第344幕 略奪の皇帝
スパルナは魔方陣で近づけられないようにしながら、俺の動きを首筋の剣で制限させる。
「勝負あったな」
「ロンギルス皇帝……貴方は、一体――」
「セイル。何故貴様が神に選ばれたか、声が聞けたか……わかるか?」
……そんなもの、わかるわけがない。俺はただ、聞こえただけだから。『人』を守るだとかそんな事考えたこともなかった。
「それは、貴様がグレリアに憧れていたからだ」
「兄貴に……?」
「あの男もまた、神の声を聞いた者。そして忠実に神の愛する『人』を守る者だからだ。あの男はその後、神の下僕として魔人共に崇められた」
「でもそれは……」
「本当に今のグレリアかどうかわからない? いいや、あの男は原初の魔方陣を最初に解放された男だ。だからこそ『神』に匹敵する力を授けられた。貴様ならばわかるだろう? あの男が使う文字が何か」
内心の焦りが顔に出ないようにしていたけど、ロンギルス皇帝の言うことは正しい。兄貴は『神』の文字の原初の起動式を扱って、その魔方陣の威力を高めてくる。他の魔人でもそういう風に魔方陣の威力を底上げするような文字を使って魔方陣を使っていた者がいただろうか?
「でも、それなら他の魔人だって同じだろう? 彼らの中にも、グレリアを敬愛している者もいる。そんな彼らに神が手を差し伸べないのも、またおかしな話じゃないか」
「いいや。君は等身大の……今生きている彼に近づこうとしていたのではないか? ただ漠然とした崇めている者とは決定的に違う」
ロンギルス皇帝はゆっくりと小さく頭を振りながら、俺に説明を続けてくれている。それに応じながら、気付かれないように魔方陣を構築していく。細心の注意を払いながらだから結構疲れるけど、何もせずにやられるより遥かにマシだ。
「蘇った伝説に触れ、そうなりたいと強く願ったからこそ、信仰も少なく、力衰えた今でも神は貴様に力を授けた。そしてそれは……私に取っても思いがけない福音をもたらしてくれた」
「それは……どういう……ことだ!」
剣で致命傷を負うのも厭わず、俺は目の前の男に魔方陣を解き放つ。『命』『炎』『人』の起動式で生み出されたそれは、ヘルガと二度目に相対した時の炎の魔人。それは皇帝目掛け、力強く拳を繰り出し――
「ほう、丁度良い物を産み出してくれた。これであのうるさい鳥を始末できるだろう」
ロンギルス皇帝の冷たく凍えそうな恐ろしい声が耳に届いた。たったそれだけの事で、この世界が氷に閉ざされたのではないかと思った程だ。
「は、離れろ!」
とっさに炎の魔人に指示を出したけど……もう、全てが遅かった。ロンギルス皇帝は巧みにその拳を避け、炎の魔人の頭を思いっきり掴み、魔方陣を発動させた。丁度見えない位置にあるせいか起動式が読み取れない。それでも……かなりまずい事をしているのがわかる。
皇帝の魔方陣が閉じた後、炎の魔人は無傷のまま、そこに立っていた。その事を不気味に思いながらも、攻撃に耐え抜いたと心の何処かで安堵もしていた。だけど――
「あの小鳥を焼き殺せ」
皇帝のその言葉に、炎の魔人は恭しく片膝をついて頭を下げると……次の瞬間に、スパルナに向かって襲いかかって行った。
「嘘……」
「な、なんで……!」
俺とスパルナが同時に上げた困惑の声を、ロンギルス皇帝は心地良さそうに聞いていた。
「な、何をした!?」
「くくくっ、なに、簡単な事だ。私があの人形を手に入れた。それだけよ」
「ふざけるな! そんな事――」
そんな事出来るわけがない。反射させるならともかく、こんな、奪うような――
「う、『奪う』? まさか――」
「ほう、頭の回転は早くなったようだな。神はまず最初に自らを象徴する文字を封印し、人々が同じ領域に近づけないようにした。次に『生命』の文字を封印し、転生などと呼ばれる永遠の生を得られる手段を途絶えさせた。次々と神にとって危険な文字は封印され、最後。その全ての封印を奪い己が手にする手段を封印した」
本当に嬉しそうに説明してくれるってことは、俺の考えは当たっていた……ということになる。
つまり、ロンギルス皇帝は文字通り、俺の魔方陣を奪ったんだ。
「原初の起動式の一つ『奪』は私の手の中に。そしてセイル。貴様の『生命』も手に収める」
「そんなこと――」
「ならば……そこで必死に戦ってる小鳥を殺すまでだ。二つに一つ。迷っている暇は……あるかな?」
「卑怯な……!」
いくら悪態を吐いても、現状は良くならない。スパルナの方を見ると、皇帝の魔方陣がなくなった代わりに、それ以上に厄介な炎の魔人に圧されていた。
――どうする? どうすればいい? なにが正しい?
頭の中をぐるぐると掻き回されているような気がして気分が悪くなる。スパルナの生死を俺が握ってる――
……そのわずか。俺が迷っている間にスパルナは悲鳴を上げ炎の魔人の攻撃に倒れ伏していた。
「……負けた。頼む。あの子にだけは、手を……」
俺の言葉に満足したロンギルス皇帝は、スパルナへの攻撃を止めた。俺たちは……皇帝の足元にも、及ばなかった……。




