幸希ーユキー
主任は一時入院となった。
その後すぐに意識は取り戻したのだが、強い感電は内蔵に損傷を起こすことがあるらしく、その経過観察のためだそうだ。
他に大きな異常は見られず、まずは一安心。
「さっちゃん…どこへいったんですかね?」
「わからん」
「……アレクくんもまだ帰ってきませんしねぇ…」
一体どこまで追っていったのか。
病院ロビーに備え付けのテレビが、夜のニュース番組をだらだらと流すのをなんとなく目で追っていたが、いい加減飽きた。
竜児は仕事が入ったと先に帰宅、ケンちゃんはそのアッシーとして一緒に戻った。
呼べばまた戻ってくるとは言っていたが、忙しいケンちゃんをわざわざ呼び戻すこともない。
帰るときは部長にタクシーを呼んでもらおうとすでに決めていた。
どうせ2人の自宅はほぼ同じ位置にあるのだ。
部長のマンションから歩いて帰ったところで数分である。
2人がまだ帰らないのは、まだ主任の家族と連絡がつかないこと、それが理由だった。
一時入院ともなればやはり親族に連絡しないわけにもいかず、部長が連絡を取ろうとしたのだが身内の誰とも連絡がつかない。
独身の為勿論自宅には誰もおらず、緊急連絡先である主任の母親にも電話をかけたのだが、今のところ留守電になってしまった。
一応現在の状況とこの病院の住所だけは伝えておいたので、それに気づけば病院に向かってくれるだろう。
部長が以前ちらりと聞いたところによれば、シングルマザーである主任の母は、夫と離婚してからは夜の仕事にでて主任を養っていたらしい。
そのツテで、ほぼ定年を迎えた現在もスナックの雇われママをしているのだとか。
あの主任の母親というのだから、きっと美魔女に違いないと高瀬は睨んでいる。
そしてその数十分後。
留守電を聞き、取るものも取り敢えず慌てて駆けつけてきたらしい主任のママさんが病院にやってきた。
何しろ顔がわからないもので、慌てて飛び込んできた一人の女性が夜間受付で「相原和也の母です!」と叫ぶのを聞いて、部長が慌てて迎えにいったのだが。
――――え、これで60歳すぎ?
ちょっとびっくりするくらいの美人だった。
病院に入ってきたとき、主任の母親だと気づかないのは仕方のないことだった。
どうみても40代くらいにしか見えない。
「相原の上司の谷崎です。今日は……」
「あぁ、すみませんうちのバカ息子がお世話になったようで……」
外見こそ若いが、中身はやはりしっかりとした母親のようで、上司と名乗った部長にへこへこと頭を下げる。
水商売をしているという割にはそんなケバさもなく、実に上品なご婦人だ。
「そちらのお嬢さんは……もしかして和也の?」
ちらりと目線を送られ、速攻で首を振った。
「相原の部下の及川です。たまたま相原が倒れたところに居合わせて、彼女の友人が車でここまで運んでくれたんです」
「及川です。主任にはいつもお世話になりまして…」
「まぁ、こちらこそこんな時間まですみません…。まったく、こんな若いお嬢さんにまで迷惑をかけて…」
はぁ、と溜息をつく主任母。
若い頃はさぞや貢がせていたんだろうなと下世話な想像が一瞬頭をよぎる。
「息子の病室まで案内していただけますか?」
※
「本当に今日のところは大変ご迷惑をお掛け致しました…」
一度主任の病室に向かい、まだ眠っているのを確認した主任母は、取り敢えず一度入院のための準備を取りに戻ることに決めたらしい。
確かにそのほうが賢明だろう。
何しろ着の身着のままの状態でここまで連れてきてしまった。
それに合わせて部長と高瀬も取り敢えず帰宅しようと、病院までタクシーを2台呼んでもらう。
タクシーが来るまでの間、主任母と部長の話を聞いていたのだが、なんというかその、主任母の色気が半端ない。
下手すれば部長と夫婦に見えるレベルで、高瀬のほうがなんとなく身の置き場がない。
そりゃ、この母親を見てれば自分なんてブサ猫レベルだよな、と悲しくも納得した。
