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記憶の中のAngel Beatsを辿る

Angel Bestsというアニメがあった。私はずっと昔にそれを見ていたのだが、今も朧気ながら記憶に残っている。特に同作の登場人物で岩沢さんと音無君のことが頭から離れない。ふとした時に思い出しては、胸が締め付けられるような痛みと空虚感を感じる。悲しい気持ちが溢れて混乱してしまう。なぜなんだろうか、と考えてもよくわからない。とにかく不安で、悲しい。悲痛な気持ちになる。アニメの話で、と怪訝に思われるかもしれない。けれど私は特定の人に対して愛着を感じることが少ないので、一度愛着を持ってしまうとやっぱりそれが実在・非実在の人物でも大きく影響を受けてしまうのかもしれない。そのせいかたまに意識に浮かんできてしまう。だからちょっと整理することが必要だなぁと最近思うに至った。沢山いる同作の登場人物の中でなぜこの二人が印象に残っているのか。二人とも悲痛とも言える周囲の環境と人生のなかで、夢を見つけてその夢の達成のために一生懸命頑張った人だ。そして夢半ばで死んでしまった人達だ。周囲を取り巻く環境と歩んできた人生は傍目にも良いものとは言えなかったけれど、それを言い訳にせず、苦しい世界で彼と彼女は自分の光を見つけ、その光を掴むために懸命に努力した。音無君と岩沢さんの二人なら、私は音無君のほうが一層強く記憶に残っている。それは彼の妹、音無初音ちゃんの存在があったからだ。なんというか、重い病気で病院にずっといなければならない彼女の兄に見せる明るい笑顔や振る舞いが、健気すぎて胸が苦しかった。体調が底をついていたクリスマスの外出でイルミネーションいっぱいの通りを兄におんぶされていた時でも、兄を気遣ってか頭も上げることができない状態でも兄の自分を思っての行動に感謝の言葉を言う場面が、本当になんというか悲しかった。顔もあげられないくらいに体調は悪くても、自分を思ってくれた兄に対してお礼を言う。そんな良い子だからこそ、運命というのは残酷だと思った。彼女は本当に音無君の生き甲斐だったと思う。だからこそ妹が亡くなった時の彼の空虚さを思うと、心が空っぽになったような感じがする。それでも音無君は、病院の前を通りかかった時に退院した女の子の嬉しそうな姿を見て、自分も誰かを救って喜ばせたいと思って医者になることを決意した場面が私には衝撃的だった。私だったら、同じように思っただろうか。無意味な問いかけだ、自分でもそう思う。けれど考えずにはいられない。私なら、恨むと思う。恨んで、怨んで、世界と自分の身の上を呪いながら死んでいくと思う。そんな私には彼の決断というか純真さというか強さというか。そういうものが、とても心に響いた。そしてバイトばかりで碌に学校にも行かなかった音無君が必死に勉強して学校にも行って、という光景が更に私の心をゆさぶった。彼は医学部を受験するまでになった。試験会場に向かう途中、トンネルの中で電車が脱線してトンネル内に閉じ込められた時でも、彼は自分のできることを精一杯やって最期まで人々の希望を絶やさなかった。そして、自分の命を次の希望に託して死んでいった。私には彼の生き様が衝撃だった。ただ、茫然とした。彼は、なんというか。凄かったんだ、色々と。私が彼から学べるところがあるだろうか。次元が違いすぎて、私にはなんというかただ委縮するばかりだ。けれど、心から凄いと思えたのも事実で。だから私は、彼のことをこんなにもよく覚えているのかもしれない。


