それが難しいと分かっていても
それから教室に帰ってからのホームルームはあまりに短かった。まず皆が席について、スティオール先生が入ってきて、『みんなに素晴らしい知らせがある! なんと今日は先生の結婚記念日だ! なんなら祝ってくれても良いぞ! じゃあ!』とだけ言い残して出ていった。
え、これでいいの? これで帰っていいの? なんかあまりにも想像と違ったホームルームにそわそわするけど、みんなは普通に鞄に荷物をまとめて教室を後にする。あ、本当にいいんだね。フリーダムだね。
「フィア、帰るぞ」
「ういっす」
慌てて俺も荷物をまとめる。その間にティリーたち三人もこちらに集まってきた。そっか。みんなで一緒に帰るのか。え、やばくない!? 待ちに待った下校!! やっべどうしよう!! どういう感じで歩けば良いんだろう!! そんなことを思って教室を出ようとしたとき、タイミングよく放送が流れた。
『一年A組、フィア・リエルトくん。一年A組、フィア・リエルトくん。学園長室までお越し下さい。繰り返します……』
その放送にみんなが俺の方を一斉に向く。恐っ。こっち見んな。
「フィアさん……」
「フィア、なんかしちゃったの?」
何やら不安げなティリーとセリス。聞いてみると学園長室に呼ばれることは余程の事がないとあり得ないらしい。でもたぶんあれだろうな。俺まだ学園長に挨拶してないし。顔合わせ的な。
「つーか学園長室ってどこ?」
「教員室の隣だ」
「え!? あったっけ!?」
「隣っていっても、教員室の奥にある扉からしか入れないのよ。だからとりあえず教員室行きなさい」
「あ、そーなんだ。行ってくるわ」
はぁ、悲しい。せっかくみんなと一緒に下校できると思ったのになー。心の中で泣きながらみんなに先に帰るよう促して学園長室に目指す。二階に降りて教員室に向かい、こちらを見てくる人たちの目線を無視しながら中に入った。その瞬間目に入ってくるのは二人でコソコソと話をするスティオール先生とルー先生。何を話してんだろうと思わず見つめてしまった俺にすぐ気付いた二人は、驚いた顔でこっちを見てきた。
「あ、あれ!? フィアくん!」
「どどどどうしたんだフィア・リエルト!」
「いや、学園長室に来いって放送が……」
なんでキョドってんだこの人たちは。ていうかスティオール先生早く帰るんじゃなかったのか?
「そうかそうか! ではこっちだぞフィア・リエルト!」
「つーか先生、結婚記念日なんじゃ?」
「なに!? そうだった!! ではルー先生あとはお願いします!! さらばだフィア・リエルト!! ありがとう!!」
ハハハと爽やかに笑いながら去っていくスティオール先生。爽やかなんだか暑苦しいんだか分からない。やっぱりめんどくせえなあの人。
「学園長室はねえ~、こっちだぞーう!」
相変わらずのルー先生に教員室の奥につれてかれると、そこには俺が横に五人並んでも入れるんじゃないかと思うほどでかい扉。取手は黄金で、その扉と取手だけどう見ても素材のレベルが違った。こ、これは……城ですかね、分かります。
「学園長すっっごく優しい人だから、緊張しなくていいよお」
「ま、マジすか!? なんかこう……厳格な人しかいなさそうですけど」
「学園長ぉー! 失礼しまぁす!」
俺の話も聞かずに取っ手に手をかけるルー先生。重苦しい音をたてながら扉はゆっくり開く。中は少しブラスディア国王の自室に似ていた。左右の壁には隙間なく本棚が設置され、本がぎっしりと詰まっている。床はブラウンの絨毯になっていて、奥に大きな窓が一つと、その前に書斎机。部屋の中央には黒のガラステーブルがあり、それを囲むように黒のソファーがあった。そしてちょうど本棚の一番上にある本を取ろうと腕を伸ばしている人物が目に入る。
ていうか危ないな。絶対届きっこないからあれ。一番上まであと一段以上あるから。でも諦めようとしないその人に近寄り、俺は取りたかったであろう本を取ってあげた。俺まあまあ身長はあるんだからね。アークがでかすぎて目立たないだけで。
紳士っぽくそれを差し出すと、相手は俺を驚いたように見つめる。学園長って聞いて勝手に堅苦しそうなオッサンを想像していた俺だったが、予想に反して目の前の人物は女性だ。いや、女性というかご婦人? 膝下丈のスラリとしたシフォン素材の黒いスカートに、控えめなフリルのクリーム色ブラウス。それと深緑のジャケットを身に纏っている。綺麗な白髪は黒いコンコルドでふんわりとお団子にまとめられ、コンコルドの装飾のチェーンが振り向き様にシャラリと鳴った。
六十代くらいだろうか。まだ何も喋っていないその人から発せられる気品と優しげな雰囲気に、俺はぶっちゃけ魅入ってしまっていた。黙ったまま動かない俺に向かって、その女性はふわっと微笑む。
「あら、ありがとう。でも私が欲しかった本はこの隣のやつなの」
「へ? あ、そ、そうスか」
「あっはっはっ! フィアくんドンマイ~!」
遠慮なく爆笑しないでルー先生! なんだこれ恥ずかしい! 親切にして恥ずかしくなるとか超恥ずかしい! 目にも止まらぬ早さで本を奪い取り、隣の本を取って渡し直す。
「あらあらごめんなさい。右隣じゃなくて左隣だったの」
うおおおおお!! めんどくせ!! もうそれ読めよ!!
