事件発生と不本意なラッキースケベ
よく考えれば主任に買い物を頼めばよかったな、と思いついたのはそれからすぐ後のこと。
だが、どうせなら飲み物やアイスなども買い足したいし、まぁいいかと気分を改める。
何事もポジティブが一番だ。
悔やんだところで事実は変わらない。
「ということで、ここらで部長の恋愛トークタイム!……なぁんて…」
ーーしませんよね。そうですよね。
くるりと一瞬だけ振り返った背後から感じる冷気に、そそくさと再び前を向きなおす。
ちなみに部長はかたくなに高瀬の横には並ぼうとしない。
なぜだ、そんなに○魂パーカーが嫌なのか。
だが今こそ声を高くして言おう。アニメとオタクは日本の文化です!
「そもそも日本人は職人気質の人間が多くてある意味1億総オタクとも………」
自分を正当化すべくブツブツとつぶやいていると、後ろからコツン、と頭を叩かれる。
「部長?」
「――――ふざけていないで早く帰るぞ。そんな格好では風邪を引く」
そうして、颯爽と前を歩き出す部長。
その影に同化するように付き従うアレク君は、ちょっとだけ心配そうに一度振りかえり、『くぅん』と鳴いてくれたが…。
「え、そこは部長のコートを貸してくれるとかじゃないんですか!?」
「君には無理だ。丈が足りない」
振り向きもせず淡々と答える部長。
でも残念、求めている答えはそれじゃない!
ここはいっそ、甘酸っぱく後ろからコートで包んでくれる場面ではなかったのか。
んでもって、まぁあったか~い、なぁんて…。
考えたところで、さっさと前をゆく部長の背中にがっくりと肩を落とす。
「あぁ、これが2次元と3次元の違いか…」
現実は厳しい。
うふふアハハハは夢まぼろしの産物だ。
身長差としてはまさに理想的なのだが。
それともここで真面目に頼み込んだら案外可能だろうか?
「部長、私500円までなら………」
払えますけどどうですか、と言いかけ、ふとその先で部長の足が止まったことに気づいた。
『ウゥ―――――!!』
激しく唸りを上げるアレク君。明らかにその様子がおかしい。
「部長…?」
「―――――来るな」
動こうとする高瀬に対し、厳しい言葉で静止する部長。
「どうしたんですか…?」
その尋常ではない様子に、さすがの高瀬も表情を改める。
部長の視線の先。
そこにあるのは、このあたりの住民のゴミ捨て場だ。
夜中のうちにごみ捨てを行った人間がいるのか、既にいくつかゴミ袋が放置されている。
そこに集まり始めた数話のカラスが、何かをついばむ姿が微かに見えた。
立ち止まってみれば、微かに漂う生ゴミのような腐敗臭。
「及川くん、道を変えるぞ」
「え?」
「……面倒に巻き込まれるのは御免だろう」
※
結果から言えば、部長に感謝。
部長が見つけたのは、生ゴミ用の市の透明な袋に入れられた、猫の生首だった。
先にアレク君が反応し、部長がそれに気づいたようだ。
すぐ異変に気づき、高瀬を引き止めてくれたおかげでその姿を見ずに済んだ。
今見たら夢に出てくる自信があったので、正直ありがたい。
好奇心を出して覗き込まなくて本当によかった。
警察に連絡をしたほうが良かったのだろうが、正直この場で警察が来るまで待つというのはちょっと厳しい。
そう判断して何も言わず回り道をし、高瀬が全てを聞かされたのは部長のマンションに戻ってきてからのことだった。
後で部長がどこかへ連絡を入れていたので確認してみると、どうやらこの地区の自治会長のところへ電話していたらしい。
警察へ連絡するかどうかはそちらに任せる事にしたようだ。
さすが部長、スマートな対応である。
「この間の通り魔といい、なんだか最近物騒ですよね…」
コンビニで購入したカット野菜をそのままどぼどぼと鍋に投入しながら、憂鬱そうにつぶやく高瀬。
おかげで鍋パ気分がすっかり盛り下がってしまった。
