帰りたい場所
「…また、ですか」
「…また、だ」
はぁ、とふたりして重苦しい空気で向き合う。
みなまで言うな、言わずともわかる。
「これからムツゴロウ部長とお呼びしても…」
「勘弁してくれ」
だったらそっちこそ、肩に鷹をとめたまま真剣な顔で人を呼び止めるのをやめてほしい。
「それ、もしかして社長室にある…」
「剥製だ」
猟友会に入っている社長ご自慢の獲物だと、以前聞いたことがった。
「………私ですらもその霊は見たことがありませんでしたよ?」
「…………」
沈黙が痛い。
5時を過ぎ、もう帰ろうと社内を出たところで再び部長に捕まった高瀬は機嫌が悪かった。
仕事はもう終わり、これからはプライベートの時間だ。
これ以上は残業代、もしくは延長料金を頂きたい。
「少し、時間があるか?これが済んだら飯を奢る…」
「え、本当ですか…?でもなぁ…」
下手に社員に見つかって目をつけられても困る。
「安心してくれ。個室を取ってある」
「計画的犯行ですね」
部長の事情を知らなければ、とんだセクハラ上司だ。
「…少し相談に乗ってもらいたいことがあるだけだ!」
「わかってますよ、勿論。人に聞かれたくない話ってやつですね」
主に部長にとってだが、高瀬にとっても吹聴したいたぐいの話ではない。
霊能力など、大多数にとっては胡散臭い存在だ。
「私、9時には寝たいんで2時間以内でお願いしますね」
「8時前には解放する」
「了解です」
そうと決まれば、部長のゴチに素直に預かるとしよう。
ゴチというより、これは正当な報酬かも知れない。
「ここで一緒に連れ立つと目立つ。…この店で落ち合おう」
そう言って懐から取り出したのは一枚の名刺。
「割烹料亭…おぉ、さすが」
「裏に簡単だが地図が書いてある。先に行って私の名を告げれば部屋に通すように伝えてある」
「例の政治家が行きそうなお店ですね…」
通りすがりに店の外観だけは見たことがある。
品書きに値段がないタイプの店だ。いわゆる時価。
「先に行っていてくれ。私はもう少し仕事を片付けてから行く」
「ラジャ!」
軽口を叩きながらも、いつ人に見られてもいいように、表情だけは取り繕っておく。
あくまで真面目に仕事をしている風を装いつつ、心の中は滅多にありつけないご馳走にルンルンだ。
部長と別れ、足取りも軽く店へと向かった。
※
「部長、先に頂いてます」
「構わん」
部長が合流したのは、店についてから小一時間程過ぎた頃だったろうか。
先付けに、と出されたつまみをちびちびと食しつつ優雅な時間を堪能していたので、それほど長くは感じなかった。
「何か食べたいものがあれば自分で注文しても構わない」
「値段のないお品書きが怖いです」
いくらおごりとは言え、そこまで図々しくはなれない。
「ならさっき料理長には食事を始める様に頼んできたから、もうまもなく待ちなさい」
「は~い」
いい子のお返事で待つ事にする。
「んで部長。なんかこの短時間に増えてますけどどうしました?」
右肩には先ほどの鷹が。
左肩には…これは雉か…?
「…帰りに社長に捕まってな…。先日、雉を撃ったらしい…」
「…ご愁傷様です」
もはや災難としか言い様がない。
いくら現実に重みがないとは言え、これはさぞ鬱陶しかろう。
さすがのボリュームに、部屋の中を遊ばせておいたハム太郎がビビってポケットに戻ってきた。
霊の世界には弱肉強食はないと信じたい。
「ちなみにその雉、どこで撃ったか聞きました?」
「○○県らしいが…何の関係がある?」
「いや、折角なら地元に返そうかと思ったんですけど…ちょっと遠いんで無理ですね。
ちなみに、そっち方面に出張に行く予定の社員とかいますか?」
「いたら…どうなる?」
「その人に一旦つけて、○○県についてから地元の人間に移してもらおうかと…」
できれば故郷に返してやりたいな、というだけだったのだが、その言葉に目を見張る。
「そんなことができるのか?」
「まぁ、できなくはないはずです。…んで、どうなんですか?」
そこで部長は深くため息をつく。
「残念ながらいないな…」
「ありゃま。んじゃあ、可哀想ですけどここのお空で我慢してもらいましょう。明日、晴れるといいですねぇ…」
「明日?」
明日までこのままなのか?と絶望的な表情を浮かべる部長がちょっと面白い。
「いえいえ、一旦お預かりしますよ。ハムちゃんが怯えるから、ちょっと入れ物に入っていてもらいますけど…」
そう言ってガサゴソと自分のバックの中を漁る高瀬。
「?何をしている」
「いえ、丁度いい形代が確か…あ、あった!」
取り出したのは、昔の携帯ストラップのような形をしたシルバーアクセサリー。
「これ、インディオのナバホ族ってところに伝わる伝統の飾りで、まぁ、見ればわかると思いますけど、鳥の羽です。シルバーアクセサリーの工房を持ってる友人がお守り代わりに作ってくれたもので、いつも持ち歩いてます」
カッコよくないですか?と目の前にぶら下げられ、思わず手に取る。
「随分精巧に作られてるな…。販売してるのか?」
「主にネットの受注生産だったと思います。それにこれは私のために作った完全オリジナルなので、同じものはさすがに…」
友情にかけて作ってくれた品だと胸をはっていたので、多分間違いない。
「そうか。相原のやつが好きそうなデザインだと思ったが…」
「え、相原主任ってこういうの好きなんですか」
「…あいつは一時期彫金にも手をだしてた」
「趣味人ってやつですね…」
もしくは金に物を言わせているというか。
「…で、これをどうするんだ」
「勿論、これの中に入ってもらいます。…2匹とも」
喧嘩をしなければいいが、恐らく大丈夫だろう。
2匹とも、早く帰りたがっている。
「明日の朝にでもどこかの空の下で開放してあげます」
好きな場所に帰れるように。
羽根があるのだ。いくらでも飛んでいけるはず。
「おいで」
広げた手のひらの上に羽飾りをのせ、誘う高瀬。
その声に惹かれて、肩の上にのっていた2匹が、競うように高瀬の元にやってくる。
「危な…!!」
その様子は、見えるものにとってはまるで高瀬が襲われるように見えたのか、部長が腰を浮かせて声をあげるが、高瀬にとってはどうということもない。
大きく羽ばたいた2匹は、まるで吸い込まれるように羽飾りへとすっと姿を消す。
後に残ったのは、呆然とした表情の部長だけだ。
「少しだけ、我慢してね」
羽飾りをそっと撫でながら、高瀬が優しくつぶやいた。