いけ好かないやつに遭遇しました。
及川高瀬、26歳独身女子。
「はぁっくしょん!!!ずずず・・うぁあ風邪ひぃたぁ~」
冷蔵庫を開け、賞味期限が近づいていた甘酒のパックを鍋で温めながら、高瀬は自らの額に手を当てあてる。
「昨日遅くまでゲートボールしてたからなぁ…。いやぁ、白熱したバトルだった…」
老人たちの本気を見た気がする。
もともと霊体となった彼らに年齢ゆえの衰えなどないに等しく、本人たちも無意識のままにほぼ現役時のポテンシャルを発揮し、凄まじい接戦となった。
だが高瀬が風邪をひいたのはそれが原因ではない。
ただ単に、部屋で眠っていたはずの本体(言いえて妙だが…)が、白熱する霊体に影響され、無意識に布団を蹴飛ばしていたせいである。
高校卒業後、家を出てからはずっと一人でアパート暮らし。
布団をかけ直してくれるような親もいなければ、恋人もいない。
朝までその格好を続けていればまぁ風邪をひくのも当然というものだろう。
幸い今日は日曜日だ。
緊急の電話でもかかってこない限り、のんびり寝ていたところでどこからも文句は出ない。
実家から持ってきたお気に入りの袢纏を引っ掛け、ニ○リで買った一人用のこたつに足を突っ込む。
年寄りくさいということなかれ、女の一人暮らしは得てしてこんなものだ。
テレビをつければ、どこも似たようなニュースが流れていたが、そのうちの一つに気を止めた高瀬は、眉間にシワを寄せ、画面をジッと見つめる。
「8歳の男児のひき逃げ…。この近所か」
下校中の子供を引っ掛け、救急車も呼ばずに逃亡した挙句、子供はそのまま息を引き取ったのだという。
画面の中のコメンテーターが「絶対に許せない犯罪だ」と鼻息荒く言い放つが、それに高瀬も著しく同感である。
「絶対に、許せないよね」
事故が起きたのは監視カメラもない田舎道。
友人と別れ、一人で家まで歩いている最中に起こった事故だという。
そんな状態では、目撃証言も期待はできず、捜査は難航する事だろう。
両親が泣き崩れる様に、見ているこちらの心まで抉られるようだ。
逃げ得、テレビから聞こえてきたそんなセリフに、思わず唇を噛む。
「世の中そんなに甘くないってね…。報いは必ず受けるもんだ」
むしろ、私が受けさせる。
その手段が、確かに高瀬にはあった。
犯人が見つからないのなら、本人に聞けばいいのだ。
そう、命を落としたその男の子本人に。
事故の現場を映し出すテレビ画面を見つめながら、「待っててね…」と小さく呟く。
高瀬には見えていた。
その場にぼんやりと佇み、悲しげな表情で走る車を見つめる男の子の姿が。
袢纏を脱ぎ、気合を入れようと鍋でわかした甘酒を一気に煽ると、「か―っ!!」と声を上げる。
「よっしゃ!今夜もわらし様のご出陣よ!!」
※
高瀬がその<特技>に気づいたのは、中学校3年生の時の事だった。
いわゆる、幽体離脱を経験したのである。
しかも、京都への修学旅行中にだ。
幽体離脱中、なぜか自分が幼女の姿になっていることには早くから気づいたが、正直逆に都合が良かった。
つまり、童心に返って好き放題始めたわけである。
京都での幽体離脱は本当に面白かった。
周囲には侍やらお姫様やら、「リアル江戸村」と言いたくなるような幽霊がゴロゴロ存在し、中には意思疎通ができる相手も存在したのだ。
幕末時代の学者だという相手が話してくれた当時の新選組の話などは実に血がたぎるものだった。
思わず本体に戻った時「歳三様――――!!」と叫んで一緒に泊まった友人に殴られたのはいい思い出である。
勿論いいことばかりではなく、いわゆる悪霊と呼ばれる類の霊に遭遇したこともあったが、なぜか高瀬の姿はそういった霊には見えず、認識することができないらしい。
高瀬のことを「わらし」と呼んだのは、友人と高尾山に一泊旅行に行った際に出会った山伏の霊が最初だった。
