やられたら倍返しだ!
「んじゃあ話もまとまったことですし、私は一度帰りますかね…」
「帰る?」
疑問そうな顔をする部長だが、よく考えて欲しい。
「一日中幽体離脱してると流石にいろいろ問題が出てくるんです。
起きた瞬間ものすごくお腹は空いてるし、ずっと寝てるから体はギシギシするし、下手したら床ずれできます」
介護老人でもあるまいし、本当に勘弁。
「ただ便利なだけってわけでもないんですよ、コレって」
短時間ならともかく、長い時間続けるのには色々なリスクが伴う。
其の辺も是非ご理解いただきたいところだ。
「その姿をしている間は本来の体は眠っているわけだろう?」
「まぁそうなんですけど…。
やったことはありませんが、あまり長くその状態が続けば本体のほうがもたなくなる可能性が…」
ぶっちゃけ、飲まず食わずで数日もすれば体のほうが先にジ・エンドだ。
前にあのエセ男が言っていたセリフではないが、この姿のまま監禁なんてされた日には本気で―――――。
『ウウウウーーーーーーワゥ!!!!!!』
話し込んでいたふたりの間に、突然低い唸り声が上がった。
「アレキサンダー?」
高瀬の方へ向けていた視線を落とし、訝しげにアレク君を見下ろす部長。
次の瞬間、先程まで適当な再生を繰り返していたカラオケのモニターがプツリと落ちた。
部屋中の電気が一瞬にして消える。
「――――――来ました」
このタイミング。
どうやら、あちらさんも逃がすつもりはなさそうだ。
部屋の死角と呼ばれる場所から立ち上る黒煙のようなモヤ。
真っ暗になった部屋でそれが見えているのは高瀬とアレキサンダーのみ。
プルルルルル…。
店の電話が鳴り、用心をしながらも部長がその受話器を取る。
「…もしもし…?あぁ…そうだ。……原因がわからない…?……この部屋だけが…」
どうやら電話は店員からかかってきたものらしい。
店側の監視モニターで、こちらの異常を察知したのだろうか。
いま復旧に努めている、といったところだろうが、目の前の「コイツ」をなんとかしないことにはその努力も無駄なものになる。
黒いモヤはやがて輪郭を作り、ぼんやりとしたその姿を見せ始める。
現れたのは、一匹の獣。
「……狐、か?」
「部長、危険ですからアレク君の後ろに。――――あんなのに取り憑かれたら一生”狐憑き”のままになりますよ」
そんな事をさせるつもりは毛頭ないが、困った事にここは相手の土俵に近い場所。
警戒するに越したことはない。
部長が口にしたとおり、モヤが形作ったのは、一匹の狐の姿。
しかも珍しい事に、玄狐<くろぎつね>だ。
こちらを見つめる瞳は柘榴の実のように赤く、怒りに満ちている。
相対するアレキサンダーは一歩もひかず、先程から唸りを上げ続けているが、狐がその瞳に捉えるのは、ただひとり。
「……完全に狙いを定めてきましたね…」
――まぁ、そのほうがこちらにとっても都合がいい。
息を詰め、高瀬と狐とを見つめる部長。
完全に姿を現してしまえば、部長の目にもはっきりとした姿が見えているようだ。
こちらに向かい、一歩、また一歩とゆっくりとやってくる狐。
その意思を理解し、高瀬は鼻で笑う。
「私を食うつもりですか?……舐められたもんですよ」
霊力を持つ娘である高瀬を極上の贄と捉えたのだろうが、そうはいかない。
「ペットには躾が肝心、ってね…」
うちの子は皆、躾なんてしなくてもいい子だが、野良ギツネにはしっかり教え込まないといけないようだ。
――――格の違いを。
高瀬のやる気を感じ取ったのか、先制したのはアレク君だった。
さすが猟犬だけあって、狐の首筋に向かって一気に飛びかかる。
「アレキサンダー…!」
思わずといった様子で、それを見ていた部長が声を上げるが、まだだ。
まさか先に攻撃されるとは考えていなかったのか、狙い通り首に食らいついたアレク君を引き剥がそうともがく狐。
実際の狐ならばイチコロだろうが、相手もなかなかしぶとい。
アレク君の攻撃力に自分の不利を悟ったのか、狐の姿がそのしっぽの先から徐々に元の黒いモヤへと戻り始める。
「逃げようったってそうはいかない」
勝手に自分から乗り込んできて、敵わないとみるや敵前逃亡だなんて、そんなもの許されるはずもない。
2匹の戦闘を見下ろしていた高瀬が、ここでようやく動いた。
「…何をする気だ」
「何ってそりゃ……躾ですよ」
高瀬の忠告通り、じっと身を潜めていた部長にそう言って笑うと、高瀬はその手を伸ばし、今にも輪郭を失おうとしている狐の尻尾を―――――むんず、と掴んだ。
『キャンッ!!!!』
「お、鳴いた鳴いた」
首に食いつかれても鳴かなかったというのに、初めて高い声をあげる狐。
モヤとして消えかかっていたしっぽが、高瀬の手の中で再び元の形を取り戻したのをしっかり確認すると、高瀬はにやりと笑う。
「残念ですね。本物の狐なら、いいマフラーになったのに…っと!!」
嫌がる狐を無視し、しっかりと尻尾を鷲掴みにした高瀬は、よし、と一人満足そうに頷く。
「その尻尾、私が貰ってあげるよ」
『キャンキャン……!!!』
ねじ切らんばかりの勢いで掴まれたしっぽを上下に振り下ろされ、これはたまらないと喚く狐。
逃げ出そうとするその首筋に噛みついたまま、アレク君も徹底抗戦の構えを崩さない。
情勢から言えば、完全に高瀬の有利。
「おい、及川くん…」
「言っときますけど部長、同情は無用ですからね」
これは一見動物に見えても、実際には違う。
たとえ今は弱々しくその目に移ろうとも、これは今まで室井家で幼い少女達を食い物にし続けた相手。
「遠慮はいらないってことです…!!」
ブチッツ…!!!
『ギャ………!!!』
最後、力を込めて引っ張った高瀬の手元に残ったのは、光沢のあるふさふさとした黒い尻尾。
尻尾を引き抜かれ、相当な痛みを感じたのだろう。
今までとは違い、濁った短い悲鳴を上げた狐が、シュルシュルとその姿を縮ませていく。
『ワゥ…?』
縮んでいく狐に、ようやく牙を収めたアレク君が、怪訝そうにそれを爪で引っ掻く。
「…これは…」
「栃木県の民話で、九尾の狐ってのがありましてね…。
霊力が強い狐ほど、しっぽが多いっていうのが定説らしいんです」
尻尾は霊力の塊であり、九本生えるには、数千年の時が必要だという話だが、しっぽのなくなった玄狐はと言えば…。
「やっぱり、一気に弱体化しましたね」
「やめなさい、アレキサンダー。…それはおもちゃじゃない」
狐の姿をとるどころか、昔一時期流行ったキーホルダーのようなまん丸の毛玉の姿となった玄狐。
それを爪で転がし、容赦なくいたぶるアレク君。
いいぞ、もっとやれ。
この場合弱い者いじめは初めから成立しないのだ。
コイツは、自らが強者だと信じてここに乗り込んできたのだから。
返り討ちにされ、どんな目に遭っても文句は言えまい。
「おぉ、モフモフ」
「…及川くん…」
引き抜いたばかりの狐のしっぽを首に巻いてもふもふを堪能していれば、部長からの冷たい目。
分かってますって。
動物愛護精神の強い部長には虐待に見えるんでしょうが、少し我慢してください。
―――――これからがいい所なんです。