〈化猫の弔い〉-10
影は、番を『人の死骸』と呼び、這うように彼の背から離れた。そしてまた、
「化け猫の木乃伊はどこじゃ」
と、繰り返すのだった。
「化け猫の木乃伊をどうするつもりです」
番は声をあげてみた。
「おや。死骸が喋ったぞ」
「私は死人に憑いた蛇でございます」
番は言いながら、淡雪を半身ほど、袖から出した。
「先ほどから、化け猫との戦いを拝見させて頂いておりました。貴方ほどの方が、なぜに死にかけの化け猫なぞ相手になさるのか、卑小なるわが身にはとても想像がつきません。ここに居合わせることがなければ、あなたのような強い霊体のお話しを聞くことなどできませんでしょう。できますれば、その化け猫との因縁など聞かせて頂ければ、わたくしにとって幸いにございます」
「我は霊体にあらず」
影が言った。
「それは失礼致しました」
「まあよい。我はこの川岸に200年棲むイタチ」
「なんと、そうでございましたか。恐れ多い」
「あの化け猫とは馴染みであったが、もうじき奴は死ぬ。別れの挨拶の代わりに少しじゃれてやろうというわけだ。」
「ではなぜ、化け猫の木乃伊を探しているのですか」
「奴は自らの死骸を誰にも見せぬと言うのでな。そう言われれば、却って見たくなるというもの」
「そういうことでしたか」
影は番が言い終えるより早く、ゆらゆらと離れて行った。
番は、そっと淡雪を懐に納めると、羽織から風呂敷包みが見えないように気を配りながらその場を退いた。
化け猫とイタチが戦う場所からだいぶ遠ざかり、自然に傾斜した草むらを上って、番は振り返ってみた。
2頭の様子はなるほど、小動物がじゃれあう様子にも見える。
と、先刻まで何も意思の感じられなかった化け猫の木乃伊から、その考えが番に伝わってきた。
橋の歩道の手前で待つ梅田は、少し離れた橋上に姿を現した番に、心底ほっとしたようで、それは彼女に近付く番にも感じられた。
「戻ってこないかと思いました」
梅田が言った。
「橋を渡りましょう」
番は今までと同じ、柔らかな口調で言った。
「番さん」
梅田が、番の手にした風呂敷包みを見た。先刻まであった、大柄な三毛猫の姿がない。
「ミケは…?」
「先に渡っていてほしいそうです。すぐに追いつく、と」
「ミケはどこに行っているんですか」
「昔馴染みに別れの挨拶を…といったところです」
番が先に立って渡り始めた。梅田がすぐに後を追う。
「その様子、私には見えないのでしょうか」
「はい」
「番さんには見えるんですよね」
「だいたいは」
「今どこにいるんですか? この近くですか?」
「この下です」
「川の中、ですか」
「いいえ、ミケがいるのは川岸です」
訊くと、梅田は欄干から身を乗り出して、眼下の川岸を見渡した。
上空の雲は殆どなくなっており、半身の月が黄金色に輝いている。土手の街灯も周囲を明るく照らしている。だが。
「…見えませんね」
呟くように梅田が言った。
「大丈夫です、ミケは戻ってきますよ」
番も立ち止まって言った。
「行きましょう」
番の声に、梅田は黙って欄干から手を放した。
そして、ふと、歩き出した番の背中を見ると声を上げた。
「ミケ!」
「ミケが見えましたか」
番が振り返って訊ねた。
「いえ。番さんの…羽織が一瞬…ミケの模様に見えたんです。最初に番さんに声をかけた時も実はそうだったんです」
番は無言で静かに立っていた。
「でも今は真っ黒に見えます」
「はい。黒い羽織ですよ」
「どうしてそう見えたんでしょう?」
「さあ」
「番さんにも分からないのですか?」
「自分の後ろ姿は見えませんから」
言いながら、番はまた歩きだす。
その後を追いつつ、梅田は番の後ろ姿を確認する。羽織の色は黒一色だ。
ふたりは黙ったまま、橋の半ばまで来た。
ミケは現れない。
歩き続け、橋の終わりまであと数メートルまで来た。
でもミケの姿はない。
つづく
読んでいただきありがとうございました。次回で『化猫の弔い』は終わります。




