任務
そして静かになった部屋で、ブラスディア国王は自身の手のひらを見つめていた。あんなに疲れていたのが嘘のように体が軽い。フィアの仕業だろう。
「詠唱もせずに、か。恐ろしいガキだ」
思わず笑みがこぼれる。そして学園を許可したときの嬉しげなフィアの顔と、最後にお礼を言ったときの照れくさげな顔を思い出した。無邪気なその顔に、ギルドマスターなどという肩書きは似合わない。
「楽しんでこい、フィア」
誰もいない部屋で一人、王は扉に向かって微笑んだ。
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学園に通える。念願の学園。嬉しすぎて城を後にしてからも走り続ける俺。仮面は外し、ローブも脱いだ。いまの俺はギルドマスターじゃなく、もう学園の生徒さ! 明日からだけどな!
全速力で走り回り、明日アークと合うはずの公園を十周くらいしてから聖白に帰った。名残惜しいが仕方なくローブも羽織り、仮面をつける。そうして聖白の門に立つと、門番が慌てて頭を下げた。
「マ、マスター! お帰りなさいませ!」
門番とか入ったばかりの受付嬢とか、一部の人はまだ俺の性格を知らないので緊張してくれているのが分かる。この緊張感いいよね。俺すげえ!ってなる。なのでそのまま役になりきったりする。
「開けてくれるか。任務に行きたい」
「ハッ! すぐに!」
重々しく、三つの門が順番に開いていく。なかに入ると四つの受付は全て依頼者で埋まっていた。もう少し落ち着いてから依頼受けに行こうかな。急いでいるわけでもないし、ソファーに腰掛けコーヒーを飲む。すると俺に気付いた一般の人達がざわめきだした。
「おい、あれ。孤高の制裁者様じゃ……」
「嘘だろ!?」
「あ、あたし、初めて見る……」
「蒼髪って本当だったのね」
ぼそぼそ言うだけで近寄っては来ない。
はっきり言おう。緊張すると。
もう超バクバク! 超恥ずかしい! でも今席を立って逃げてみろ。余計目立つ。ていうか立ったところですることがない。受付は埋まってるし、外に出るのも変だ。あれ? 入ってきたばっかなのに出てったぞ? ってなるじゃない!
というわけでコーヒーを飲もうとし、紙コップを傾けたところで中身がないことに気付いた。はい馬鹿。俺の馬鹿。いつの間にそんなに飲んだんだろうね。どうしよう。いま見てた人いないよね? 見てた人いたらマジぶっ殺す。ちなみに仮面つけてても飲めます。仮面、鼻までしかないから。つけたまま飲もうとして『いっけねっ! 取るの忘れてたっ』みたいなのは無いから大丈夫。
「マスター。お戻りでしたか」
そんな内心パニックの俺に出された救いの手は、ミルシアだった。これで恥ずかしい孤独から逃れられる。
「今戻ったところだ。どうした」
「ローブが届きました。お召し替えを」
「ああ」
汚いローブを脱いで新品に袖を通す。なんだか固く、着なれてない感が半端じゃなかった。
「あの、マスター」
「?」
「そちら、お預かりします」
汚いローブの方を言っているらしい。丸めて脇に抱えたまま渡さそうとしない俺に、ミルシアが戸惑う。いや、渡せないよこんなの。言っとくけど汚れかた半端じゃないから。国王の城の門番でさえ汚いとか言っちゃいそうになるレベルだから。あと多分臭い。「うわ、マスターくっさ……」と思われたくない。
「いや、いい。俺が処分しておく」
「しかし……」
「汚れるぞ。いいから下がれ」
「そんなこと私には関係な……」
皆が見ている手前か、中々引き下がらないミルシアから一歩後ずさり、俺はローブを宙に放って指をならした。途端に空中で勢いよく燃え上がるローブ。それが床に落ちるよりも前に燃やし尽くし、数秒で燃えカスすら無くなった。
「これで文句は無いか?」
「あ、あの……」
「受付嬢の手は汚せないだろ。仕事に戻れ」
「あ、ありがとうございました」
言い残して走っていったミルシアの頬が若干赤かったのは気のせいだろうか。ていうかお礼言うのこっちだからね。そう思ったとき受付の一つが空き、そこへ向かう。そんな俺は、『素がアレなら良かったのに』というミルシアの呟きには気付かなかった。
「最高ランクの依頼を幾つか見せてくれ」
「あ、は、はい! あの、しょ、少々お待ちを……」
気を取り直して受付へ向かった俺。緊張して慌ててる女の子すごい可愛い。この子は確か受付嬢として入隊したばっかの子だ。確かミューズって言ったかな。
「お待たせしました!」
彼女が見せてくれた依頼は三つ。一件目は夜中に時々現れる魔獣の群れから畑を守り、撃退もして欲しいというもの。魔獣の数が多すぎて正確な数や種類が分かっていないため、念のため最高ランクとなっているようだ。
二件目は先日村を魔獣に襲われ、そいつらの住処にされてしまった村長からの依頼。村人の大半は殺され、逃れたのは村長と十数人の村人だけらしい。村に我が物顔で住み着く魔獣の処分を依頼したいらしい。この魔獣は特徴から察するとエイプだな。あれだよ。ゴリラが超でっかくなって超凶暴んなって超馬鹿んなった感じの魔獣。そのくせ強く、攻撃すれば見境なく三日三晩暴れまくるので始末が悪い。
そして最後は隣の家の夫婦喧嘩をやめさせてくれというもの。大変だ。それは何とかしないと……ってミューズさあああん!! 最低ランクのやつ混ざってるよ!! どんだけ緊張してんだよ!!
