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4.

 レイチェルの寝室の裏側の小部屋で、わたしはお父様とレイチェルが喋っているのを聞いていた。もちろん、お母様も一緒よ。お母様はお屋敷の女主人だから、どんな小さな部屋もご存知なの。使用人が怠けたりしないように、――よく意味が分からないけど――アイビキなんかしないように、こういう隙間みたいな部屋も覚えておかなければいけないんですって。もしかしたらレイチェルもまだこういう部屋のことはちゃんと覚えていないかもしれないわね。子供部屋を抜け出したわたしに、全然気づいていないみたいだもの。


「あの子、どうしても私に馴染んでくれなくて……受け入れてもらえるか、不安ですわ」

「そうは言っても、弟か妹ができれば変わるさ。赤ん坊は可愛いものだからね。メイベルも――今もだが――生まれたばかりの頃は本当に天使のようだった」

「ええ、とても可愛くてしっかりした子で……賢すぎる、かもしれません」


 レイチェルったら、わたしのことで何かお父様に言いつけてるみたい。お父様もお父様で、レイチェルには良い顔をなさるのね。レイチェルに赤ちゃんができたって、弟や妹だなんて思えるはずがないじゃない。お父様にはお母様という奥様がいるのだもの、他の女の人に赤ちゃんができても、シセイジというのでしょう。それは、とってもいけないことだって、お母様が教えてくれたわ。メイドのシャーロットのお姉さんと同じことでしょう? そんな子と一緒のお屋敷に暮らすなんて、絶対に嫌だわ。


「ふむ、使用人たちも騒いでいたね。そのことで?」

「ええ……覚えているはずがないことを、見てきたように言うんですもの。誰も教えていないと言っていたのに! だから私……少し、怖いですわ……」

「覚えているはずがないのだから、誰かが教えているということだろう」

「そんなこと……っ!」


 あら、でも、お父様も分かってくださったのかしら。わたしに教えてくださったのは、お母様だって。レイチェルに言ってやってくださるのかしら。期待で胸をどきどきさせて、わたしはお母様の黒いドレスをぎゅっと握った。ほこりっぽい小部屋の空気でむせそうになりながら、壁に耳を近づけてお父様のお声を聞こうとするの。でも――


「まさか君までアシュリー――先妻の幽霊だなんてことを信じているんじゃないだろうね? 私が言ってるのは使用人の誰かが、ってことさ」

「でも……」

「叱られるのが怖くて言い出せないってこともあるだろうさ」


 お父様は、やっぱり知らん振りを決め込むみたい。お母様やわたしだけじゃなくて、使用人の言うことも信じてないのね。みんな、口をそろえてわたしには何も言ってないって言ってたのに! だいたい、わたしとおしゃべりをする人なんかいなかったのに。わたしはずっとお母様とばかり一緒にいたんだから。お父様は、お屋敷のことを何もご存知でないのかしら。

 壁の向こうからさやさやという布の擦れ合う音と、ベッドがきしむ音がした。レイチェルが寝ているベッドに、お父様が手をついたのかしら。身を乗り出したのかしら。よその女の人が寝ているところにそんなことをするなんて――そんなお父様は、何だか嫌だわ。


「心配なら、先妻の頃を知ってる者には暇を出そう。君が紹介状を書けば良い。そうすれば今の奥方は君だって、方々に伝わるだろう。……それとも具合が悪くてできないかな」

「いいえ、それくらいなら……」

「そうか、ありがとう。どうせなら若い顔ぶれにすれば君もやりやすいんじゃないか?」

「……ええ。ありがとうございます……」


 まあ、ジェームズやアガサはお屋敷からいなくなってしまうのかしら。わたしにお母様のことを教えたのはあの人たちじゃないのに、可哀想。レイチェルも反対しないのかしら。あの人たちがいなくなった方が、わたしが寂しがって弱ってしまうとでも思っているのかしら。でも、わたしは全然そんなことにはならないわ。お母様のお話を他の人から聞いたりしなくても、本物のお母様が傍にいてくださるんだもの。


「先妻も夢見がちなところがあったからね……メイベルも似てしまったのかもしれない。でも、悪い子じゃないと思うから。どうか嫌わないでやっておくれ」

「ええ、もちろん」


 レイチェルったら、きっと嘘をついているわね。声だけでもすごく嫌そうな顔をしているのが分かるくらいだもの。でも、お父様はそれにも気づかない。お庭で倒れた時みたいに、レイチェルが俯いて顔を隠しているからかしら。

