〈化猫の弔い〉-11
近くで猫の鳴き声がした。
彼らの前方からだった。梅田が駆け寄ると、橋の終わりの所で三毛猫が座り込んでいる。
「ミケだ」
梅田の声は弾んだ。
三毛猫を再び手に抱いた番も、ほっとした表情になった。
「昔の荒川はこの辺りを流れてはいなかったそうです」
不意に番が言った。
「え、そうなんですか」
「人の手が入るようになってから、何度かの工事を経てこの場所に引かれたのだとか」
番と梅田、それから番の手に抱かれた化け猫は、橋を渡ったのちも歩き続けていた。
「『荒川』という名がつけられただけあって、洪水や水害も多かったそうです」
「そういえば、荒川区って、荒川に接していませんよね、北方向は隅田川までですもん。なのにどうして同じ名前なんでしょう?」
「以前は隅田川を『荒川』と呼んでいたんですよ。といってもその下流は隅田川と呼ばれていました。今の名前になったのは50数年前のことです」
「よくご存知なんですね」
「こういうことをしていると、自然と身につくんです」
「私、元々この辺が地元ではないんですが、引っ越して来た時、東千住が足立区で、南千住が荒川区ってことが意外でした。同じ区だとばかり思っていたんですよ」
「ああ、思いますよね」
「番さん、どうしてなのか知っています?」
「いえ、存じません」
「そうか…残念。番さんって、この辺の出身なんですか?」
「さあ。あ、ここを曲がるそうです」
番が話を逸らせた。
角を曲がってしばらく、ふたりは黙ったまま歩いた。
やがて番が足を止め、梅田もそれに倣った。
そこは神社の敷地内だった。幅は5メートルもないかもしれない。小さな鳥居をくぐると、すぐに本殿に行き着く。番はその先へ進む。梅田も慌てて後に続いた。
外から見た小さな神社のイメージより、だいぶ奥行がある。進んでゆくとその突き当りには1本の紫陽花の木があった。今は秋、花は勿論つけていない。
番は紫陽花の根元にしゃがんだ。
梅田が覗き込むと、番は、持っていた風呂敷包みとその上の三毛猫を、地面に置いた。
ここにミケは眠るのだろうか…梅田は思ったが、声は出せなかった。
三毛猫は一度鳴き、丸くなった。
そしてその姿が段々と透明になり…消えた。
次の瞬間、風呂敷包みが揺れ、どん、と音を立てると同時に潰れた。…いや、番が風呂敷を拾い上げると、中の箱…木乃伊が入った箱がなくなっていたのだ。
番は当たり前のように、平静な様子で風呂敷の結び目を解きはじめた。
「番さん…」
おずおずと声を掛けた梅田に、番は静かに言った。「ミケは土に還って行きました」
「そうですか」
梅田の口調も静かだった。「あっけないものですね」
「そうですね」
番は風呂敷をたたみ、左の袖に納めた。
「私は帰ります。梅田さんは?」
「私は…もう少しここにいます」
「そうですか。では」
番は振り向くと、あっという間に夜の闇に紛れ、梅田からは帰る後ろ姿を見送ることもできなくなった。
そのあっけなさに、梅田は夢でも見ていたのではと思った。
しかし紫陽花の木はあり、ミケが消えたのを確かに自分の目で見たのだ。
梅田はしゃがみ込み、しばらくミケの思い出にふけった。
やがて気持ちが落ち着き、立ち上がると、梅田は、ここが自分の知らない場所であることに今更ながら気がついた。
鳥居をくぐり、道に出る。やはりわからない。
「やば…」
梅田はポケットからスマートフォンを取り出した。地図アプリを使うしか方法が見つからなかった。
その時、不意に背後から声がした。
「帰られるのですか」
振り向くと、番の姿があった。
「番さん」
驚く梅田に、番は、
「あの小学校までご一緒しましょう」
言うと、丸眼鏡を掛け直し、歩きだした。
「もしかして、待っていてくれたんですか?」
「いえ、寄り道をしていて、ちょうど今から帰る所でした」
梅田の問いに、番は穏やかな表情のまま答え、また眼鏡に手を遣った。
つづく
(化猫の弔い・おわり)
読んでいただきありがとうございました。『化猫の弔い』は終わりますが、次章『人魚の肉』に続きます。