……という心の叫びを堪えて今度こそお目当ての本を渡してやった。
「ご親切にありがとう。貴方がフィア・リエルト君ね。呼び出してごめんなさい」
「いえ……」
「学園長ぉー! 私もいた方がいいですかっ?」
「いいえ、大丈夫。お仕事に戻って下さいな」
「了解しましたあ!」
騒がしいルー先生が部屋を出ていき、俺と学園長だけが残される。うわなにこれ緊張する。目の前の学園長は相変わらず微笑んだまま書斎机に本を置き、部屋の中央のソファーに腰かけた。
「座ってちょうだい。すぐに済むから」
ペコリと御辞儀して向かい合うように座る。
「私はブラスディア学園の学園長、アルネルよ。朝はご挨拶できなくてごめんなさい。少し用事があって、学園にはいま戻ってきたところなの」
そうだった。この人だけ俺の正体知ってるんだった。しかも国王に直々に学園長を任された人。かなり高位の人だ。つーかあれ!? アルネルっていったら王家に仕える大臣の一人じゃなかったっけ!? シジイぃいい!! なんつー高位の人に学園長やらしてんだよ!! 馬鹿じゃねえの!? やばいな。国王は年中無休で無礼講だから問題ないけど、他の人にはあんまり失礼なこと言えない。俺は慌てて気を引きしめる。
「いえ。本来は私の方からご挨拶に伺うべきでしたのに申し訳ございません。国王にお力添えいただき、本日より編入させて頂きましたフィア・リエルトです」
「あなたの話は聞いています。というより一度お会いしたことがありましたね、ギルドマスターさん」
「私情によりギルド隊員たちと国王の前でしか仮面が取れず、あの時は失礼致しました」
「そんなに畏まらないで。貴方の立ち位置は異例だけれど、実質の位は私たち大臣と変わり無いのだから。敬語だって必要ないのよ?」
「いえ、そういうわけには……」
ふっ、俺を買い被っているな。俺が敬語なくしたらヤベーぞ。一気に精神年齢十歳くらいに見えてくるぞ。エスカに言われたんだから間違いない。
「ところで一つ聞いておきたいことがあるんだけど、宜しいかしら」
「はい」
「ギルドマスターと学生、貴方にとってはどちらが本業になるのかしら?」
そこでアルネル学園長の目が威厳を帯びた。偽り、建前は一切通らない。その瞳を見て俺は気付く。この人は学園長という仕事に誇りを持っている。どちらか一方、あるいはどちらも中途半端にするなら許さない……と、そう言われた気がした。ここでの返答をミスるわけにはいかない。一度深呼吸してから、口を開く。
「正直なところ、本業はギルドマスターです。外交の予定や緊急事態が発生した場合、私は間違いなく学園よりそちらを優先します。ですが……」
「…………」
「学生を甘く見ているわけではありません。私は、私がより成長するために学園へ通う道を選びました。私が学生でいられる時間はその事だけに集中し、学業を全うする覚悟でいます。仕事のせいにして学業を蔑ろにすることは誓ってありません」
涼しい顔してるけど、膝の上で握った拳は汗びっしょり。それはもうびっしょり。だ、大丈夫かな。でも嘘は一切言ってないぞ。本心だ。けど落ち着かせようとすればするほど俺の心臓は暴れる。そんな時、目の前のアルネル学園長がくしゃりと笑った。
「ふふっ、国王の言ってた通りね」
「は?」
「学生とギルドマスターを両立するのは大変よ。きっといま貴方が思っているよりも。それでも出来る?」
「やります。だからここに来ました」
「そう。だったら……」
微笑んだままのアルネル学園長が何かを差し出す。遠慮がちにそれを受け取って、それがなんなのかをすぐに理解した。ポケットに収まるくらいの薄い手帳。黒い革のカバーがかかったそれは、紛れもなく学生手帳だった。中を開くと学生証もはさんである。俺の顔写真等が載った厚めのカード。学生の身分証明書。
「う、うわ、学生証だ! すげー……」
「喜んでもらえて嬉しいわ」
「ッ!」
思わず口に出てしまった言葉と緩んでしまった頬を隠すように、慌てて口を覆う。そんな俺を見てアルネル学園長は声を出して笑った。
「いいのよそのままで。無理して一人称を変えたり、畏まることないの。今の貴方は学生なんでしょう?」
良い人だな。
純粋にそう思った。ただ優しいだけじゃなく、人を包み込む器が大きい。
「……はい。ありがとうございます」
やっぱり改めて思う。俺は本当に恵まれたんだ。