岩沢さんのほうは、カッコイイ女性だなぁと思っている。親の不和が絶えないような場所では、子どもは委縮するばかりだ。本当に怒鳴り声とか物々しい雰囲気というのは、子どもの精神をゴリゴリと削って消耗させる。もしかしたら手が出るのではないか、大変なことになるのではないか。そんな環境で毎日毎日過ごすんだ。そしてなにより、子どもには逃げ場がない。大人は離婚して逃げられるかもしれないが、子どもは耐えるしかない。感情はどんどん摩耗していくし、平坦になっていく。本当に辛い。信頼できる大人が周りにいないし、誰にも相談できない。親ですら自分を庇ってくれないし、いつ見捨てられるかもわからない。どこに逃げればいいのか、そもそもの話、逃げても見つかって連れ戻されたら殺されるかもしれない。大人は否定するかもしれないが、子どもは本当にそう思っている。岩沢さんもそんな家庭で育った。心中本当にお察しする。アルバイトをしていたのは、早く家から出るためにお金を貯めていたのかもしれない。というか私はそうだと思っている。そんな自分の感情が死んでいく毎日の中で、ふと聴いた音楽が彼女の人生に色を与えた。それから彼女は音楽に傾倒し、音楽に夢を見出した。アルバイトと音楽、一生懸命頑張って良いところまで行って、そして死んだ。原因はなんだったか。確か父親の母親に対する家庭内暴力を止めようとして、ビール瓶の殴打を頭に受けたせいだったか。それでアルバイトの途中に倒れて、病院で亡くなった。病院で彼女は一体何を思っただろう。あの光のない瞳を見るに、自分の人生を思い出していたのではないかと私は思う。本当に私の胸中には彼女の心中を思っての寂しさと、彼女の人生を最初から最期まで邪魔し続けたあの大人たちに対するどす黒い感情があった。けれど、私は。岩沢さんの芯の強さというか何というか。どうしようもない現実の中でも、光を見つけてそれに対して一生懸命に頑張れる彼女の強さに憧れを感じた。よく現実逃避、とか言う輩がいるが、私はそういうことを言える人は幸せだと思う。人生の底を味わったことがない。だからそんなことが言えるんだ。本当にどうしようもない状況にいる人は、光明に縋ってしか生きていけない。それを現実逃避というのなら、そうなのだろう。じゃあどうすればいい。死ねばいいのか。私はそうは思わない。そうは思いたくないんだ。生まれてこなければこんなに辛い思いをすることもなかったのに、なんて恨んで人生を生き続けることは本当にしんどくて辛いことだと思う。誰だって自分の人生、生まれてきたことの意味を知りたい。その意味を知るための行動すら現実逃避だなんて言われたら、いよいよどうしようもなくなる。私は、人生というのは迷うものだと思っている。迷いながら、自分で一つ一つ自分が悩んだ疑問の答えをだしていく。それが人生ではないのだろうか。他人は無責任だ。否定した後のその人の人生に対して何の責任も負っていないのだから。責任、とは当人が背負うもので、他人にどうこう言われることではない。人生の責任、なら尚更だ。話がそれてしまったが、私は音無兄妹と岩沢さんに対しては強い共感と好意を持っている。そして憧れだ。私は弱いけれど、音無兄妹と岩沢さんは強い。だから私は、彼らに追いつきたいと思っているのかもしれない。私を動かしているのは、誰かに対する尊敬と憧憬だろうか。だからこんなにも、焦がれるのだろうか。芯の強い人たち、自分の人生を他人のせいにしない人たち。私は、そんな彼らを誇りに思っている。私は、ずっと彼らに憧れていたのかもしれない。上手くいかない人生でも、現実に光を見て、それを掴み取る為に努力する彼らに。音無兄妹と岩沢さんは、私の光だ。私の向かうべき道を示してくれる人たちの一人で、私の大切に思っている人たちでもある。きっと弱い私でも、私の向かうべき指針を見誤ることはないと思う。私のなかには、ちゃんと向かうべき方向に光が見えている。自分の中にある光が、迷子の私を導いてくれる。それは、自分の手も見えないような広大な闇の中で遠くにぼんやりと広がる光の海に似ている。私はそれを目印に一歩一歩進んでいく。人より歩みは遅いけれど、私は自分の歩みで進んでいこうと思う。光の海にたどり着くことができるのか、それとも道半ばで闇に消えてしまうのかはわからない。けれど私は、どちらでも良い。どっちに終わっても、私は満足だと思うから。


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