文学青年の独白
最近気分的にちょっと塞ぎこみがちだったけれど、少し外の世界に関心がでてきた。といっても外には毎日通学の都合上出てるんだけれど。けれど昔のことばかり思い出すのは、やっぱり健全じゃない証なのかもしれない。特に私にとっては、そうだ。甘く、レンゲのようにふわっとしてる雲の上で、遠く向こうに広がる黒い雲に怯えている。その雲だって本当は白いかもしれないのに、私は勝手に黒だと決めつけて。私は、一歩を踏み出せないでいる。踏み出す方向がわからなかったからだ。目指すべき指針は、私を導く羅針盤が、蜘蛛の巣を被って忘れ去られていたから。いや、忘れようとしていたんだと思う。忘れよう、忘れようと幾度思ってそれを遠ざけても、私が消耗するだけで。結局私は、私自身を納得させることができなかった。私は、ずっと迷子だったのかもしれない。私の焦がれるほどの思いを、これまでの頑張りは。ずっと私が星に手を伸ばそうとしたもので。けれど途中で私はこの星には手が届かない、と勝手に思い込んでいつしか伸ばした手を引っ込めてしまった。その時から私のなかであの星は、本当に見上げるだけの星になってしまった。けれど私は、ずっとあの星が欲しかったんだ。なんて気づいたのはつい最近のことで。やっぱり私は、いつでも他人よりも遅い。だから私は、私が嫌いだ。私が辛いことがあっても耐えることができたのも。他人と比べれば知恵も力も勇気も足りない私がここまで頑張ってこれたのも。もちろん家族や友人や多くの人の支えがあってこそだけれど。本音を恐れずに言えば、私は私の中にある夢にずいぶん助けてもらったように思う。私は、生きているのが辛いと思う時が少なくなかった。自分が恵まれている、なんてことは。頭ではわかっているけれど。嫌なことも一杯見てきたし、聴いてきたし、体験してきた。私は、それでも。自分が心底嫌いにはなれなかった。私が折れなかったのは、多くの人の支えと、私の近くにいてくれる人と、私が行くべき場所を指し示してくれる星が常にあったからだ。それがあったから、理不尽にも耐えることができたんだ。見栄だ、意地だ、プライドだ。そして、夢だ。私は、本質的には利己的な人間なんだと思う。純粋に人の為には、きっと動けない。私が他人の為に動くのは、“情けは人の為にあらず”と心のどこかで思っているからだ。純粋に人助けの為ではない。そんな私だからこそ、自分の弱さには特に無力感を感じる。隠そうとするが、そこまで器用でもないので不器用になる。結果、他人を遠ざけてしまう。他人と関わらないのは、その他人の目に映る自分の姿を見るのが怖いからだ。他人が怖いんじゃない。その他人なりに答えをだして頑張っている他人の目に、答えもだせず頑張ることもできない情けない自分の姿が写しだされるのが恐ろしいんだ。他人に否定されるのも嫌だけれど、自分を否定してしまうことが一番怖い。結局は自業自得だ。そんなの言われなくてもわかってるつもりだ。けれど、辛いんだ。
夢に背を向けたあの時から、私の世界はモノクロだ。頭は靄がかかったようで、足取りは覚束ない。ふらふらと現実を生きていても、やっぱり私はあの時から止まったままだ。頑張っているつもりでも、全然力がでない。現実の流れが、私には早く感じる。私は、皆の足取りに付いていくだけで精一杯だ。絶えず現実に生きて未来を信じて頑張っている彼ら彼女らと、過去に囚われがちな私では比べるだけ失礼だ。だから私もそろそろ先に進みたいと思うんだ。もう、悩みまくったし、上手くいかない現実に溜め息をつく日々も飽き飽きだ。私は、この世界が好きだ。一生懸命生きている人が、本当に愛おしく感じる。この気持ちを、私は失いたくない。ずっとこの気持ちを持って生きていたい。私は、胸を張って友達と話をしたい。しっかりと相手の目を見て、でかい夢を語り合いたい。楽しくお喋りしたい。美味しいものも一緒に食べに行きたいし、大切な人の涙を拭って抱きしめてあげたい。私は、私の人生を生きたい。モノクロの空にも、確かにいつもそれはあったから。私は、もう一度それを目指してみようと思う。隅の方に追いやっていた羅針盤も取ってこなくちゃな。蜘蛛の巣も取って、埃も払って、今度はしっかりと失くさないように抱えて歩こう。パレットに絵の具を取って、モノクロの世界を私の好きな色で満たすんだ。私の内面は、私の好きなもので満たしていこう。私は、私だ。好きな人は好きだし、好きなことは好きだ。そう胸を張って言えるように頑張ろう。この世界で大切な人達と手を繋いで、一緒に並んで歩いて行けるように。