〈化猫の弔い〉-6
その女は番と目が合うと、驚いた様子を見せ、近付いてきた。一緒にガチャガチャと金属の触れ合うような音もしている。女が何か持ち歩いているようだ。
「すみません。人違いでした」
女は番のそばにきてそう言いながらも、まだ番をじっと見ている。
「私がどなたかに似ているのですか」
穏やかに番が訊ねた。
「はい。あ、いえ、さっきは…」
女が言った。「あの、この辺りでよく見かけた野良猫に見えてしまったんです。すみません、猫なんかと間違えてしまって」
「いえ、私が紛らわしい所に座っていたからでしょう」
フェンスの上から番がそっと笑うと、女も安心したように表情を崩した。
また番が訊いた。「その猫というのは、もしや、比較的大きくて前足が白い三毛猫なのではありませんか」
「そうです。あなたもその猫を知っているんですね?」
「ええ。よかったらその猫の話を聞かせて頂けませんか。ミケ、って呼んでいたんですね」
「はい。安易なネーミングですみません」
「私に謝ることないですよ」
言うと、番はフェンスから飛び降り、女の目の前に立った。女は番と同じくらいの年に見えた。まっすぐな髪は胸のあたりで切り揃えられている。黒っぽいパンツスーツ姿。その両手は自転車のハンドルを握っているが、なぜか自転車には乗らずに押してここまで来たようだった。前かごには大きなバッグ。いかにも仕事帰りといった様子である。
「私、仕事帰りにたまにこの辺を通るんですが、ミケはよくフェンスの上や向こう側にいて、私の姿を見ると来てくれてたんです。まあ、あげてた餌が目当てだったのかもしれませんけれど」
「どんなものを与えていたのですか」
「煮干しとか、するめとか。キャットフードをあげたこともありますが、あまり食べてくれなくて。コンビニのソーセージなんかも好きじゃないみたい。好みが古風な子でしたね」
「そうかもしれません。別な所では茹でただけの鶏肉を貰っていたようでした」
「薄味が好きなのかな? 他の所でも餌を貰っていたんですね」
「あの体格を維持するために、もしかしたらもっと色々な場所で餌にありついていたかもしれませんね」
「そうかも」
女が笑った。
ふたりの足元で鳴き声がした。噂をすれば影。
「ミケ。いたんだ。久しぶりだね」
言いながら、女は自転車のストッパーを掛けるとしゃがみ込んで三毛猫を撫でた。そして、
「そうだ。今日も持って来たんです」
と番に言うと、バッグから小さな袋を取り出して、中身の煮干しを数匹、三毛猫の前に置いた。
番も女に合わせてしゃがんだ。
女は三毛猫の頭を撫でながら話し続けた。「うちに連れて行こうかとも思ったんですが、うちのマンションはペット禁止だし、この子、餌を食べて少ししたらどこかに行ってしまうんです。なので、野良のまま餌だけあげて…本当は良くないのかもしれませんが」
「そんなことありませんよ。きっと、この子はそれでよかったんです」
「でも最近姿を見なくなって心配していたんです。何かあったのかなって。やっぱり私が飼ってあげればよかったかなって」
女は三毛猫の顔をじっと見ながら、少し声を詰まらせた。心配していたのは事実、そして相当なものだったのだろう。
三毛猫は撫でられるままにじっとしていた。煮干しの方は、においを嗅いだだけで口に入れることはなかった。
「今日こそ、私、この子を連れて帰ります」
女が三毛猫を抱きかかえようとした。が、三毛猫はその腕からするりと抜け出ると、番の膝に載せた風呂敷包みの上に昇り、そこに座り込んでしまった。
「ミケ?」
「この子はあなたに感謝していると思います。でも」
番がゆっくりと言った。「もう会うことはありません。今夜が最後です。あなたとのお別れができて、喜んでいると思います」
「どういうことですか」
女の口調は硬くなる。
「…そうですね、お話ししましょう。ですが、にわかには信じがたい話ですから、聞いた後で忘れて下さっても結構です」
「聞く前から忘れてもいいなんて、変わったことを言うんですね」
「そんな話なのです」
番はそう言うと、少し考え込んだ。
つづく
読んでいただきありがとうございました。