その頃部長宅では
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その頃、部長宅では。
「よぉ谷崎、悪かったな今日は…」
先ほど連絡が入ったばかりだというのに、ほんの数分でチャイムを鳴らした相原。
「お前…今まで一体どこにいた?」
いくらなんでも連絡してからここまでが早すぎると、眉間にシワを寄せた谷崎に、相原が「どこにいたと思う?」と逆に問いかける。
にやにやとした笑みを浮かべるその顔が気に入らないが、わざわざこんな時間にからかいにやってきたわけではあるまい。
「さっさと要件を言え、くだらない要件なら明日で十分だろう…」
「お、なんか疲れてるな?今日は及川くんと二人で楽しく仕事してたんだろ?」
「お前が休んだせいでな」
いろいろな意味で余計に疲れた。
擦り寄る女子社員にも、いちいちくだらないことで謎の会話を始める馬鹿な部下にも。
そして、一番の理由は。
「な、及川くんに聞いたんだけど、お前のところにこないだの子供の霊がいるんだろ?ちょっと連れてきてくれないか」
「…?連れてきてどうするつもりだ」
相原には霊感はない。それは確かだ。
なんとなくわかる、程度のことはあるようだが、今まで一度もこんなことを言いだしたことはなかった。
「ちょっと、確認したいことがあってさ。悪いな」
少しも悪いと思っていない顔は、しかしどこかいつもと様子が違っている。
「何かあったのか…?」
「ちょっと疲れただけだよ。……何しろ今までお前のお馬鹿可愛い及川くんの所にいたからなぁ」
―――――おい。
「なぜお前が彼女の家に?」
「そりゃ、用がなきゃいかんだろうよ」
「だから、なんの用があったんだ」
「それはナイショ」
「……相原」
茶化すのもいいかげんにしろという思いを込めて名を呼ぶが、彼は様子を変えることはない。
「及川くんに聞くのもなしな。あの子じゃお前相手ならすぐにゲロっちゃうだろうし。
ってか、お前完全にあの子に「オカン」呼ばわりされてたぞ。男として見られてないにも程があるな」
「うるさい」
いらだち紛れに相原の背を押して玄関からつまみ出してしまいたくなる。
「図星突かれて怒るなって。可愛い部下から男扱いされてなくてショックなのはわかるけどさ」
ヘラヘラと笑う相原は、まるでわざと彼を怒らせようとしているかのようだ。
それに気づき、更に眉間にシワがよる。
「ま、詳しい話が聞きたかったら、とにかく家に上げてくれよ。…あの子を見せて貰ったら帰るからさ」
―――――あの子?
その言い方が妙に引っかかった。
「知り合い…なのか」
ちらりと思い出すのは、人形を抱いたあの姿。
人形とともに例の部下についていくかと思われた幼女は、結局のところ自分のもとへ残った。
どういう仕組みかは分からないが、家に帰った途端玄関先においてあった人形には、その場で深く嘆息するしかなかった。
そして当たり前のように居座る現在。
「もしかしたら…ってとこだけどね。確証はない」
「……中へ入れ」
「サンキュ」
渋面を崩さぬまま、相原を室内に招き入れる。
「もし本当に知り合いだったとして…どうするつもりだ?」
「…そうだね…どうしようか」
考えてなかったわ、と笑う声には力がない。
「連れて帰るのか?」
正直そうしてもらいたいのはやまやまだが、今日の相原はおかしい。
任せられるのかどうかわからない。
室内に戻れば、そこにいたのはいつものごとく扉の前に控えていたアレキサンダー。
そして、なぜか一緒についてきた部下のハムスターと、それを無表情に追いかける幼女。
―――――ここは、動物園でも託児所でもなかったはずなんだがな。
なぜこうなったのか。
まったく頭が痛い。
自分の預かり知らぬところで会社そのものが保育園扱いされていることも知らず、谷崎はとても困っていた。
迷惑だと言ってしまえばそれまでだが、この現状を招いたのは自分自身だ。
風に乗って飛んでいったもらい火を消しに行く必要はないと行った部下の言葉は、彼女にしては珍しく正論だった。
そこをあえて火種を拾いにいったのは自分だ。
