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未完のパズルのピースを探して

この連載は誰かに私の知っていることを教えてやろうという意図で始めるのではありません。私のような若造に教わることなんて皆さん何もないでしょうし、私も皆さんにお教えする程の濃い人生など送ってきませんでした。しかし生きていればお腹が空くのと同じように、疑問がふとわき上がってきます。それは私にとって煩わしいものであり、同時に魅力的なものでもありました。皆さんも生きていくなかで、きっと様々な疑問に悩まされていることと思います。それは楽しいものであれ、苦しいものであれ、何かしらの力を持っているからこそ私たちを惹きつけるのでしょう。私は皆さんの興味については分からないので、そして人それぞれ興味の対象は違うという点から、私は自身の興味のもった事柄についてちょっと考えていきたいと思います。私の興味の対象が皆さんの興味の対象と合致するかはわかりません。多分しないでしょう。私は自分の考えを自分の閉じた世界だけで終わらせることができます。それは皆さんも同じです。自分の心の内に考えを留めておく。それは一つの有効な方法です。ある問題に対する信条や意見や考えは百人いれば百人違い、億人いれば億人違います。当然表明された意見には同意もあれば反論もあり、時には一つの意見の表明が大勢の他者を巻き込み、大論争となることもあります。そこで皆さんに質問なのですが、この一つの意見を元に大論争になることは悪いことなのでしょうか。また意見はすぐさま提起者の人格に結びつけられるべきでしょうか。異端の意見を持った一人の人格性を悪性と決めつけ封殺するだけで社会が良くなるでしょうか。私はそうは思いません。一人を糾弾して封殺することは簡単です。ある考えを異端とし、その思想を持つ者は異端とみなし、封殺の対象とするという合意形成も可能でしょう。しかしそれに何の意味があるのでしょうか。その社会が悪と決めつけたものは、その社会の衰退と荒廃をきっかけに見直されることになるでしょう。もしかするとその社会が否定していたものこそ善である、という根拠の無い強力な反発が混乱した人々の間に生じる可能性も無いとは否定できません。私はあらゆる意見は直感的な決めつけにより判断されることの無いように願います。願わくばどんな意見でも精査され判断されることを望みます。提起された一つの意見には必ずその提起者がその考えを提起するに至った経緯や根拠があるはずです。それを人々が各々考えた上で自分の意見を持つということが大切なのではないでしょうか。キリスト教においてもアダムとイヴに間違いを犯すようそそのかした蛇、サタンを神はその場で滅ぼすことはしませんでした。もし神がその場でサタンを滅ぼしてしまえばどうなっていたでしょう。神はサタンの言っていることが嘘であると他の者達に証明することが永遠にできなくなります。サタンは強い力を持っていた天使であったので、彼に賛同する天使も少なくありませんでした。そのサタンをその場で滅するということは問題の解決になるでしょうか。おそらくならないでしょう。サタンを滅ぼしてもその思想がなぜ間違っているのかを神は証明できていないので、第二、第三のサタンが現れるでしょう。その度に滅するという選択肢も絶対的な力を持つ神にはありますが、いずれ大きな破局を来すことになるでしょう。異端の者を単に力によって滅ぼすという方法を神ですら選択肢として取らなかったのですから、神のように絶対的な力を持たない私たち人間は尚更その方法を安易に選ぶべきではないと私は思います。この世に悪い思想はあります。根拠の無い人種差別が一例です。しかし人種差別は悪い思想ですが、私たちがすべきはその思想を持つ者を拒絶し、物理的に全て消し去ることではありません。ある思想を抱くようになった背景には必ず理由があるはずです。人種差別の思想が人類にとって如何に悪影響を及ぼしているかを私たちは子供達に説明できなければいけません。その思想が如何に役に立たないものであるかが説明できないと、恐らくその思想の支持者は力を持ち続けます。また人種差別に繋がる思想を醸成する要因を全て暴き出し、統一的な仮説を打ち立て検証し、それに対する効果的な対応策を見つけ出し、社会に適用し、思想を醸成させない環境を作り出すことが大切です。経済状況の悪化が原因なら経済状況を改善し、文化が人種差別を醸成しているのならその文化を修正していくしていく必要があります。悪い思想が育たない環境を整備することが思想を持った人を消していくよりずっと重要でしょう。それをしないで安易に異端者を物理的に追放するなんて方法を取っていると、いずれ対応できなくなるでしょう。圧迫は社会の不穏を醸成し、いずれ圧迫で抑えきれなくなり、爆発します。そうすればもう全てが台無しです。コツコツと積み上げてきたものは塵と消え、人は人への信頼を失い、連帯から分裂へと移行し、憎しみが深まります。このループを断ち切るためにも、人は考えるのを止めてはならないのです。


 散々語ってきましたが、私はある考えについての他人の意見を即座に悪と断定するのは建設的では無いと思いますし、そもそもその意見を提起するに至った経緯や根拠に興味があります。つまり他人とある問題について語り合うのが大好きなのです。このある問題に対する思惟を書き連ねていく試みはともすれば孤独な作業ですが、私は私が考えているなかで他人も意見を述べてくれるのではないかと期待しています。そもそもある問題に対する絶対的に正しい答えなど存在するのでしょうか。私は絶対的に正しい答えは時代によって、環境によって、文化によって、状況によって異なると考えているのでその存在については否定的です。真理は常に中庸にある、なんてことは言いませんが、それもまた数多ある真理の一つだと思います。つまり色々な意見を人は持って良いし、表明して良いと思います。また表明しなくても良いと思います。何も無理して自分の心の内を明かす必要もないのです。社会の常識に合わない意見を提出するときは誤解は必ず生じるものだと考えて、その根拠も一緒に述べることが必要です。データを示すことも大切です。そうすれば唯の誹謗中傷から議論の題材へと引き上げられます。私はそうやって罵詈雑言の投げ合いから議論へと移行していくことを望みます。こんな感じで次も書いていきたいと思いますので、もし良ければ意見や感想ありましたら気楽に投げ込んでください。何時の時代も一人で考えるより、皆で考えた方が楽しいものです。私は一人一人の意見が正しい正しくないは置いておいて、尊重される世の中になることを心から願っています。そっちの方が楽しいですよ、きっと。


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