きっと、大丈夫だ。
人って、多分そんなに強い生き物じゃない。かすり傷でも敗血症になって死ぬこともあるし、古くなった水を飲んでお腹を壊して寝込んでしまうこともある。行き届いた上下水道、公共インフラが充実しているこの日本では、人が弱い存在であることなんてあまり感じることがないけれど。自然災害の猛威を受けた地域の人達が沢山亡くなる事実は実際あって。人間がこつこつと、死なない為に、死なせない為に築いてきた積み重ねが、何かの拍子に崩されると、人は本当に呆気ないくらい簡単に死んでしまう。薬が足りない、清潔な水や医療器具が無い、良好な栄養状態を維持できる量と種類の食糧がない。医療従事者が死んでしまって傷病者の治療ができない。外部からの物資を移送することができる輸送手段が使えない。ちょっと考えただけでも、しんどくなる。人っていうのは大切だけれど、同時に人が生きるっていうのは大変なことだと思う。人が生きるだけでも、必要なものは多い。健康に生きるためにはもっと必要なものは増える。今の日本の、人の死を遠くに感じることができる現状は、過去からコツコツと積み上げてきたものがあるからだと私は思う。物質的に豊かになった日本は、物質面で人が死んでしまうことは少なくなった。けれど現在の日本では、次第に精神面の問題が目立つようになってきたように感じる。問題の質が一つ上がったのかもしれない。“生命の質”の問題、と言ったらいいのか私にはわからないが、とても大切なことだと思う。いじめの問題、不登校の問題、引きこもりの問題、うつの問題、過労死の問題、自殺の問題。遥か昔からこれらの問題はずっと存在した筈だけれど、現在になって顕著に表れた問題もある。どの問題も暗くて重いけれど、これらの問題に注目が移ってきたことは、私には意義のあることだと思う。なぜなら、これらの問題は今まではほとんど表面に出ることがなかったか他の問題よりは重要だと認識されていなかったように思うからだ。物質面である程度の安定を手に入れた日本は、ようやくこの問題に取り組めるようになった、と言い換えることができるかもしれない。今日生き残れても、明日地雷で死んでしまうかもしれないような国では、これらのことは恐らく後回しにされるだろう。そのことを考えると、確かに日本は前進しているように思う。どれも難しいことだけれど、私は悲観的には考えていない。だって人間はいつだって知恵を振り絞って、皆でこの過酷な世界を生き延びてきたし、更には、紆余曲折はあったにせよ人間にとって生きやすいように変革してきたからだ。一人で考えて難しければ、皆で集まって考えればいい。私は、そんな世界に生きていることを誇りに思う。俯いて、地面をずっと見つめているだけで時間を過ごす。そんな時間を永遠に過ごせないこの世界は、私にとっては最善とはいかないまでも結構良い世界だ。
よくこの世界は滅びに向かっている、という論調を聞くことがある。私はそうかもしれないなぁとも思うけれど、やっぱりそうではないのではないか、なんて思ったりもしている。だって人間は醜いところもあるけれど、美しく感じることも多いからだ。だから、私は人間を信じている。かつて電車で寝過ごしそうになった見ず知らずの私の肩をゆすって起こしてくれた海外のナイスガイのことを、私は今も忘れていない。きっと私は、あんまり人間が好きじゃないと言っておきながら、結局は人間が好きなんだと思う。だから私は人間に期待しているし、好意的に慕っている。きっと大丈夫だ、この世界は。なんて書いてみて、ちょっと恥ずかしく思う気持ちもある。だから今日はここで筆を置かせてもらう。またね。