俺は恵まれている
その時。馬鹿みたいに笑うそいつらの横を何かが物凄い勢いで吹き飛んだ。目で追うことすら難しい早さでぶっ飛んだそれは、着席する生徒さん方の顔スレスレのところをかすり、黒板に激突して爆発でも起きたかのような衝撃音が響き渡る。これ、人に当たってたら頭飛んだぞ。俺が一番当たりそうだったけどね。
黒板の半径三十センチ程を粉々に砕き、チョークの粉煙を上げながら床に落下した何かを目だけで確認すると、それは間違いなく机だった。脚は折れ、板は割れ、たぶんもう使い物にならない。全員が笑顔のまま凍っていた。原因はぶっ飛んだ机だけじゃない。ピリピリとした重苦しすぎる空気がこの教室を覆っているせいだ。そしてみんな同じタイミングでゆっくりと振り返った。腕を組み、机のなくなった席で物凄い殺気を放つアークを。
「な、なんだよアーク。怒ってんのか?」
一番初めに笑いやがった男が引き攣った笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。決して大きくはないその声がやけによく聞こえた。みんなもう誰一人として喋ってないから。そんな男にアークは皮肉を込めて微笑する。
「……どうしたじゃないだろ。いま笑った奴、全員表へ出ろ。二度と口を聞けないようにしてやる」
これは、ヤバイ。
アークが本当に怒ってる。さっきまで馬鹿みたいに笑ってた奴も、みんな顔を真っ青にしてうつ向いた。つーことはあれか。アークは魔力抑えられてるっていっても優秀な部類なんだろうな。安心だ。
いやそんなこと言ってる場合じゃない。俺はちょっと府抜けてた顔を引き締めた。その間にアークは音をたてて立ち上がる。ビクッと肩を飛び上がらせる一同。ちなみに俺も含む。
「随分な態度の変わりようだな。それで許されると思ってるのか。さっさと……」
「アーク」
言葉を遮ってアークの名を呼んだ。アークだけじゃなく、教室の皆の目線がこちらに向く。
「マ……お前は黙っていろ」
「座れアーク。こえーよ。女の子までビビってんだろうが」
「だから何だ」
「アーク」
さっきよりも少し強めにアークの名を呼んだ。拳を握りしめているのが分かる。ごめんよアーク。しばらく俺とアークは目線を外さず、お互いにお互いを睨み合う居心地の悪い空気が流れる。めちゃくちゃ長く感じられる十数秒の間。やがて、先に視線を逸らして荒々しく席に着いたのはアークだった。
でも俺は忘れない。あいつ、一回俺のことマスターって言いそうになったな。
教室中が安堵の空気に和らいだのを感じる。つーか俺のおかげだろうが。何か言えよ。とか思っている時、ゴツい何かが俺に体当たりという名の包容をしてきた。完全に空気と化していたスティオール先生だ。
「素晴らしいフィア・リエルト! よくアリスターク・エドルを抑えてくれた! 素晴らしい!」
「ちょ、キモい! 離れろッ!」
「お前ら友達なのか? いやー素晴らしい! 友情って素晴らしい! よし、お前はアリスターク・エドルの隣だ!」
つーかこいつ、全員をフルネームで呼んでんの!? 超めんどくせえ!! そうして必死に引き剥がそうとする俺だったが、予想に反してスティオール先生はすぐに俺から離れた。そして一瞬真顔になる。
「それからお前ら。さっき笑ってた奴は全員覚えておいた。課題三倍出すからな」
あ、あれ。格好いいじゃねえか。目を細めて見下ろすスティオール先生はまるでヤ○ザのよう。いやこのひと元々恐い見た目だからね。あの性格が台無しにしてるだけで。
スティオール先生に促され、すっかり大人しくなった皆の席を通りすぎ、アークの隣へ行く。一番初めに笑い出した例の男の隣を通るとき、死ねとか聞こえたのは気のせいということにしよう。
凄く都合よく空いていたアークの隣の席に座り、鞄を下ろす。気を取り直したスティオール先生がホームルームを再開したところで、いまだに不機嫌なアークに話しかける。
