中学生時代の記憶
『ねぇ! 私と付き合ってよ!』
同じクラスの相沢花恋に告白されたのは、六呂秋人が中学生の時のことだ。
茶髪を通り越して金色に近い髪はウェーブがかかっていてシュシュで束ねている。中学生とは思えないほどキッチリとメイクをしていた。着崩した制服の胸元からは若々しい肌が露出している。
相沢はクラスでも素行の良い人間ではなかった。生徒指導に呼び出されるのはしょっちゅうだったし、追試をすっぽかして親を呼び出されたり……。
それでも秋人にとっては始めての告白だったし、周り友人たちが次々に恋人を作っていく中、置いてけぼりにされているような気がして焦っていた。早く彼女が欲しいと願っていたとき、突如として湧いて降ってきた告白イベント。
「僕で良ければ!」
それが最初の間違いだった。その数日後、秋人は不良グループに呼び出された。
「てめえ、人の彼女に手を出してんじゃねぇぞ!」
予め決まっていたセリフ。そこに彼女に手を出されたことに対する怒りはない。ボコボコにされた。そのグループの中に相沢の本当の恋人がいたのを知ったのはその時だ。
高校二年生になった秋人は頭を振って過去の記憶を追い出そうとした。しかし、一度思い出した記憶は芋づる式に嫌な思い出を引っ張って世界を黒く染める。
不良グループの玩具にされる日々は地獄だった。暴力は日常茶飯事だったし、金を恐喝されることも。川に突き落とされたり、全裸にさせられたこともあった。スマホでその様子を撮影しながら笑う相沢の甲高い笑い声は今でも耳に残っている。
秋人はもう一度頭を振った。全ては過去の出来事で今は授業中だ。壮年の教師が鎌倉時代について話している。ソッチに集中しろっと自分に言い聞かせる。
カリカリとノートに書き込む音が聞こえる。ヒソヒソと話す人も隠れてスマホを触る人もいない。もう直ぐテストが近いせいか集中力がいつもより高いようだ。
暫くして授業が終わった。前の席の井ノ原祐也は席を立つと鞄から取り出した財布をポケットにしまう。
「リクエストはあるかー?」
秋人の机に手を置いて問いかける。
「お任せで!」
「リョーカーイ」
購買へ向かう友人は大きな伸びをした。体を鍛えているだけあってたくましい背中だ。けど、それ以上に勇敢で友人思いの心を持っている。
何せあの地獄のような日々を抜け出せたのは彼のお陰だったのだから。
アレは何時だったか? 秋人の家に警察がやってきた。制服警官ではなく、スーツをビシっと着こなした二人組だった。一人は確か警部だったと思う。
「六呂秋人君だね?」
鋭い眼光に臆した秋人は声が出せなかった。首を動かしてどうにか肯定する。
「クラスメイトの井ノ原祐也君が入院したことは知っているかな?」
祐也に対して抱いているイメージは運動が好きで活発な人、だ。入院という言葉がしっくりこない。それに何故刑事がそれを言いにきたのかも……。
「いえ。知りません。何かあったんですか?」
二人の刑事は互いに顔を見たあと頷く。
「実は金森勝や立石健吾たちの不良グループと喧嘩してね。金森くんと井ノ原くんが重症で病院に運ばれたんだ」
金森勝は相沢の恋人だ。つまり祐也が一悶着を起こしたのは秋人をイジメていたグループ。
「私たちはどうしてこうなったのかを知りたくてね、皆にこうして聞いて周っているんだよ」
「僕にはわかりません 」
たった一言を絞り出しただけなのに喉がカラカラだ。大体、秋人に親しい友人はおらず、祐也とも会話をしたことすら無い。祐也が何故そんなことをしたのかなんて知るはずもなかった。
「そうか。邪魔して悪かったね。何か思い出したら教えてくれ」
電話番号の書かれた紙を受け取った。もし、イジメられていることをこの二人に打ち明ければ地獄から解放されるかもしれない。
「あ、の……!」
「ん? なんだい?」
一言言うだけでいい。一言伝えれば全部終わる。
「…………いえ、なんでもないです」