「えっと。じゃあこれで」
俺は二つ目のエイプの依頼書を取った。書類にサインやらなにやらして、ミューズに渡す。新入りのミューズは何度も何度も書類を確認し、ようやくホッとした顔で笑顔を浮かべる。
「お待たせしました! お気を付けて行ってらっしゃいませ!」
いやぁ可愛いな。ほんと癒しだな。これからも是非頑張ってほしい。そんなオッサンみたいなことを思う俺は、転移で早々に依頼主の元へ向かった。依頼主の村長と生き残りは全員この近くの病院で保護されている。まずは話を聞くのが先だ。
病院につき事情を伝えるとすぐに会わせてもらえることになった。村長はかなりの深手を負っているらしく、病室で包帯ぐるぐる巻きにされている。顔を噛み砕かれそうになった……ということで顔は特に頑丈に巻かれ、片方の瞳だけが包帯の隙間から覗いていた。その目は怒りのあまり見開いて充血し、包帯に覆われた口から荒い息を繰り返す。
正直、きつい。
「遅くなり、申し訳ない。聖白ギルドより参りました。ギルドマスターです」
「お、おお……孤高の、制裁者様、か。……有難い」
「これからすぐに任務に向かいます。依頼にあった村とは、ここから三十キロほど先にあるアルカス村で宜しかったでしょうか」
俺の言葉に、動かないはずの腕を無理やり動かして俺の腕を握った。震えている。やばい、俺の方が泣きそう。
「お願い、致します……!! あ、あいつら、わしの愛娘とその孫を……、噛み砕きおった……ッ!! あんな、娘と、赤ん坊を……ッ」
爪が食い込むほどに俺の腕を強く握り、上手く機能しない声帯で声を振り絞る。その姿を見ればどれほどの地獄を見せられたのかすぐに分かった。俺は村長の腕をそっと外し、ベッドに戻す。
娘と赤ん坊を噛み砕かれ、それを目の前で見ていることしか出来なかった村長。想像してしまえば頭の血が一気に上るのを感じた。この依頼にしてよかった。
「必ず」
言い残し、そのまま窓から飛び降りる。落下しながら転移を唱え、空中で俺の姿は消えた。
空気が変わったのを感じ、瞳を開けて仮面を消す。俺が立っている場所は小さな村を一望できる少し離れた崖の先だ。獣の叫び声が聞こえる。あまり穏やかでない感情を抑えて見下ろすと、村には二・三十匹のエイプが徘徊していた。この距離からでも殺されたであろう村人の死骸が見える。食い散らかされ、あるいは踏み潰され、原型はほとんど止めていない。我が物顔。依頼内容にあった通りだ。
エイプ独特の汽笛のような低い唸り声。しかし俺は知っている。これはエイプの機嫌の良いときの鳴き声だ。
その口で、娘と赤ん坊を食ったのか。
その爪で、罪の無い村人を引き裂いたのか。
こみ上げる怒りに反し、心は落ち着いていくのを感じた。エイプは生半可な攻撃では逆上して暴れまわり、余計始末に悪い魔獣。ということは、方法は一つしかないだろ?
「制裁の刃。貫くは咆哮。等しく焼かれ、叫びを上げよ」
落ち着いた声でゆっくり詠唱する。詠唱破棄では生ぬるい。完全詠唱で、あいつらに相応しい苦しみを。
「願いしは絶望。望むは寡黙。我の声に答えて逆巻け。四方炎獄・風刃召煙」
二つの魔法を一度に発動する二重詠唱。その瞬間、目線の先にある村を囲むように炎の柱が四本上がった。柱はすぐに四本全て倒れ、炎により正四角形を描く。これが四方炎獄。その四角形内に囚われたエイプは訳も分からず辺りを見回し、普通ではいられない高温と減っていく酸素に苦しみ始める。
それを嘲笑うかのように二つ目の魔法が発動した。四方の炎を風によって更に燃え上がらせ、その熱風に乗せて鎌鼬を飛ばす風刃召煙。高温の風によって作られた鎌鼬は、エイプたちを焼きながら切り刻む。死んでも死にきれない。そんな苦しみを易々と終わらせまいと、炎獄の炎はゆっくり、ゆっくりと四角形を小さくしていった。さて。あいつらが完全に死ねるまで、あと何十分かな。
無表情で見下ろすアルカス村からは、甲高い悲鳴のような咆哮が木霊する。
俺は知っている。
これは、助けて欲しい時の鳴き声だ。
その声が完全に聞こえなくなるまで、俺は村を見つめ続けた。