「ありがとな、アーク。格好良かったぞ。恐モテってやつか」
「……お前、いいのか。仮にもお前は」
「学生だ」
アークにため息つかれた。ていうかこいつ机どうすんのかな。 机が無いこと忘れて頬杖つこうとしてガクッとなり、何事もなかったかのように腕を組むアークまじ面白い。
「さて、ホームルームは終わりだ! お前ら今日も一日元気に過ごせよ! お! なんだこの机は! お前ら片付けとけよ!?」
そう言い残して教室を出ていくスティオール先生。なんだこの机はじゃねえよ。ニワトリかお前は。
教室に残された俺たち生徒はなんとも気まずい空気。みんな、アークがまだ怒ってると思ってんだろうな。正直に言おう。ざまあみろ。いや心の中で悪態つく俺、マジちっせえな。そしてアークは無言で席をたち、机をどかして傾いた黒板を直し始めた。
普段通りに戻ったアークの姿に安心したのか、みんなそれぞれ教室を出たり雑談を始めたりしている。さて、俺はアークを手伝おうかな……と立ち上がろうとした瞬間、一番初めに笑い出した男子生徒が俺の席に近付いてきた。
少し長めの赤いアシメ。百七十センチは超えているであろう背丈で、席に座ったままの俺を見下ろす。かなり不機嫌だ。
「おいG。お前アークの知り合いか?」
「……友達」
なんだこの上から目線。しかもGとか呼びやがったので目も合わせずに言い放つ。するとアシメは鼻で笑いやがった。
「媚びて守ってもらってんの? バックにアークがいるからって、調子に乗んなよ能無しが」
うぅっぜえええ!! 超ウザいんだけどこの子!! バックとか!! 何それウケる!! お前どんだけアークがこえーんだよ!!
そんな男子生徒の声に、性懲りもなくクスクス笑う何人か。なんかもう慣れたな。しかし編入生って、もっとホームルーム終わった瞬間囲まれるもんじゃないの? 質問攻めとかさ。密かに質問の受け答えを準備していた俺ワロス。
「おい、シカトしてんじゃねえよ」
「ちょっとジル! さっきからしつこいわよ! 黙ってらんないの!?」
特に言葉を返さなかった俺に男子生徒──ジルが俺の襟を掴んだとき、前の席にいた女が振り向きジルの膝の裏を蹴った。膝かっくんですね。分かります。案の定ジルはカクっとなり、俺の方に転んできた。俺の頭とジルの頭が激突する。なんで俺まで……。
「なにすんだよテメエ!!」
「暇人ね、あんた。くだらないことばっかりグチグチと。さっさと席に戻ったら?」
顔色ひとつ変えずに坦々と述べる彼女。ふわふわしたオレンジの髪をサイドで縛っている。もこっとした毛糸の玉の飾りが可愛らしい。でも少しきつめの顔だ。ジルは悔しげに口をつぐみ、俺を睨んでから席に戻っていく。あいつ恐いものいっぱいだな。
とにかくウザいジルから解放されたので、彼女にお礼を言おうと目を合わせる。
「助かった。ありがとな。良いやつだなーお前」
「エリよ」
「助かった。ありがとな。良いやつだなーエリ」
あれ? 別に全部言い直さなくても良かったんじゃね? 馬鹿か俺は。しかしエリは満足げに体ごと後ろを向き、俺の机に頬杖をつく。
「あんた、意外と堂々としてるのね。気に入ったわ。フィアだっけ?」
「おう!」
「そ。Gランクとか大変ね。頑張んなさいよ」
そう言ってエリが笑う。馬鹿にしたようにではなく、応援してくれているように。一度冷めていた学園生活への思いが再び燃え上がった。
「あ、あのぉー……」
ふと、エリの後ろから聞こえたオドオドした声。不思議に思いながらエリの背後を覗きこむと、彼女の背に隠れるようにして俺をチラ見する女の子がいた。
「何してんのよティリー。ほら!」
腕を捕まれ俺の前に引きずり出される少女。ちっちゃい。百四十センチくらいしかないんじゃないかな。ピンクの髪が肩の少し下くらいで切り揃えられ、顔の横の毛だけがくるんと内側にカールしていた。やべ、めっちゃ可愛い。
「あ、あの、その」
「どうもどうも。エリの友達?」
