触りたくないゴキ○○にはスリッパを投げよう
都内にこんなところ、あったんだな。
導かれるままにやってきた場所で、高瀬はすっかり感心していた。
写真でしか見たことがないが、まるで屋久島のような苔むした大きな木々が立ち並び、辺りには神聖な気が満ちている。
言うなればここは神域。
「…ようやく来たか…‥」
「なんだ、気づいてたんだ」
その神域の中でも一際異彩を放つ大きな滝の前に、男は立っていた。
「あの鳥…お前の式だろう…?気配がしたからな…」
「式…?いやあれはムツゴロウからの預かり物で…」
「…ムツ…?なんだそれは…」
「むしろそれは私が聞きたい」
初めて聞く単語のように言われると改めて説明に困る。
この男、一体どんな環境で育ってきたのだろう。
「んで、式ってなに?」
「…式神だ。言葉くらい聞いたことはあるだろう」
「お~~。そういえば聞き覚えがあるような…」
「その程度の認識なんだな、お前は…」
ひどく疲れたようにはぁと溜息をつかれ、ちょっとムッとする。
「式神って、あれでしょ?あの、紙に息を吹きかけてフッてするやつ」
「…お前が言ってるのは映画の話だな。安倍晴明だろう」
「この間地上波放送でちょっとだけ見た」
「…嘘っぱちだぞ、あんなもんは」
「やっぱり?」
どうりで胡散臭いと思った。
野○萬斎は嫌いではないので見ていたのだが。
「簡単にいえば、お前の分身…使いみたいなもんだな。
あの鳥からはお前の力を感じたからてっきりそうだと思ったんだが。……無意識か?」
「?」
「…まぁいい。んで、そっちから会いに来てくれったって事は、この間の返事でもしてくれんのかい?」
「いやいやいや…」
即効で否定し、「わかってんでしょ」と。
「知り合いが生きながら腐って死んでくのは流石に目覚めが悪いと思って」
「……まだ、そこまでいかないな」
言いながら、男が自分の右腕をずっと抑えていることに高瀬は気づいていた。
「その手、大丈夫?」
「…少なくともまだついてはいる」
「壊死し始めてるんでしょ」
「……お見通しってか」
カラ元気を出す余裕もないようで、よく見れば立っているのもやっとのようだ。
「神は祟る」
知識には詳しくない高瀬でも、実感として知っている言葉だ。
「しかも致命的な上に神を払うことはできない」
なぜなら、それは「神」だから。
「知ってるさ…。十分な…」
だろうなとは思う。
だが、なぜそれを知って手を出したのか。
「こっちにも事情ってもんがあるんだよ……」
「自分の命よりも大事な事情?」
「……そうだ」
「ふぅん……」
痛みをこらえ、とうとううずくまった男。
「…私にどうにかして欲しい?」
「…いや」
冷や汗を流しながらも、しかし男ははっきりと断った。
「俺はコイツを食う。コイツを食って、力を手に入れる」
それは、唯一、神から解放される手段。
――――――神殺し。
「どんだけ確率の低い奇跡か、わかってるんだよね?」
相手は伊達に「神」ではない。
「わかってる。だが、やらなきゃ死ぬだけだ」
「……そう」
ならば、高瀬に出来ることは何もない。
「そこの鳥…。さっさと仕舞った方がいいぞ。この場所にも、どうやら影響が出始めているようだ」
男の言葉を証明するように、強く風が吹き込む。
滝の音が、随分荒ぶっている。
「成功、祈っておいてあげようか?」
「…頼む」
素直にうなづいた男が、微かに笑った。
ちょっとだけ、カッコイイ。
もし彼が生き残れたら、これからは少しだけ力を貸してあげてもいい、そう思う。
最近どこかのムツゴロウにほだされて、ちょっと甘くなっているようだ。
「その素直さに免じて、ちょっとだけ協力してあげる」
高瀬はそう言うと、何故かおもむろに自分の靴を脱ぎ捨て始める。
丁度、別の靴に履き替えようかと思っていたところだ。
「新しい靴、買ってくれるって言ったよね」
「…あぁ」
「約束守ってね」
言うなり、高瀬は脱ぎ捨てた靴を思い切り振りかぶり、男にめがけて鋭く投げつけた。
一足は彼の背後へ、もう一足は彼の右腕をしたたかに打ち付ける。
『あぁあああああああああああああああああ!!』
声無き声の、悲鳴が聞こえた。
神が、苦痛の声を上げている。
「穢れ…。そうか、前回の…!!」
「あとは知~らない」
何かに気づいたような男を置いて、さっさと踵をかえす高瀬。
背後で何が起こっているのか、気づいてはいたがもう何も手を出すつもりはない。
運がよければ助かる。そういうこと。
「触らぬ神に祟りなし」
うん、触ってない。投げつけただけだ。大丈夫。