第2章/エピローグ
「それと、お母さんの事も」
「…え…?」
ぽつり、と付け足された一言に、室井社長がうなだれた顔を上げた。
「あなたのお母さん、自分の子供たちが心配で死んでも死にきれなかったみたいですよ」
まだ幼い子供たちを残して自分だけ先に逝くことは、どれだけ心残りだったろうか。
彼女の無念は形を残し、やがて神と合一された。
彼女が祀った、本来の正しい”稲荷神”へと。
――それがあの”さっちゃん”の姿。
詳しいことは分からないが、恐らく彼女は生前稲荷信仰を持っていた。
そして、その事が稲荷の失われつつあった本来の善なる神威<カムイ>を呼びさまし、あの家の黒く染まった稲荷とは別に室井家を――自分の息子を、救う為に動いた。
「まぁ、かなり力が削がれた状態でしたから、結局は人任せだったみたいですけどね」
ちらりと肩に乗った白狐を見れば、どことなく気まずそうにそっぽを向いている。
だがさっちゃんに力を貸したのがこの狐であることは既に明白だ。
彼もまた、自身の姿を取り戻したかった。そういうこと。
誰がも皆、自分自身の願いの為に動いていた。
恐らく、室井社長も――――。
「室井家に生まれた女児は、長くは生きられません」
それは、長く続いた呪いの影響。
本来であれば生贄は外から連れてくるもの。
それをやめた室井家への警告として誕生したのが、幸希という新しい贄。
呪法により生まれた”モノ”は、舌なめずりをして待っていた。
――新しい、#室井の一族の血を引く贄を。
「だから、どちらにせよ幸希ちゃんの命は、長くなかった」
生まれつきからだが弱かった、というのはそういうことだ。
「…そんな…」
愕然とつぶやく室井社長。
「………」
沈痛そうにその姿から顔をそらした主任は、まだ床に落ちたままになっていた写真を拾い上げる。
そして、迷わず高瀬へと差し出した。
「これはどうしたらいい?」
「…う~ん…そうですねぇ……」
渡された写真を前に、一瞬考え込んだ高瀬だったが、すぐに名案が浮かんだ。
「…ちょうどいいかも」
「?」
「ちょっと待っててくださいね。え~っと……あぁ、やっぱりまだ居てくれた」
辺りをキョロキョロと眺めた高瀬は、目的のものを見つけると、にこりと微笑み、写真を主任から受け取ると、そこに再び、ふぅと息を吹きかける。
「これでよし……っと」
そして、ちょいちょいと主任を呼び寄せると、彼を従えたまま室井社長の前に立ち、高瀬は言う。
「幸希ちゃんの本当の願い、見せてあげますよ」
高瀬の手の中で、あの写真が淡い光を放ち、一瞬にして溶けて消えた。
そして、そこから浮かび上がったのは、幼い3人の子供の姿。
「……あれは……」
「俺達と……幸希……?」
『タンタカタ~ン、タンタカタ~ン』
ふんふん、と鼻歌を歌いながら、カーテンの真っ白な布を頭に被り、楽しそうに歩く幼い少女。
『ころぶなよ、ゆき!』
『こうちゃん、ひっぱっちゃだめだよ…』
その両サイドに控えるのは、二人の少年。
片方が率先して腕を引いて歩き出そうとするのを、反対側に立つ少年がどこか心配げに見えている。
両手に花ならぬ、両手に兄と幼馴染、大好きな二人を従えた少女は本当に嬉しそうだ。
『みんな、いっしょ!』
ふふふ、と微笑んで、二人の腕をぐっと抱く少女。
『『あぁ、ずっといっしょだ』』
にっこりと微笑む二人の少年――――。
3人の幻は、呆然と立ち尽くす現在の彼らを置き去りにして、楽しげにずっと前を進んでいく。
――――明るい、明るい方へと。
「幸希……!!」
室井社長が引き止めるように手を伸ばす。
それに全くなんの反応もしない少年たち。
だが、幸希だけは、ほんの少し、その足を止め、振り返った。
その輪郭がおぼろげになり、消える寸前。
『お兄ちゃん』
そう言って、確かに笑っていた。
「……どうやら、これが幸希ちゃんの望み…だったみたいですね」
幼すぎたがゆえに、結婚に対するイメージなどろくに持てなかったのだろう。
ただ、真っ白なベールを被り、大好きなふたりと一緒に歩く、それだけで十分だった。
それだけで、――幸せだった。
「幸希……」
膝をつき、崩れ落ちる室井社長。
両手で顔を覆い、肩を震わせる。
「さて、私にできるのはここまでです。後は……っと……」
「!大丈夫か!?」
一瞬、よろよろとよろけた高瀬に、慌てて駆け寄る主任。