けど言えなかった。警察はもっと大きな事件を扱うところで、助けてくれないかもしれない。それに警察に話したら余計に酷い目に合わされるんじゃないかと思うと言葉が出なかった。
祐也が喧嘩をした理由を知ったのはその翌日のことだった。
机の中に一通の手紙が入っていた。短く綴られた手紙。ノートを破ってかいたメモみたいな手紙だったけど、分厚い啓発本よりずっとずっと……重かった。
立ち上がる勇気が満ちる。刃向かう刃が研ぎ澄まされる。祐也の言葉と行動に報いる覚悟も決まった。
相沢が電話をしている。相手は金森か立石だろう。仕返しされるとは微塵も思っていない彼女の背中はあまりにも無防備。その背中を突き飛ばし、落ちたスマホを拾って走った。
「テメェ! 待ちやがれ!」
背後から怒声が響く。朝っぱらから全力疾走する羽目になるとは思わなかったが、悪い気はしない。
「スマホを返せー! クソ犬! ぶっ殺すぞ!」
普段の素行の悪さが相沢の首を絞める。誰一人秋人を止めようとしない。もしかしたらこのギャラリーたちも腹の中で笑っているのかもしれない……そんな事を考えながらトイレの個室に入り鍵をかけた。
ドンドンドンドンと乱暴なノックが繰り返される。
「こんなことしてタダで済むと思ってんのか! ああっ!?」
相沢のドスの効いた声。少し前なら完全にビビっていただろう。
「ここは男子トイレだ。厚化粧の変質者!」
吐き捨てるように言ってやった。それだけで気分は晴れやかになる。けど、本当の目的はこのスマホだ。電話中だったこともありロックは外れている。
脅すためなのか楽しむためなのか知らないがこのスマホには秋人をイジメていた証拠が山のように眠っている。
腹を蹴られ悶るところも、ドロップキックされところも、殴られるところも、首を絞められるところも、川に突き落とされるところも、金を巻き上げられるところも裸にされるところも……………言い逃れできない程に。
あとはそれをクラスの連絡網代わりのグループチャットにアップするだけ。
扉の向こうでピコンと通知の音が聞こえた。いくつもいくつも、音が鳴る。野次馬に来ているようだ。それも一人や二人じゃない。もっとたくさん……。
いつの間にか激しいノックが止まっている。代わりに狼狽える相沢の声が聞こえてきた。
「違うの! 聞いてみんな!! 全部、金森と立石に命令されたことなの!」
苦しい言い訳だ。相沢の笑い声や会話はきちんと録音されている。命令ではなく、率先しておこなっていたのは誰の目にも明白だ。
全部終わったと思った途端、膝の力が抜け座りこんだ。今になって指先が震え出した。
「ハハッ! 人間は勢いさえあればどうとでもなるんだな」
やり遂げた達成感と解放されたという安心感が胸の奥で踊り熱くなる。
「それにしても……」
嫌悪感に満ちた目で相沢のスマホを見た。動画をアップするときに気がついたが、コイツらのオモチャにされていたのは秋人だけじゃなかった。
次に聞こえてきたノックは穏やかなものだった。生徒指導担当が騒ぎを聞きつけたようだ。
購買は遠いし混雑する。祐也が戻ってくるまでソシャゲのイベントを走ろうとスマホを取り出した。が、ゲームを起動しようとしたところで手を止める。
中学の時の事を思い出していたからだろうか? 無性に祐也からの手紙を見たくなった。彼から貰った手紙は写真に収め保存している。
『今まで見て見ぬ振りをして悪かった。許して欲しいい。そんで友達になってくれ』
改めて見ると酷い手紙だ。不器用というか何というか…………。それでも秋人にとっては唯一無二の宝物。
秋人はあの時の……救われた時の気持ちを思い出し心が温かくなる。祐也への感謝の言葉を心の中で叫び、画像を閉じた。
起動したソシャゲはアイドル育成ゲームだ。育成の仕方で今後でパラメーターが変動する。今後のことを考えれば今の育成は重要で、夢中になって考えていた。だからこそ、廊下がざわざわし始めたことに気が付かなかった。