次回の鍋パは開催未定
「へぇ~。そりゃまた厄介事の匂いがプンプンするねぇ」
できたばかりの鍋をつつきながら、早速先ほどあった出来事を聞かされた主任。
真面目な表情を取り繕っているが、実際自分で目にしていないせいか、どうもまだ真剣味が足りない。
「笑い事じゃありませんよ主任。そんな危ない人が近所にいると思ったら、おちおち出歩けないじゃありませんか」
鍋横に置かれた菜箸を振り回し、プンプンと苦情を言う高瀬。
「まぁねぇ…。明日には地域の子供の連絡網とかで回ってんじゃない?不審者注意って」
「出てそうですねぇ…」
この地域には小学校もあるし、通学路だってすぐそばには存在する。
対策を取っておく事は必要だ。
学校や地域の警察でも、ラインやSNSを使っての情報の発信が行われているらしい。
いち早い情報の入手が、誰かの生死を分ける場合だってある。
「…ということで、帰りは送ってくださいね、主任」
「なるほど、最終的にはそこに持ってく布石か」
まぁ別にかまわないけどね、とあっさり了承する主任。
別にそういうわけではない。むしろ最初からそのつもりだった、とも言えないが。
「こういう事件で女子供が狙われるっていうのは定番だしね。確かに、用心するに越したことはない」
真面目な顔で頷く主任。
よし、言質をとったところで…。
「主任、そこの豆腐取ってください。お玉で!!」
「及川くん君なんでこんなにぐしゃぐしゃにしたの…。不器用すぎでしょ」
「だから豆腐との距離が遠かったんですって!」
「とってあげるからお椀貸しなさい、ほら」
「……お前たちは…」
真剣な話もあっさり中断し、鍋をつつきだした二人。
豆腐を菜箸でつかもうとして失敗し、潰してしまった高瀬に代わり、お椀を片手にあっさり豆腐をすくい上げる主任。
ついでにあれも、これもと頼まれてお椀に入れてやるさまはまるで兄妹のようだ。
「主任って、なんていうかこういうの手馴れてますよね~。
さすがは手間のかかる女好き」
「これくらい普通普通。っていうか、常識的にはこれ、君の役目だからね?」
はい、と渡されたお椀を受け取りながら、なるほどと納得する。
大皿とりわけ作戦で女子力アピール、確かに聞いたことがある。
「お酌で良かったら…」
「酒飲んだら送っていけなくなるでしょ」
「…じゃあこちらのカルピスをマッコリのつもりで」
「原液注がれてもねぇ…」
「では水割りにします」
コップをもって立ち上がったところで、部長が同じように席を立つ。
「ん?」
「…まだ足が痛むんだろう。ほら」
「部長…!!」
感極まる高瀬をサラッと流してコップを受け取り、ウォーターサーバーの水を注ぐ部長。
ウォーターサーバー。
なんだろう、字面だけで既にオシャレ。
「うちなんて水道水ですよ、水道水。…あ、部長水割り薄めでお願いします」
嫌がらせとしか思えない勝手な指示をする高瀬に、苦笑する主任。
「こらこら、薄いカルピスなんてただの色のついた水だろ」
「大丈夫、ウォーターサーバーの水ですから!」
きっと薄くても美味しい、と力説する高瀬を完全に無視し、何事もなかったかのように戻ってくる部長。
手にはちょうど良い濃度と思われるカルピスが。
「ちっ…」
「舌打ちしない。というか、完全に最初の趣旨を履き違えてるね…」
あ、そうだった。上司へのお酌でした。
まぁいい。その上司を使いっぱしりしたことはとり合えずなかったことにしよう。
「じゃあ部長は…」
「いらない」
「お酌する前に断られた!」
「注がれるのがカルピスじゃねぇ…」
ガーン、と顔に出して打ちひしがれる振りをする高瀬の頭を、よしよしと主任の手が撫でる。
