あがりこまれました
驚いた。
部長の住むマンションは、自宅アパートの目と鼻の先だった。
「部長、今度お泊りしに行ってもいいですか」
あの高級マンションに一度入ってみたいと思っていたのですといえば、見事に呆れ返った顔。
「君には警戒心というものがないのか……?」
そう言われても、考えてみて欲しい。
「お泊りしたっていいじゃない。だって、部長だもの」
「言っておくが私は部長という生き物ではない」
「そんなに疲れた顔をしないでください、部長」
「誰のせいだ」
「いえすあいあむ!」
疲れさせて申し訳ない。
でも後で玄関だけでもいいのでお宅訪問させてもらえないだろうか。
高級マンションは未知の世界なのですよ。
そんな会話を繰り広げつつ自宅まで小包レベルでぽいっと送り届けられたのが1時間前。
現在自宅には、成人男性が1名。
それは部長……ではない。
「主任、何やってんですかこんなところで」
絶賛下克上中、サボリ魔主任だった。
「成人女性の家にこんな時間にやってくるなんて非常識だと思います」
「え、大丈夫でしょ。だって及川くんだもの」
人を呪わば穴二つ。
先ほど自分が部長に放ったボールが剛速球になって返ってきたのだが、これどうすべき?
あっさり居間に上がり込み、ケロっとした顔で自ら持参した缶コーヒーの蓋を開ける主任。
そこは普通出されたお茶を飲まないだろうか。
「え、むしろお茶あるの?出がらしとかじゃなく?」
「失礼な!リプ○ンのティーバック位ありますよ!」
「ふぅん、じゃあ後でお願いね」
「なんか悔しいからお断りです」
「じゃあとりあえず座ってこれ飲みなよ」
ポンポンとテーブルを叩かれ、渡されたのはおしるこドリンク。
「なぜこのチョイス!?」
「え、及川くんらしくない?」
「主任の中の私らしさの定義が行方不明です」
でも飲む。とりあえず飲む。
しかし甘いな、間違ってもヤケ飲みするもんじゃない。
「で、連絡もなしに急にやってきてどういうつもりなんですか?むしろどうやって自宅を…」
「そんなの履歴書みれば一発」
「それ、犯罪一歩手前です」
「大丈夫大丈夫。だって及川くんだもの」
「キーッツ!!」
それで何もかも済まされると思うなよ!
「それでさ、例の便利屋くんとは連絡付いた?」
「ケンちゃんですか?そりゃつきましたけど…」
それを伝える前に失踪したのはどこのどいつ…いや、目の前の主任だ。
「本当は今日の夜にでも会える手筈だったんですよ?それを主任が…」
突然サボったりするから。
じとっと非難の目を向けてみるが、「ごめんごめん」と軽くいなされるだけでまったく反省がない。
これは今すぐ部長を呼び出して叱ってもらうべきだろうか。
『部長召喚!』
……あれ、どうしよう。むしろ私が怒られる未来しか浮かばない。
「あ、本当?ちょうど良かった。じゃあぁ、呼んじゃおうよここに」
「はい?」
「君ら幼馴染なんでしょ?自宅くらい知ってるよね?」
さぁ今すぐ連絡を、と満面の笑顔で言うがちょっと待ってくれ。
「今の時間!」
「まだ8時じゃない。余裕余裕」
「この時間に男ふたり自宅に招き入れるって貞操の危機……」
「大丈夫大丈夫、だって及川くん…」
「及川くんだもの、じゃ済まされませんよ!」
今度ばかりはバンっとテーブルを叩いてやった。
「幼馴染といえど男は狼!」
「いくら狼でも相手を選ぶ権利はあるから。特に俺は飢えてないし」
「部長―――――!!主任がいじめますっ!!!」
いますぐきてくれ、おかんプリーズ!!!
「お、俺がいない間にそんなに仲良くなったの?そりゃ好都合。でも今日のところはいい子だから便利屋くんを呼ぼうね?」
「ケンちゃん……」
しくしく。ケンちゃん、私のために怒ってくれるかな。
あれ、なぜだろう。いま想像の中でケンちゃんが親指を立てて笑ったぞ。
売る気だな?幼馴染を格安で販売する気だな!?
――あぁ、やっぱり部長が恋しい。
昨日部長のもとにあっさり帰っていったさっちゃんの気持ちが良くわかる。
あれは癒し系だ、間違いない。
「ほらほら、時は金なりが商売の基本だよ?早く早く」
うううっ。
後でおぼえとけ、と心の中のメモ帳にぶっといマッキーで書き込んでおきながらも、逆らいきれない圧力に屈した高瀬であった。
長いものには巻かれろ。
これぞ、社会人の一般常識。
※
「え、今すぐ来れんの!?いや、無理しなくていいから、本当に無理しなくていいから!」
どうしよう、ケンちゃんが馬鹿すぎてこちらの思惑が全く通用しない。
ものすごく見え見えな感じで、「今からうちに来て欲しいんだけど、ダメだよね?そりゃダメだよね、そうだよね、そりゃそうだ」と連呼してみたんだが、「いいよいいよ!すぐ行くわ!」と即答された。
幼馴染だからこそ言おう。
この馬鹿め、ちょっとは空気を読んでくれ!!
「お~。なんかいい感じに話がまとまったみたいじゃない?」
「しくしく。ケンちゃんの馬鹿……」
「どれくらいでここまで来れるか聞いた~?」
「近くにいるので10分かからず来るそうです……」
「お、ナイスタイミング」
「でもついでにコンビニで適当にお弁当を買ってきてって頼んだのであと5分くらい多めに見てください…」
「なんで夕飯の買い物頼んでんの?君」
「主任のおしるこが甘かったんですよ!」
「えー。それ夕飯と関係なくない?ってかここは俺とその幼馴染に夕食をご馳走するところでしょ」
ケンちゃんはともかく、主任は至って図々しい。
「今日はカップ麺のつもりで食材買ってないし…。真剣に話し合ってる最中にカップ麺食べてたら怒ると思って…」
「それコンビニ弁当でも同じだから。麺をすする音じゃなきゃ構わないとか一言も言ってないから」
「むしろ主任がちょっとは遠慮してくださいよ。だってここ私んち」
「まぁそうなんだけどね~」
はぁ、とため息をつく主任。
「そういうところが及川くんらしいといえばらしいか…」
「一度聞いてみたいんですが、主任の中の私らしさはどうなってるんですか」
「ん?強いて言えば顔がめちゃくちゃ潰れてるのに妙に味があって愛着のわく間抜けなブサ猫?」
「今すぐ帰れ、すぐ帰れ!!」
「これでも褒め言葉なのになぁ…」
「ブサイクは褒め言葉じゃありません!」
「いや顔のことじゃなくて、イメージだよ、イメージ。愛されキャラだよね、君」
「今更取り繕っても先ほどの言葉は私の心に深く刻まれました……」
今後「わんにゃんTV」でブサ猫が出るたびに地味に自分の心がえぐられそうだ。
「いいと思うんだけどなぁ、ブサ猫。谷崎のやつとか結構好きよ?そういうの。俺も嫌いじゃないし」
「それは女性からモテすぎてたまには不細工を選びたくなるとかいう皮肉ですか」
「あえて反論はしない」
「(っ `-´ c)!!!」
「ほら、美人は三日で飽きるけどブサイクは三日で慣れるって言うでしょ?でも及川くんの場合噛めば噛むほど味が出るっていうか…」
飽きないよね、君。
それって褒められてるんでしょうか、けなされてるんでしょうか。
誰か私に教えてください……。