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2.

 レイチェルがやってきたことも、新しいお母様だなんて言われたことも、とてもとても嫌だった。でも、それから起きたことは、もっとずっとサイアクだった。わたしはこれまでのお屋敷から、お父様の暮らしている本邸に引っ越すことになってしまったの。わたしのお人形やドレス、刺繍の道具なんかはみんな送ってもらえたのは良いんだけど、誰も彼もがお母様をいないように扱うのは本当にひどいことだったわ。きっとみんな、お父様やレイチェルにそうするように言われてるのね。


 クローゼットやベッドを動かす時に、わざとお母様にぶつかるようにした人もいたし、お母様が傍にいるのに埃を立てたり蜘蛛の巣を払ったりするの。何より、最後の最後にお父様のお屋敷への馬車に乗った時、お母様のお膝の上に荷物を載せようともしたのよ! そこはお母様のお席よ、ってわたしが言ってやらなかったら、そのまま馬車が動き出していたに違いないわ。お母様はお屋敷の奥様のはずなのに、こんな扱いをするなんて。レイチェルはもちろん、お父様だってわたしはもう大嫌い。




 お父様のお屋敷に落ち着いてからも、サイアクな気分はずっと続いている。


「まあ、メイベルお嬢様。大きくなられて――大きなお目目もブルネットの豊かな御髪(おぐし)も、前の奥様にそっくりですこと!」

「お母様は()()奥様じゃないわ。今も、だもの……!」


 こちらのお屋敷の使用人にも、優しくしてくれる人もいるわ。でも、やっぱりわたしにとってはよく知らない人だし。お母様を無視するのも馴れ馴れしいのもレイチェルと同じだし。


「ええ、新しい奥様に――お母様に、馴染まれるのは簡単ではないでしょうけれど。大きなお子様のいるお家に、後妻に来てくださる方というものはありがたいものですよ。お嬢様も、もう少し大きくおなりになれば分かるでしょうけど」

「わたしのお母様はおひとりだけよ……」


 みんな、訳の分からないことばかり。ひどいことばかり。お母様を取り換える、だなんてできるはずがないのに。みんな、温かい気持ちというものがないのかしら。

 こちらのお屋敷に来ても、お父様は結局お仕事ばかり。それかあちこちへのお招きとかご挨拶とか。だから、わたしはずっとレイチェルと一緒にいなきゃいけないの。もちろん、お母様はレイチェルなんかよりもっと近くにいてくださって、わたしが癇癪を起こしそうになるとぎゅっと抱きしめてくださるんだけど。でも、それだってみんな見ない振りをしてしまうの。


「お母様、お話を読んで」


 だからわたしが楽しい時間は、お母様と一緒にいる時だけ。こちらのお屋敷はとっても騒がしくてうるさいの。レイチェルが、毎日のようにお客様をお招きするから。あの人だって、このお屋敷の人じゃないのに! なのに、奥様みたいにおもてなしをして、お客様も誰も不思議に思わないみたいなの。時々はわたしもご挨拶なさい、って言われたりして、窮屈な服を着せられるのよ。そうすると良い子ね、偉いわね、って言われたりして、レイチェルが得意そうにしてたりするの。

 めちゃくちゃにしてやりたいわ、って思ったりもするけど。ひっくり返って手足をばたばたさせて、なんてもっと小さな子供みたいだし。お母様にちゃんとマナーを教えていただいているのに、できない振りをするのも嫌だし。


 大きくて重いご本を抱えてうつむいてしまっていると、わたしの頬に滑らかな感触がした。お母様の、絹の手袋だわ。わたしの頬をなでて、慰めてくださっているのね。


「……お母様、心配してくださるのね。大丈夫、お母様と一緒の時は怒ってないのよ?」


 お客様の前では、口を横にひっぱるみたいにして笑った振りをするだけだけど、お母様の前だと頑張らなくても笑えるの。わたしがおかしくならないでいられるのは、お母様がいてくださるからなのよ。

 お母様と並んでソファに掛けて、一緒にご本を読むの。お母様は声を出すことはないけど、でも、文字の読み方を指さして教えてくださるの。林檎の絵を指さして、それから林檎、って単語をさして。そうしたら、わたしにだって何て読むのか分かるもの。


「白雪姫は毒の林檎を食べてしまうのよね……だから、これが毒、ね?」


 わたしが正しくあてられると、お母様はうなずいてくださるの。間違えてしまった時は小さく首を振って、もっとよく見なさい、って挿絵のところとその意味の単語を交互に指さしてくださるの。黒いヴェールでお顔を隠しているのに何でも分かってしまうお母様、いったいどうやってご覧になっているのかしら。お目目はもちろん、髪も鼻も唇も、みんなヴェールの下なのに。だからあの使用人が言ったことは本当なのかわたしには分からないの。わたしがお母様にそっくり、って。


 でも、そんなことどうでも良いことよね? お母様はわたしのお母様に間違いないもの。わたしのそばにいて守ってくださって、色んなことを教えてくださるのはお母様だけだもの。どんなお顔をなさっているかなんて、どうでも良いことじゃないかしら?