それを見て、軽く片方の眉を上げる部長。
一瞬だけ主任と目が合うと、ニヤッと笑った主任に、苦々しげな表情を浮かる。
じゃれてないで早く帰れとか言われるかな~と思った高瀬だが、部長からのツッコミはない。
ただ、押し殺したようにククク、と笑う主任の声が聞こえるだけだ。
なんだか調子が狂うので、とりあえずさっさと鍋を片付けることに徹する。
部長の機嫌を損ねて得することはない。
「でもさ及川くん。話は元に戻るけど、今回の件にはくれぐれも首を突っ込まないようにね?」
「わかってますよぅ、それくらい」
通り魔と戦うだけの戦闘力は身につけていない。
霊体ならば話は別だが、そもそも犯人を特定するまでには相当な時間がかかるだろう。
身内に被害が及んだならともかく、今の段階では警察に任せるのが最善だ。
「主任こそ、そういう変なフラグ立てないでくださいよ。そういうのを死亡フラグって言うんですから!」
「え?戦場で『帰ったら恋人と結婚式を挙げるんだ』とか言っちゃうアレ?」
「そうそう。なんだわかってるじゃないですか。――おじさんの割に」
「最後の一言余計じゃない?」
「気のせいです。どうしても気になるなら私との年齢差を考えてください」
10歳年上の男はおじさんと言われても文句は言えまいよ。
痛いところを疲れたのか、それとも呆れたのか、やれやれと肩をすくめる主任。
「ついさっき、そのおじさんを押し倒してたのは誰かなぁ」
「部長は部長という生き物でおじさんではありません」
先ほどの話かと思いつつ、きっぱり即答。
「………」
長い沈黙の後、主任がぽん、と部長の肩を叩く。
「頑張れ」
――――え?何をですか。
そして主任、なぜそんな沈痛そうな面持ちを?
「まずそこからなのか…」
ボソリと部長がなにかつぶやいたが、よく聞こえなかった。
とりあえず自分にとって不利な話題であると見てとり、強引に話題変更を持ちかける。
「おじさんって名前の魚がいるらしいんですけど、その魚もそうとう味に癖があるらしいですよね」
年末のテレビでやっていた。ヒゲの生えた魚だ。
食べたいとは思わないけれど、なぜか今それを思い出した。
「話題を変えたつもりかもしれないけど、それ変わってないよ?結局遠まわしなオッサン批判だから」
「おや失敗」
「―――――もういい。早く食べなさい」
今日一番に深く溜息を吐いた部長。
そんなにため息ばかり付いていると幸せが逃げますよ、と言おうとしたが、横でふるふると首を振る主任に気づき、口を閉ざす。
「――それ以上追い打ちを掛けるのはやめなさい」
小声で言われたのだが、私部長になにかしました?
ちらりと部長の顔色を伺えば、若干憮然とした様子。
うん、ここは主任に従おう。
よくわからんが、ご機嫌麗しくないのはわかった。
「締めはやっぱり雑炊ですかねぇ…」
段々と減っていく鍋の具材を見ながら、とりあえず常識的な発言で場を和ませる努力。
「一応パックのご飯とレトルトの中華麺と冷凍のうどんと、選択肢が三つありますけどどうします?」
コンビニで調子に乗って買ってきた締めの具材三種を持ち上げ、確認する。
「というか、なんで三つも買ってきたの?」
「いや、それぞれこだわりがあるかと思いまして。それに残ったら次回の鍋パ用に…」
そう言った瞬間、ギロリと部長の目がこちらを睨んだ。
「うちはもう貸さないぞ」
「えぇ!?」
バレた!!次回もここで鍋パという名の宴会をする気マンマンだったことがバレた!!
「次はない」
断言され、その場でしょぼくれる高瀬。
そこに軽い様子で手を挙げたのは主任だ。
「あ、じゃあうちに来る?なんなら及川くんと二人きりでも――――」