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8.零れたものを想う気持ちに。

この章はきっと、リフレスの行く道を示すためのもの、だったのだと思います。








「本当に、ありがとうございました……!」

「いえ。まだ完治には遠いですから、一緒に頑張っていきましょう」




 ラミレアの毒素事件が発覚してから、一週間が経過。

 その間、僕は公爵家から離れて貧困街の人々の治療に当たっていた。軽症の子供は比較的早くに回復し、今では元気に区画を走り回っている。

 しかし、最初に助けを求めたエルさんの息子――ミルはまだ、寝たきりの状態だった。壊死している箇所は少しだけ元に戻ったが、肘から先、そして膝から下はもう戻らない。



「……あの、解毒師様。本当のことを教えてください」

「………………」



 今まで僕は、僕なりに必死の解毒を続けてきた。

 その結果としてミルは意識を取り戻したし、肺や心臓へのダメージも少なく済んだ。それでも、もう限界なのだということは、エルさんにも覚られてしまっているらしい。

 彼女はうつむく僕に優しく語り掛け、こう続けた。



「あの子はもう、外を走れないのでしょう。それが本当は分かっているのに、解毒師様は諦めようとされない。どうして、そこまでしてくださるのですか?」



 あまりに、悲しい言葉。

 ミルには聞こえないように、必死に涙を堪えながら。

 そして、そこには僕に対する気遣いもあった。もう十分に役割は果たしたのだから、重荷に感じる必要はないのだと、暗にそう語っているようでもあるのだ。



「ずいぶんと、眠っていないのでしょう? 目の下に大きなクマができています」

「………………」



 何も言い返せない。すべてが、図星だった。

 僕はミルの四肢が少しでも寛解する策はないかと、古い文献をとにかく読み漁っている。何故かと問われれば、それが――。



「どうして、そこまで……」

「――それが、僕の責任だから、です」

「……責任、ですか?」



 訊き返す彼女に、僕は静かに頷き返した。

 ミルの今後を一所懸命に考えるのは、僕にその責任があるから。

 彼のことを助けると約束して、命を救って、生き永らえさせた責任だった。それがある以上、僕はミルが元気に生きていけるようにするまで、努力しなければいけない。

 だから――。



「……もう、十分ですよ」

「え……?」



 そう、考えていた時だった。

 エルさんが僕の肩に手を置いて、首を左右に振ったのは。



「私たち親子はこうして、今後も言葉を交わす機会を授けていただきました。本来ならあの日、誰にも手を差し伸べてもらえなかった。そのまま果てるはずだった。そんな命を解毒師様は、救ってくださったのです。ですから――」




 ――そのように、己を責めないでください。




 エルさんは、大粒の涙を流しながら微笑んでそう言った。

 そんな表情を見せられては、こちらも限界だ。悔しさからか、情けなさからか、それとも罪の意識からか。喉が震えて、いつの間にか涙が頬を伝っていた。


 謝罪は、口にできない。

 本当は謝りたかったけど、それをしてはいけない。

 もし謝罪をしたら、エルさんの厚意が無駄になってしまうから。




「分かり、ました……」




 僕は一言だけそう告げて。

 彼女に向かって、深々と頭を下げたのだった。









「師匠……」

「あぁ、アーニャもきてたの?」

「…………はい」



 帰路に就くと、その途中で少女に出会った。

 手には何も持たず行き場のない様子で立ち尽くすアーニャに、僕はあえて何も訊ねない。彼女も複雑そうな表情をしていたが、貧困街でのことには触れなかった。

 ただ静かに、僕の数歩だけ後ろを黙って歩いている。

 そうやって数分ほど、公爵家の屋敷への道を進んだ時だった。



「……ねぇ、アーニャ」



 本当に無意識のうち、僕が少女に声をかけていたのは。

 その声に彼女は隣までやってきて、軽く顔を覗き込んできた。そんな様子をたしかめてから、数秒ほど考えた後に僕は言う。



「これでも、アーニャは僕の弟子になりたいの?」――と。



 それは、ある意味で懺悔に近かった。

 自分の無力さを吐き出し、可能ならば否定されたかったのだ。

 その相手に年端もいかぬ少女を選ぶあたり、僕はとことん弱いのだろう。




「なにを仰るんですか?」

「え……」




 それなのに、アーニャは嫌な顔一つもせずに答えたのだ。




「わたしが尊敬する師匠は、一人しかいません。誰よりも患者さんのことを考えて、身を粉にして尽くすことのできる優しい方は、リフレス師匠以外にいませんから」――と。




 それは、あまりに強い断言だった。

 力不足だった僕の心を支え、奮い立たせる言葉だ。




「わたしにはまだ、師匠の悔しさが分かりません。でも、そんな師匠だからわたしは、ついて行きたいと思ったのだと思います」

「……アーニャ…………」

「え、えへへ……! なんて、少しだけ分かったようなこと言いましたね!」




 そこまで言って、少女は照れくさそうに微笑む。

 そして、小さく謝罪の言葉を口にしようとしたので……。




「すみませ――」

「――ありがとう、アーニャ。キミが弟子で、本当に良かった」

「…………師匠?」




 僕はそれを遮って、感謝を伝えた。

 ほんの少しだけ呆気に取られた様子の『弟子』は、しかしすぐに優しく笑む。



「…………はい!」



 そして、元気いっぱいにそう応えるのだった。






「そうだね。立ち止まってはいられないんだ」






 僕たちにはきっと、まだやるべきことが残っている。

 それを解決するために限りを尽くそう。





 そう思って、僕はアーニャと公爵家へと向かうのだった。





 


次回、第1章エピローグです。



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