「は、はい! あの、ティリーと申します! あああの、フィフィフィフィアさん!」
ちょ、『フィ』多! なんか変な笑いかたみたいに聞こえるぞそれ。でも可愛いから許す。
「ちょっとティリー、意味わかんないわ。言いたいことがあるならハッキリ言いなさい!」
お姉さんみたいなエリがティリーの頭をコツンと叩いた。ティリーはキッと俺を見つめ、肩に力を入れる。
「あ、あの! 私もギリギリDランクで、その、魔法も下手で……。だから、フィ、フィアさんも! 一緒に頑張りましょう!」
顔真っ赤にして一生懸命言うティリー。ああ、そうか。こいつも良い奴なんだ。こんなに小さい体で、こんなに一生懸命。
「そっか。頑張ろうな、ティリー!」
「……はいっ!」
一緒に頑張ろうなんて、久しく言われたことがなかった。だって俺はギルドマスターだから。鍛えてやることはあっても、誰かと共に鍛え合うなんてのはアークくらいとしかしない。一緒に……というその言葉が、なんか物凄く嬉しかった。
「俺のいない間に、何してる」
そこに帰ってきたアーク。すっかり元通りになった机を抱えている。
「アークさん、お疲れ様です」
「ちょっとアーク! あんた友達が来るなら先に言っときなさいよね!」
何やらアークとかなり仲が良い模様。黙ってアークは机を降ろし、席につく。
「急遽決まったんだ。言う暇が無かった。ところでフィア」
「なに?」
「俺がこの学校で一番仲が良いのはこいつらだ。他の奴みたいに腐ってない。保証する」
おま、そんな、仮にも女の子を生ものみたいに……。そしてアークは何だか不思議そうに辺りを見回した。
「セリスがいないな」
「ああ、あいつなら……。ちょっとセリス! いい加減にしてこっち来なさい!」
エリが馬鹿でかい声で叫ぶと、廊下側の一番前の席にいた黒髪の男が反応した。何やら本を読んでいたようで、名残惜しげにそれ閉じるとこちらに向かってくる。
「セリスだ。あいつも変わってるけど良い奴だよ」
アークの言葉に耳を傾けながらも、 目線はセリスと呼ばれた男から離さなかった。何故かって? 男に見えないからだ!! あ、いや髪の毛は黒くて良い感じに短いし、男子のブレザーだし、女っぽくしてるわけじゃねえんだよ。問題なのは体格と顔だ。
ちなみに俺は百七十ちょいの身長なんだけど、それより十センチくらいちっちゃい。エリとどっこいだな。加えて大きな二重の瞳は子犬を連想させ、華奢な体が守ってやりたくなる空気を醸していた。
「んもう、僕本読んでたのにー」
ぷくっと頬を膨らませる。グハッ! なんだこいつ! この期待の裏切らなさはなんだ!
破壊力抜群のセリスに悶える俺。そんな俺をセリスの瞳が捉えた。
「わっ、びっくりしたあ。君だれ?」
なん……だと? いやいやいや、そんなキョトンとされても! こっちがキョトンだわ!
「あ、あの、セリスさん。こちら今朝編入してきた人ですよ?」
「あ、そうなの? 編入生なんて来てたんだ。ごめんね。ちょっと本に夢中になってたみたい」
「Gランクのフィアよ。あんた話聞いてなさいよ」
「Gランク? 凄い! 僕初めて会ったよ! これからよろしくねーフィア!」
「おう! よろしく!」
俺の手を取り、満面の笑みで振り回すセリス。可愛いな畜生。そんな人懐っこい笑顔で俺にまとわりつくセリスの相手をしながら、ふと思う。
俺はたぶん、恵まれた。
俺を分かってくれる親友のアークがいて、Gランクを差別しないこんな良い奴らが三人もいる。きっと、恵まれすぎた。もし俺が本当の能無しで、アークもこいつらもいないクラスに編入したとしたら。俺はいま笑っているだろうか。いや、あり得ないだろう。
もう一度心に刻み付ける。
俺は、恵まれているんだ。
「フィア」
違う世界に意識を飛ばしていた俺を呼び戻したのはアークだ。少し心配げに俺を見ている。だけど心配ない。
「なあ、アーク。学園ていいな」
夢の学園生活の始まりなんだから。