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参考文献と関連年表

 <参考文献>


・第一章で取り上げた論文と参考文献に使用した論文の収録文献を時系列で並べる。

「興福寺の建立」(『日本建築史研究』墨水書房に収録)昭和十(一九三五)年、福山敏男

「藤原鎌足と仏教」(『白鳳天平の世界』創元社)昭和三十五(一九六〇)年、横田健一

「興福寺の維摩会とその展開」(『南都仏教』第四十五号)昭和五十五(一九八〇)年、上田晃圓

「維摩会と閑道の昇進」(『南都仏教史の研究 遺芳萹』法蔵館)昭和六十三(一九八八)年、堀池春峰

「維摩会に関する基本的考察」(『古代史論集 下』塙書房)平成元(一九八九)年、土橋誠

「天平十一年『皇后宮之維摩講仏前唱歌』をめぐる若干の考察」(『記紀萬葉論叢』塙書房)平成二(一九九二)年、井村哲夫

「『維摩会表白』の史的意義」(『史艸』第三十四号)平成五(一九九三)年、高山有紀

「八世紀の維摩会について」(『続日本記の時代』塙書房)平成六(一九九四)年、井山温子

「藤原仲麻呂における維摩会」(『日本思想史学』第三十七号)平成十七(二〇〇五)年、冨樫進

「『維摩会縁起』の史料性」(『南都仏教』第九十三号)平成二十一(二〇〇九)年、谷本啓

 史料として使用した文献

『藤氏家伝 鎌足・定恵・武智麻呂伝 注釈と研究』(吉川弘文館)沖森卓也、佐藤信、矢嶋泉

『萬葉集』二、新日本古典文学大系2 岩波書店

『群書類従・第二十四輯 釈家部』塙保己一 平凡社

『群書類従・第二十六輯 雑部』塙保己一 平凡社

『続群書類従・第二十五輯下 釈家部』 平凡社

 以下の『国史大系』(吉川弘文館)は巻数と史料名を連ねる。

第二巻『続日本紀』

第十二巻『扶桑略記 帝王編年記』

第二十八巻『政事要略』

第三十一巻『日本高僧伝要文抄 元亨釈書』

第五十三巻『公卿補任 第一篇』

(故実叢書)第二十二巻『禁秘抄考注・拾芥抄』 明治図書出版

『大日本仏教全書』「寺誌叢書 第三」 第一書房

『大日本佛教全書』「寺誌叢書 第二(オンデマンド版)」 大法輪閣

『佛教大辞典』 小学館

『国史大辞典』第五巻、第十二巻 吉川弘文館

『日本仏教人名辞典』 法蔵館

『詳説 日本史B』 山川出版社

『埋もれた巨像』(『上山春平著作集 第四巻』法蔵館)上山春平、昭和五十二(一九七七)年

『天孫降臨の夢』大山誠一(NHK出版)、平成二十一(二〇〇九)年


<関連年表>


斉明天皇二(六五六)年 藤原鎌足、体調を崩す。その際、百済の禅尼法明による「維摩経」の読誦により体調は良くなったとされる。

同三(六五七)年 山城国宇治郡の山階陶原寺に精舎を建てて、斎会を設けた。これが維摩会の始まりである。

同四(六七八)年 その陶原家の精舎に呉僧、元興寺の福亮を講匠として維摩会に招いた。

慶雲二(七〇四)年 不比等、体調を崩す。

同三(七〇五)年 七月に不比等の邸宅、城東第で維摩会を修す。

同四(七〇七)年 十月に厩坂寺で新羅遊学僧観智に維摩経を講読させる。

和銅二(七〇九)年 不比等、植槻之浄刹で維摩会を修す。

同三(七一〇)年 平城遷都と同時期に興福寺創建。

同七(七一四)年 不比等、興福寺で維摩会を行う。

天平五(七三三)年 光明皇后、皇后宮で維摩会を再開する。

同十一(七三九)年 光明皇后、皇后宮で維摩会を行う。

天平宝字元(七五七)年 藤原仲麻呂、孝謙天皇と光明皇太后に対して、維摩会の振興を勧める奏上文を発          する。



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