お供のペット+αも心配そうに見ている。
「……いやぁ、ちょっと力を使い過ぎちゃいました……かね」
小声で、主任にだけ聞こえるように答える高瀬。
「なんだかんだで半日以上このままでいますから、さすがに限界……」
「…!!」
少々、無理をしすぎた。
「早くもとに…!!」
焦る主任。
その真剣な表情に「おや」と思いながら、高瀬は笑う。
「言われなくても戻りますけど、ご褒美は期待しててもいいんですよね?」
「……あぁ、いくらでも弾んであげるよ」
助かった、と囁かれ、高瀬もそれに満足する。
「んじゃあ……あと部長の方はよろしくお願いします…。急いで出てきちゃったんで…説明も何も…」
「…及川くん…!!」
よろり、と再び傾いた体。
抱きとめようとする主任の腕をすり抜け、すっとその姿が掻き消える。
――――まるで、初めからそこには誰もいなかったかのように。
※
「室井さん!!大丈夫ですか!!!」
一瞬の静寂の後、病室の扉が慌ただしく開かれた。
先ほどのナースコールから聞こえてきた、看護師の声だ。
「急に機器の調子が悪くなってしまって………一体何が…!?」
入ってくるなり、床に倒れ込んだままの室井を見つけ、慌てて駆け寄る。
「……あぁ、すみません…。意識を取り戻すなり勝手に点滴を抜いて退院するって聞かなくて…。
なんとか止めようとしたらこの有様で…」
「まぁ…」
適当な言い訳をあたかも真実のように言ってのけた彼に、室井もまた反論をしない。
看護師に助け起こされ、なんとかベッドに戻ると、再び点滴がその腕に挿入される。
絶対に抜かないでくださいね、と釘を刺されて。
それを甘んじて聞いた室井社長は、大人しくベッドに横たわり、険しい表所の幼馴染の顔を見上げる。
「……今度こそ、おとなしく寝ておけよ……」
はぁ、という溜息とともに吐き出された言葉に、ようやく頭が動き出したらしい室井が、まだ少しぼんやりとした口調で、ぽつりとつぶやく。
先ほど見た、幻は。
「……あれは……夢か?」
「…そうかもな」
くっと笑って、今はもう姿の見えなくなった彼女を思う。
「奇跡、とでも思っておいたらどうだ」
バカで下世話で辛辣で、底抜けにお人よしな可愛い部下が起こした、眩い奇跡。
彼が望んだ以上のものを、彼女は残して行ってくれた。
これでようやく、前に進むことができる。
「おかげでいい夢、見れただろ……」
「……あぁ」
脳裏に浮かぶのは、幸せそうな笑みを浮かべた少女の姿。
「迷惑かけたな、和也……」
「今更かよ……言うのが遅ぇ」
「…そうだな。もっと早くに、お前に相談すればよかった」
家を継ぎ、幸希の事を知らされた、その時に。
「あとは自分でなんとかしろよ…。俺はもう何も知らねぇぞ」
「……わかってる」
ここからは、自分の力で成し遂げなければならないことも。
「だが、とても気分がいいな」
とても、幸せな、夢だった。
瞼を閉じれば、今でも思い浮かぶあの光景――――。
「……浸ってるところ悪いけど、ちょっとお前も協力しろ」
「?」
再び瞳を閉じようとしたところで、急に現実に戻すような相原のセリフに、ちょっと首を傾げる。
「この辺の名物とか、女子が好きそうなスイーツとか、適当に見繕ってくれ。
……部下の、土産にするから」
後半、少し照れくさそうに言った言葉に、彼もまた笑う。
「……もしかして、一番最初に会ったあの女子社員か…?」
彼の上司だという男の横にいた、若い女性。
あの時、妙に気になったのを覚えている。
すぐに相原とともに外へ出ていってしまったが……。
「そ。出張土産買ってこいってせがまれててさ。弱みを握られちゃってるんもんでね。せっせとご機嫌取りしないと」
「……そりゃ、大変だな…」
おどけた様子で肩をすくめる相原を眺め、室井もまた、少し表情をほころばせる。
だが、今思い出してみれば、件の部下の顔は、さきほど見た幻の少女の顔と――――――いや、やめておこう。
焦って苗字を呼んでいたことにも、気づかないふりをするのが正解だろう。
命の恩人の詮索をするような野暮な人間にはなりたくない。
「ふむ……名物、な……」
若い女性が好みそうなもの……なにがいいだろうか?
<第2章完結>
読了ありがとうございます( ´∀` )b
お気に召しましたら是非ブクマ&評価をお願いします!