自宅に帰ってきてからも、ずっと難しい表情で考え込む部長。
「…同一人物かもしれないな」
「通り魔と、ですか?」
「動物虐待の犯人というのは、小動物へ危害を加えるところから始まって、最後には必ず実際の人間に手を出すと言われている。だからこそ、警察もそういった事件には目を光らせるんだ」
大きな被害を産む前にその目を摘む、そういうことか。
「もしかすると、もうある程度目星は付いているのかもしれないが…」
「早く捕まるといいですねぇ…」
同一人物にしろ、別人にしろ。
動物の――ーあるいは他人の痛みに鈍感な人間というのは恐ろしい。
しっかり取り締まって、早く逮捕して欲しいものだ。
「でも部長、気づきました?」
「あぁ…」
そこで二人、互いに目を見合わせる。
高瀬は実際の猫の死体は目にしていない。
だが、そこにあるべきものがないことだけは、しっかり確認していた。
そこにあるべきもの、つまり。
―――――魂だ。
「あれだけの殺され方をして霊にならずに成仏するなんてまずありえませんよ。
ただでさえ猫は祟るって言うんですから」
猫又、なんていうのがいい例だろう。
今は子供向けアニメの影響で随分可愛らしい姿をして描かれたものも見るが、もともと化け猫は人を食らう。
またとある地方では猫が遺体を跨ぐと起き上がる――――つまりゾンビになって蘇るとも言われていたらしい。
それくらい、霊力のある生き物として知られているのが猫だ。
「殺害現場が違うからそっちで地縛霊化してるってことですかね…?」
「…わからんな」
二人でひとしきり考えたあと、タイミングよく部長のスマホがなった。
どうやら主任が下のロビーに到着したらしい。
「今から上がってくるそうだ」
顔を上げ、こちらにむかって伝える部長に、高瀬もよしとひとつ手を叩く。
「――んじゃ、湿っぽいのはここまでにしましょっか?」
ここからは楽しく鍋パーティーに戻ろうじゃないか。
部長もそれに反論はないらしく、残りの野菜を全部鍋に投入し始めた高瀬に頼まれ、レトルトパウチされていた鍋の具材を箱から取り出す。
「う~。部長、ハサミってありますか」
パウチを受け取り中身を出そうとしたのだが、切れ目があってもなかなかうまく切れない。
「あぁ、ここに…」
「すみません、ありがとうございます………っと!?」
ハサミを受け取るべく鍋の前から移動した高瀬。
その足元に落ちていたのは、先ほど自分で無造作に床に置いたコンビニのレジ袋。
マリ○カートのバナナよろしく見事に踏みつけ、つるっと滑った足。
「おぉぉっと!!??」
煮えたぎった鍋に顔面からダイブするのだけは遠慮したい…!
その一心でなんとかバランスを保ち、しかし最終的に飛び込んだのは………部長の胸の中だった。
というより、完全に鍋に向かって倒れ込む寸前だった高瀬を、部長が自身のもとへ引き寄せてくれたらしい。
「――――気をつけなさい」
「す、すみませ~んっ!!」
慌ててその場から移動しようとし、それが更なる事態の悪化を招いた。
先ほど足を滑らせたせいで軽くひねっていたのか、足首が変な方向に曲がり、今度こそ完全にバランスを崩して、支えてくれていた部長ごと押し倒すような形で思い切り床に倒れ込んだ。
ピンポーン。
「お~い、谷崎、及川くん、邪魔するぞ………って…」
運悪くそのタイミングで声を上げながら部屋に入ってきた主任が、その光景に一気に目を丸くする。
そして、顎に片手を当てて、意外そうに一言。
「……及川君って、案外肉食系?」
「「違うっ!!」」
部長と高瀬、二人からほぼ同時に否定が返った。
床の状態を見てなんとなく状況を悟ったらしい主任は、「これが世に言うラッキースケベってやつかぁ」などと呑気につぶやきながら、「んで」と再びふたりに向かって問いかける。
「お邪魔なら帰るけど、二人ともいつまでそうしてるわけ?」