 別にレイチェルに嫌われても構わないわ。わたしだってレイチェルが大嫌いだもの。


 お父様とレイチェルはまだ何か話をしているようだったけど、生まれてくる赤ちゃんについてのことみたい。そんなことはどうでも良いから、わたしは壁から離れるとお母様の手を握った。


「お母様、どうしましょう。わたし、レイチェルも赤ちゃんも出て行って欲しいのに」


 いなくなるのが使用人たちじゃなくて、レイチェルだったら良かったのに。でも、お父様にそんなことを言っても仕方ないのも分かっているの。()()()()()()と仲良く、なんておっしゃるくらいだもの。

 でも、嫌なものは嫌なのだし。だからわたし、困ってお母様を見上げたの。そうしたらお母様はわたしの頭を撫でて、わたしの手を取って歩き出した。

 大丈夫よ、任せておきなさい。そう、言葉にしないで伝えてくださっているのが分かったから、わたしは少しだけ安心することができた。




 お父様がおっしゃっていた通り、お屋敷の使用人はだんだんと、そしてまるまるそっくりと入れ替わっていった。前からいた人たちがいなくなって、新しい、もっと若い人たちが入ってきたの。


「まあ、メイベルお嬢様、刺繍をなさっているのね。お上手ですこと!」


 だから、子供部屋(ナーサリー)付きのメイドも新しい人になったのよ。綺麗な赤毛のアリスは、お姉様と呼んでも良いくらいの――わたしが言うのも変かもしれないけど――女の子。田舎から出てきたばかりだそうで、純粋で朗らかで優しくて、これでお母様を見ない振りさえしなかったら仲良くなりたいと思ったかもしれないけれど。でも、この人も結局他の人と同じなのよ。レイチェルを奥様と呼んで、お母様を無視するの。今もわたしの隣に座って、針の運びを見てくださっているのに。


「ええ、お母様に教わったのよ」

「可愛いお花……! マーガレット……いえ、カモミールですか?」

「ええ、そうよ!」


 でもわたし、もうあんまりぜいたくを言わないことにしたの。意地悪をする人にはさせておけば良いわ、って。お母様のことをあんまり口に出さない方が、お母様はレイチェルでしょう、なんて言われなくて済むんだから。

 それに、だって、お母様が教えてくださることにはきっと意味があるのだもの。白い小さな花びらに、帽子みたいに盛り上がった真ん中の黄色。カモミールの花を選んだのは、わたしへのメッセージだと思うから。


「カモミールの花言葉は『忍耐』、『我慢強さ』……メイベル様、もしかしたらお寂しいの……?」

「いいえ、全然!」


 アリスが優しいのはこういうところよ。レイチェルがわたしにあまり構わないんじゃないかって、とっても心配しているみたいなの。お父様も、赤ちゃんの服とか家具とか玩具とか、用意するのにお忙しいみたいだし。でも、わたしにとっては構われないのは楽なくらいよ。お母様とおしゃべり――本を広げて、指さしながら、ということだけど――していても、変なことを言われたりしないんだもの。


「奥様は優しい方だし、旦那様もお嬢様は可愛いはず。赤ちゃんができても、変わらないと思いますわ……」

「ありがとう。大丈夫よ」


 本当に、何でもないの。カモミールの花言葉の通りだから。お母様は、今は我慢なさい、っておっしゃっていると思うから。お母様の言うことを聞いていればきっと大丈夫。きっと何もかも良いようになるでしょう。


「わたしも赤ちゃんは楽しみだもの。お世話させてもらえるように――服も、作ってあげられるように。練習しているの」

「まあ、メイベル様……!」


 アリスに抱きしめられて、わたしはくすくすと笑う。笑いかけるのは、アリスに対してではないけれど。こんなに近くにいるのに、わたしを撫でてくださるのに、見てもらえていないお母様。お母様も、我慢なさっているのでしょうね。でもそれも、いずれ終わるの。レイチェルの赤ちゃんが生まれるまでよ、っていうことだから。


 だからわたし、赤ちゃんが生まれるのは本当に楽しみなのよ。

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