しかし考えてみればこれは好都合なのではあるまいか。
「部長部長…」
こそこそと部長の肩を叩き、そっと耳打ちする。
ロビーでの待機時間に、竜児と賢治、それから主任を交えた三つ巴での話し合いについてはすでに部長に連絡済みであり、例の「室井社長」の経歴についてもざっくりと説明をしておいた。
「これはチャンスですよ!今のうちに、あの室井さんの子供の時の話とか聞き出してください!」
離婚して父方の家を出たのはもうずいぶん前になるそうだが、その頃の話でなにか今回の件に役立つことがないだろうか。
小声で耳打ちしたつもりだったのだが、何しろ距離が近すぎてほぼ全部漏れ聞こえていたらしい。
「……室井社長?もしかして、あの子の幼馴染だった室井さんのところのおぼっちゃんかしら…」
――おぅ、まるぎこえ。
しかしもう聞こえてしまったものはしょうがないと、素直に事情を話すことにする。
勿論、幼女の幽霊だのなんだのは抜きにして、室井社長に主任が脅されているらしいという件だけだが…。
「室井のおぼっちゃんが…?まさかまだあんな昔のことを…」
「昔のこと?」
眉をひそめながらつぶやかれたその一言に高瀬が食いつく。
「ええ…。室井のお坊ちゃんには「幸希ちゃん」という双子の妹さんがいて、幼い頃はよく3人で遊んでいたんです。でも、あの日――――」
あの日。
それは、「幸希ちゃん」が、七五三でお宮参りに出かけた当日のことだったという。
大人ばかりで退屈な妹のお宮参りを抜け出し、幼馴染の主任と外で遊んでいた室井少年。
そこに、まだ着物を着たまま兄の様子を見に来た妹が加わり、ほんの短い間、3人で遊んでいたのだという。
「大人たちが幸希ちゃんがいないことに気づいて探しに出たその時、水音が聞こえて…」
幸希ちゃんが、足を滑らせて川に落ちたのだと。
「勿論すぐに助けられましたし、それ自体あの子のせいというわけではありません。たとえなにか理由があったとしても、あの年齢の子供のすることですから…」
責任能力など、問えるはずがない。
「あの後ゆきちゃんが肺炎をこじらせてなくなったと聞いて、あの子も随分ふさぎ込んでいたんです…」
「そういえば、お葬式を行わなかったとか…?」
「ええ…。なんでも室井家では、7歳までに死んだ子供は葬儀を行わずに、ひっそり自宅でお祀りするのが習わしだそうで…」
「あれ、でも幸希ちゃんは7歳ちょうどでなくなったはずですよね…?」
だから七五さんが行われたのではないかという高瀬の疑問に答えたのは部長だ。
「七五三というのは数え年で行うんだ。つまり実際の年齢より1年早い」
「……ってことは、6歳ですか」
すっかり誤解していたが、なるほどそういうことか。
「今日、あの子がわざわざ確認の電話をよこしてきて、おかしいとは思ったんです…。
なぜ今更そんなことをと…」
主任……。
亡くなった妹のことで、室井社長に負い目を感じていたのだろうか。
だからおかしな脅迫にも…。
「昔から、仲が良かったのはむしろ息子と幸希ちゃんの方だったんです。息子は一人っ子でしたから、体が弱く小さかった幸希ちゃんを実の妹のように可愛がっていて…。それに対して室井のお坊ちゃんは跡取り息子として幼い頃から随分厳しく躾られたらしく、妹の幸希ちゃんにもきつくあたっていたようで…。幸希ちゃんが兄である自分より他人の息子に懐いた事が、余計に気に入らなかったのかもしれませんね」
それさえなければ、非常に仲の良い幼馴染だったのだという。
――――なる程、わからないでもない話だ。
高瀬自身も一人っ子ではあるのだが、2人の幼馴染とは兄弟同然に育ってきている。
彼らが、「高瀬が懐いた部長」という存在にやけに固執するのも、似たような感情からなのかもしれない。
妹を他人に取られたようで悔しい、そういうことだ。
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