 そうやって、お母様とご本を読んでお勉強していたんだけど――


「メイベル……? ちょっと良いかしら」


 楽しい時間は、すぐに終わってしまった。レイチェルが扉をノックして、わたしの部屋に入ってきたから。


「イヤよ。入らないで」


 できるだけ怖い声を出してにらみつけたのに、レイチェルはそれでも勝手にわたしとお母様のいるソファにまでやってきた。大きく膨らんだクリノリンを揺らしながら、相変わらずお母様のことを見えない振りをして。


「ねえ、私がここに来てからもう何カ月も経つのよ? なのに貴女はまともに口も利いてくれなくて……少しはお話をして、お勉強も見てあげたいの。そうしないとお父様にも申し訳ないでしょう?」

「お勉強ならしているもの。お母様が見てくださるから。ねえ、お母様?」


 わたしの隣に座っていらっしゃるお母様を見上げて胸を張って見せたけど、レイチェルは馬鹿みたいに口をぽかんと開けてるだけだった。わたしの言うことを信じてないんだわ。すぐにまた笑顔を浮かべても、ごまかしてるだけなのは隠せてないのよ。


「メイベル……でも、貴女、家庭教師も追い返してしまっているじゃない。本を見ているのは偉いけど、ひとりじゃ読めるようにはならないでしょう……?」

「読めるわよ。どのページにしましょうか?」

「ねえ、メイベル?」


 できっこないことを言わないで。レイチェルはそう言いたげだった。わたしとお母様を馬鹿にしているのね。じゃあ、ちゃんとご本が読めるって見せてあげないと。どこを読んで、って言ってくれないなら、わたしが勝手に決めちゃおう。ちょうど読んでいた、白雪姫のお話からにしようかしら。


「――白雪姫と王子様の結婚式で、お妃さまは真っ赤に焼けた鉄のサンダルを履かされました。そうして、死ぬまで踊らされたのです!」

「メイベル! なんてことを!」


 レイチェルの、空みたいな色の目をじっと見つめながら言ったから、きっと伝わってくれたわね。お前が燃えちゃえば良い、って。レイチェルが大声を上げて私の手からご本を取り上げて――少しだけ痛かったけど、でも、すごく良い気持ち! これでレイチェルも分かったかしら。お母様さえいてくだされば大丈夫なの。


「……白雪姫のお話を覚えていたのね。偉いわ。でも、おとぎ話を言えるだけでは駄目なのよ。もっと色々……レディとして……」


 ……いいえ、まだ分かってないわね。唇まで青ざめて、指が白くなるほど取り上げたご本を握りしめて、がたがた震えて。それでもレイチェルったらまだそんなことを言うのね。


「大丈夫だって。みんな、お母様が教えてくださるもの」

「そんなはずないわ。メイベル、貴女のお母様は……貴女が、とても小さい頃に亡くなってしまったのでしょう。貴女に何かを教えてくださるなんて、あり得ないの」

「お母様は行って(gone)しまったりしないわ! ずっとここにいるの!」


 手を広げてお母様のことを示すと、レイチェルはやっとお母様を見てくれた。でも、見た、って言えるのかしら。お母様の――目は、見えないんだけど――顔のあたりをちゃんと見る訳でもないし、遅すぎるけど、ご挨拶をする訳でもなくて。こんなにはっきり見せてあげたのに、まだお母様がいない振りをするなんて。


「メイベル……貴女のお母様は、どんな方なの……? 言えないでしょう? 覚えているはずがないのだもの……」


 ほら、こんな意地悪な言い方をする。お母様から目を逸らして、わたしだけに首を傾げてみせて、わざとらしいったら! 目の前で聞いているお母様がどんなお気持ちになるか分からないのかしら。それとも、全部分かっていてやっているの?


「じゃあ、見せてあげるわ」


 どうあっても、この人はお母様を見えない振りを通そうというのね。じゃあ、違う証拠を見せてあげなくちゃ。わたしがきっぱりと告げると、レイチェルはぶるりと震えて身体を引いた。怖いのかしら。悪いことをしていると、分かってない訳じゃないのかしら。

 真っ青な顔のレイチェルに笑いかけながら、わたしはソファから立ち上がった。

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