その位の自覚はある。
「ここにいるのか」
連れ帰るのかと聞いた谷崎の言葉に返答をせず、相原がじっと室内を見渡す。
その前を、何事もなかったかのように走り回る一人と一匹。
――――そうか。コイツの目には、ここはただの閑散とした室内に見えるのか。
自分と同じ視界でモノを見ることのできる部下を近くに置くことで、すっかり忘れていた虚しさが谷崎を襲う。
あの部下がここにいたら何と言うだろうか。
やかましくあぁだこうだと思いもよらぬ発言を連発するに違いないが…。
「アレキサンダー、いってこい」
さすがに今日一日張り付かれて疲れていたのか、ハムスターにお守りを任せて休んでいたアレキサンダーが、仕方ないとばかりにのそりと起き上がる。
するとそれをみたハムスターが勢いよくアレキサンダーのもとへ突進し、後ろを走っていた幼女も同じように正面からアレキサンダーへとぶつかっていく。
『くぅ~ん、くぅ~ん』
ぺしぺしぺしぺし。
『きゅ?きゅ?きゅ~う』
ぶつかる直前で急停止した幼女が無表情のままその小さな手のひらで遠慮なくアレキサンダーの鼻面を叩けば、『ご苦労様です』とばかりに声をあげるハムスター。
お守役交代といったところで、ふぅと一息ついているようだ。
微笑ましい様子だが、それを見て微笑ましいと思うのは自分があの部下に随分毒されてしまったせいだろう。
以前ならば、動物霊の様子などそこまで気にすることもなかった。
ましてや表情や行動からその意思を読み取ることなど考えたこともなかったのだが。
――――この2匹は、とにかく感情が豊かに見えるな。
彼女と一緒にいる時間が長いせいだろうか?
他の動物霊にしても、自分が連れてきた時には意思も薄く、ひたすら後についてくるだけの存在だったものが、彼女に預けた途端、やけにくっきりと輪郭を取り戻す。そして薄れかけていた生前の意思までもが蘇るようなのだ。
謎が多いな、彼女は。
ただの馬鹿ではない、それはわかっているのだが、何しろ普段の言動に振り回される事が多すぎる。
相原も言っていたが、「オカン」などと言われるのはこれが初めてだ。
「相原、お前のまっすぐ目の前だ。そこに犬とハムスター、それに子供の霊がいる」
「……まっすぐ、だな?」
見えないものをなんとかして視界に捉えようと、ぐっと細められる相原の瞳。
自分の視界には、今もアレキサンダーの上によじ登り、轡を握り締めた幼女の姿が写っているのだが…。
「…だめだな。何かもやのようなものが薄く見えるような気はするんだが…」
「そうか」
それでも、普通よりは見えている方なのだろう。
アレキサンダーがのそのそと谷崎のもとへやってくる。
首筋には幼女を貼り付けたままだ。
「今俺のすぐ横に居る」
「……この…あたりか?」
相原は、谷崎がしめしたあたりに膝をつき、偶然にもそれが幼女をほぼ正面から捉えることになった。
最も、幼女はなんの反応も示すことはないが…。
「幸希<ゆき>」
―――――ぴくり。
「幸希……なのか」
相原がその名を呼んだ途端、幼女の様子が明らかに変わった。
――――ユキ?
それがこの娘の名前か。
どうやら知り合いだというのは本当らしい。
「反応している」
「……やっぱり…」
端的に伝えた谷崎に対して、相原は手のひらで顔を覆い、そのままがっくりとうなだれる。
――――――おい、何をしているリチャード。
しんみりとした場面のはずが、谷崎の視線はつい、地面に膝をついた相原の背中をよじ登るハムスターに向けられた。
ハムスターは登頂成功!とばかりの様子で相原の頭頂部までやってくると、「きゅ!」と誇らしげに鳴く。
とんだ視界の暴力だと、ハムスターを相原の頭上から追い払おうとしたその時。
「あ……」
相原が声を上げた。
彼の視線が、初めて正面から幼女を捉えている。
――――――見えているのか。
まさか、こいつのせいか?
疑わしいのは、上機嫌のハムスター。
その姿が、彼女の姿と重なる。
ペットは飼い主に似るというが、コイツはどんどん部下ソックリになってくる。
――――いや、むしろ部下よりも優秀か。
「幸希」
相原が幼女に向かって手を伸ばす――。