修業中に命を落とし、死後も修行を続け高尾山をめぐり続けているのだというその霊いわく、高瀬には強い霊力があるのだそうだ。その霊力によって、高瀬に悪意を持つ、高瀬よりも力の低い霊体は無意識にはじかれていたらしい。
最初、山伏は高瀬を「女の童<めのわらわ>」と呼んでいたのだが、後でその意味を調べたところ、童子<わらし>とほぼ同義だと知り、面倒なので省略した。
それからはずっと、他人の霊に名乗る時には「わらし」と呼んで、と自称している。
もっとも、生前付き合いがあった人物は例外だが。
アパートのあるこの近所の霊園一体では、大体「わらしのたぁちゃん」で通っている。
たぁちゃん、とは言わずもがな、高瀬のあだ名だ。
子供の頃にはその有り難みはわからなかったものの、大人になってみると、子供に返っての遊びというのは存外楽しい。しかも相手は暇を持て余す幽霊達、遠慮なく遊び倒せるというものである。
きちんと成仏をする霊もいれば、何らかの理由があってそこに留まるもの、または命日などでちょくちょく帰ってくるものもいる。その法則がどういったものなのかは高瀬にもわからないが、このあたりの霊園に残る幽霊は大体が顔見知りだ。あちらとしても、自分の存在を認識することのできる高瀬は貴重な話し相手らしい。
そんな平和な日常が崩れたのは、仲良くなっていた一人の(霊)の嘆きからだった。
彼は末期ガンで亡くなったまだ50代の男性だったのだが、彼の孫が小学校でいじめにあい、自殺をしてしまったのだという。先祖代々の墓であるのだから、普通なら内孫であるその子供は彼と同じ墓に入るはず。
だが、自殺したその子は地縛霊となり、己の墓で祖父と対面することができなかった。
その事を墓参りに来た息子に涙ながらに聞かされた彼は当然怒り狂った。
せめて孫を一緒の墓で眠ららせてやりたい。既に死したこの身では何をしてやることもできないと嘆く彼に、「なら私がどうにかしてあげる!」と立ち上がったのが高瀬だ。
不思議な話だが、高瀬が触れる事によって、大概の幽霊は己の囚われた場所から抜け出すことが可能だったのである。例えば自分の墓所から別の墓所へ移動したり、地縛霊を別の場所に引っ張り出すことも可能だった。
その力を使って、彼の孫を墓場まで案内しようと思ったのだ。
調べた所、彼の孫の死は学校側に隠蔽されたらしく、ほんの小さなネットの投稿にしか事件は乗せられていなかった。
それでもなんとか学校を特定し夜にそこへ忍び込むと、自身が飛び降りて命を落としたその現場でじっと佇む少年を発見し、墓場まで導いた。
最初ぼんやりとしていた少年だが、亡くなったはずの祖父の顔を見て、ようやく自身が自殺したことを思い出したのか、ふたり揃って泣きながら抱きしめ合うその姿に、高瀬もまたもらい泣きした。
本来ならばそこで彼女の役目は終わりだったのだが、少年の口から語られた彼の境遇に大いに同情した高瀬は、実に勝手ながらその手で少年の復讐を行うことを決意したのである。
とは言っても直接的に何かをしたわけではない。
まずは見つけたネットの投稿を大手の掲示板に貼り付けて自作自演の炎上を仕掛けた。
高瀬の予想通り、ネット民の食いつきは結構なものだった。
直ぐに噂は広まり、話を聞きつけた雑誌社の一部がそれを取り上げると、話はもう急ピッチで進んでいった。
彼の息子夫婦の元にも取材は及び、遺書があったにも関わらずいじめの存在を否定した学校側の姿勢を、毎日のようにテレビのニュースが取り上げ非難した。
彼の孫が生前に書いた遺書の一部が公開されると、秘されていたはずの彼をいじめたとされる生徒の実名は、事件を調べ上げた<誰か>の手によってネットに晒されることになり、その家族共々批判の的となった。
高瀬が関わったのは最初の一つのみだが、芋づる式に起こった出来事は自業自得の一言に尽きる。
