談した。
「たぶん、この人、前に偉そうな感想しつこく送って来たからブロックした人だ。複垢作ってまで感想つけて来たから運営に通報した」
相互お気に入りユーザーさんは気遣うような返信をくれた。
『火は小さいうちに消しておけばよかったね。相手にせず、「ありがとうございます」だけ返しとけばよかったんだと思う』
「そんなこと出来ないよ。俺にも弁解したいことあったし」
『相手にした時点で同じ土俵に上がることになっちゃうよ。そっとミュートして、その人の書き込みが見えなくなるようにしとけばよかったかも』
「ミュートなんかしたら『無視された!』って騒ぎ出しちゃうかもしれないじゃん」
『無視し続けてれば相手もバカらしくなってそのうち関わって来なくなるよ』
「感想欄であることないこと書かれて暴れられても、俺には見えないじゃん。下手に刺激しないほうがいいし、相手も傷つくかもしれないだろ?」
『ブロックだって一緒じゃん。相手が傷つくのは』
「でも、ブロックしとけば相手が感想欄で騒ぐことは防げるし、ミュートなんて……無視なんて、そんな相手をバカにしてるようなこと、俺、できないよ」
『じゃあブロック&ミュートして、巨大掲示板は見ないようにしなよ。関わらないようにするのが心の健康のためだよ』
「でも……気になるよ」
『何が?』
「自分の評判が。他の相互さんがそれ読んで真に受けちゃったら困るよ」
『試金石になるんじゃない? 掲示板の書き込みを鵜呑みにして離れて行くような人ならそれこそ関わらないほうがいいよ』
「嫌だよ、俺!」
卓也は缶ビールをぐい呑みすると、書き込んだ。
「自分の評判は気になるよ! 悪いこと書かれてたら弁解したい!」
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それから卓也の作品の感想欄にも悪口のようなことが書かれるようになった。相手は知らないユーザーだったり、逆お気に入りユーザーを剥がされた人だったりした。
心が折れ、卓也は小説投稿サイトを退会した。
彼の書いた15もの人気作品たちは投稿サイトから消滅した。
さて──
悪かったのは誰だったのであろうか?
あるいは、悪かった者など、いたのであろうか?