ep.1 いつも通りの朝
『それでは天気予報です。今日の空は朝から雲が多く、少し肌寒いかもしれません。午後になるとさらに雲行きが怪しくなり、夕方から夜にかけて広い範囲で雨が降るでしょう。降水確率は関東全域で80%、各地の気温はご覧の通り…』
「はぁ〜今日も雨かぁ…」
3日続けての雨でやや憂鬱になりそうだった。
露骨に残念そうな顔を浮かべた茶髪の少女はテレビを消して、すぐさま朝の身支度を整えて外出の準備をする。
「いってきます」
と言って玄関のドアを閉めるが、それに対して返答してくれる人はいない。それもそのはずで、この家の住人は彼女1人だけなのだ。なんとも言えない虚しい感じはするが、なるべくそのことを実感しないようにするための日課である。ただ、願わくば「いってらっしゃい。」と返してくれる人が欲しいと彼女は思っていた。
(いや、叶わぬ夢を妄想してどうするんだ…どう転ぼうが私の両親は戻ってこないし、だれかが私を育ててくれるわけもない。卑屈になってもしょうがないじゃないか。頑張れ私)
玄関先でパチンと両頬を叩いて気合いを入れると、堂々とした態度で歩きはじめた。だが、鍵を閉め忘れたことに気づいてすぐさま回れ右をする。
最後がしまらないのは日常茶飯事であった。
伊藤ルンは高校生だ。いわゆる現役JKである。小学時代からのセミショートにグラデーションを入れた茶髪に高いとも低いとも思われない絶妙な身長。少し体重には危機感を感じ始めているが自分なりにまだ許容範囲だと思いこんでいる。そのかわり胸は特段周りの女子より1ランク程度上回っていた。ただ、それ以外は余り飾り気がなく、全体的には印象に残り辛い地味な感じを出していた。もちろんそれはルンの思惑だったりするのだが、本人が意図しない間に今の状態に完成したというのも嘘ではない。
なにせ目立って良いことが一つもなかったからだ。それでもなお、十分すぎるほどにルンは目立つモノを持っているのだから…
左腕につけた小さめの腕時計は午前8時30分を指している。学校の予鈴は40分なのでそれまでに自分のクラスの席に座っていないと遅刻扱いだ。あと10分しかないのでは、と思うかもしれないがルンの家から学校までは徒歩5分なので心配はいらない。スタスタ歩けば余裕で間に合う距離である。
このギリギリを楽しむのもちょっとした娯楽なのだ。
(本音を言えば、あんまし学校行きたくないんだよね)
不登校路線が濃厚である。
雲が多く太陽が出ていないとはいうものの、さすがに6月だけあって、小走りだと若干暑い。たった5分歩いただけというのに額や首筋にはじんわりと汗が滲み出て気持ちが悪い。
いつも通りの通学路を通り、いつも通りの昇降口。そして、ルンの下駄箱に書かれているラクガキ。上履きは見るも無残に切り刻まれていたが、そんなこともあろうかとスペアの上履きがあるから大丈夫だ、問題ない。
昇降口から一番近くにある階段を上がって3階の教室へ、中に入ればいつも通りのクラスメイトの冷たい視線を受ける。
机のうえにはお約束とも言える花瓶に生けた花が置いてあった。
(ふーむ、このためにわざわざ花瓶と花を持ってきて用意するなんて随分と面倒なことをする奴がいるもんだなぁ…)
とりあえず邪魔だから花瓶ごと床に置いておく。意外と綺麗な花であったのが更にアホくさかった。
(まさか花屋で買った花とか?ますます馬鹿馬鹿しいな…おっと危ない)
ルンが椅子を引いた時、軽い金属音とともに足元をコロコロと画鋲が転がった。
(画鋲トラップか…これ、椅子をしまった状態にしてるから絶対に引っかかるわけないのに)
一息ついて席に着くと、周りからクスクスと笑い声が聞こえてきた。どうやら仕掛けはまだあるらしい。
(んー。机の中に何か入ってるなぁ…虫の死骸だったらちょっとなぁ…とりあえずチリトリっと)
ルンは基本帰る時にいたずら防止のために教科書の類は全て持って帰るようにしている。つまりこれらは少なくともルン自身ものではないのだ。捨てても問題はない。
中に入っていたのはおそらくゴミと思われる丸めたティッシュや汚れたプリント類、ホコリ玉だった。
ゴミ箱を持ってきて中のゴミをすべて捨てて再び席に着く。
ちょうどその時に予鈴がなり、先生が教室に入ってくる。これにてルンの朝の日課は終わりだ。
これでもかと言うほどテンプレないじめである。ただ、ルンの場合は実のところ、クラスメイトのほぼ全員から嫌われていた。
新年度から2ヶ月も経たないうちにここまで発展するというのもなかなかのものだが、そこまで嫌われている明確な理由が一つある。
ルンの頭、正確には側頭部の少し上の方に生えている角のせいだ。
この角は生まれた時から生えており、最初はできもののような小さい大きさだったが、歳を重ねるごとに大きくなって、今ではルンの頭は普通の人に比べて縦に3割り増しだ。
しかもこの角、しっかりと神経が通っており、触られたりすると分かる。つまり、この角を折ったり、傷つけた時には死ぬほど痛い目にあうのは容易に想像できる。もちろんそんなことで死にたくはないし、試したくもないので今の今まで放置して来ている。
角はいわば頭から生えた手足であり、ルンにとってなくてはならないものなのだ。べつに生活する上では特に必要ではなかったが。
ところで何故ルンに角が生えているのか、それはルンの母親が竜少女と呼ばれる存在であったからである。
竜少女とは一般的には数十年前、空からやってきた大きな竜、通称『巨竜』と呼ばれる竜の群れを撃退するために自ら竜の化身となって戦った少女達のことだ。ルンの母親はルンが生まれるずっと前からこの国を守るために戦っていた。そして竜少女には最大の特徴として竜の角と尻尾が生えている。
すなわち角は母親からの遺伝的なものである。幸いなことに尻尾はまだ生えてはいなかった。
そして現在、この平和な国で竜少女は嫌われ者であった。