良識ある人間なら、たとえ加害者であろうと子供の実名を晒すなんて、と眉をしかめるだろうが、高瀬はそれをあえて無視した。
自分の感傷であることはわかっているが、たとえ生前同様の意思をもって行動できたとしても、死者に未来は与えられないのだ。そんな彼らの無念を晴らしてやれるのは自分だけであるという自負も多少はあった。
勿論それが自分勝手な言い分であることは百も承知だ。
その彼も49日が過ぎ、一年ほどたった所で彼の祖父に連れられ、ようやく成仏することができた。
成仏するまでの間、一緒になって遊んだのは高瀬にとっても彼にとってもいい思い出だ。
彼のような善良な霊が地縛霊となって永遠に成仏できずにいたかもしれないと思うとぞっとする。
その件もあって、高瀬は決意したのだ。
幽霊専門の、お悩み相談を始めようと。
当然ながら唯の一般人である高瀬がやれる事には限度があるし、全ての霊の悩みを解消することなど出来はしない。それでも出来る限りのことはやってみようと心に決めた。
寺尾老人の件もそういった流れの一環だった。
彼らの願いを聞いたからといって特に何の見返りがあるわけではないが、それに関しては特に不満ない。
幽霊の世界に実益など最早無縁だ。
そうして、知り合いの悩みを解決する一方、テレビで見かけた先ほどのような事件にも首を突っ込むようになったのだが…。
※
「げっ。なんでまたあんたがここにいんの」
幼女姿の高瀬を待ち構えるように事故現場に立つ男が一人。
「お前が気にかけそうな事件だと思ってな?犯人を捜すつもりなんだろ?俺が協力してやろうか」
暗闇の中に立ち尽くし、人の悪そうな笑顔でにやりと笑う。
「お断りよ!こっちはこっちで勝手にやるから構わないで!」
ふん、と鼻息荒く断る高瀬だが、それには理由がある。
「そう言うなよ。折角力を貸してやろうってのに」
「タダでならともかくあんたは見返りを求めるから嫌なの!」
猫なで声で擦り寄る男をペしっと叩き落とし、ふんぞり返って答える高瀬。
「名前くらいいいじゃないか。なぁ?」
「いーやーだ。わらしでいいって言ってるじゃない。っていうか私はあんたに関わりたくないの!!」
先月とある事件で遭遇してから、高瀬の行く先々へ先回りするように現れるようになったこの男。
「生憎俺はお前に興味津々でなぁ…。お前がどこの誰だか分かるまで、毎日でもお前に付きまとってやる」
「さいてー。このロリコンストーカー野郎」
「嘘つけ、お前そんな姿<なり>だがとっくに成人してるだろ。その程度の嘘に騙されるかよ」
「うぐぐぐ…」
実際の年齢はバレてはいないが、なんだか若作りをしているのを指摘されたようで非常に気分が悪い。
「じゃあこれはどうだ?俺にはお前の力が必要なんだ。ギブアンドテイクでいくとしよう」
そういって、男が囁いた言葉に高瀬の心は揺れた。
「い、一回だけよ?本当に一回だけ」
「あぁ、今回はそれでよしとしよう。明日また同じ時間にここへ迎えに来るから、付き合ってくれ」
「その代わり、この子をひき逃げした犯人、ちゃんと捕まえてよね」
「それはお前さんがそこの霊からどれだけ情報を引き出せるかによるな。正直俺には地縛霊と話はできん」
「へへん。ちゃんと心を通わせないからでしょ!地縛霊だろうがなんだろうが、話せばわかるのよ!」
「…普通は無理なはずなんだがなぁ…」
ふむ、とひとつ唸ったあとで、男は満足したのか高瀬に背を向ける。
「これ以上お前の機嫌を損ねたくはないからな。今日のところは帰るとするが、明日、忘れるなよ?」
「そっちこそ!絶対犯人を捕まえさせるんだから!」
胸を張ってふんぞり返る。
去っていくその背中に向かって「いーだ!」と叫びながら、完全にその姿が見えなくなったところで、高瀬はようやく、先程からじっと立ち尽くしていた”彼”へと視線を向けた。
「さぁ、おねえちゃんとお話をしよう。おねえちゃんが、必ず君をおウチに返してあげるからね…」