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第九話『愛の押し売り』

 数年前の、ある日の夜。

 夜半、一人ガラ=イサオミは王城の外の庭の一角、壁に背を預けていた。

 その視線の先にあるのは焼却場だ。清掃の度に出るごみや書類の類を焼いてしまうためのもの。もう昼頃に業務のすべてを終わらせたのだろう。今では零れる程度の小さな弱い火の光しか見えない。武人として勤めているガラには本来縁もゆかりもない場所である。


「……はぁ」


 溜息を漏らした。顔には悲しみと苦しみを入り混ぜたような表情。吐く息は鉛のように重い。

 ゆっくりと、躊躇いながら彼は懐から手紙を取り出す。


「……レティ……、すまない」


 ガラは一人の女性、自分の心の中に住まう想い人の名前を呟いた。

 弟に来るラブレターに対して返事をし続けた自分は、愛を告げるその文章に魔的な魅力を付加することが出来る。その評判を聞きつけた知人友人にラブレターの代筆を頼まれるほどだ。

 だが、ガラ=イサオミが自分自身の為に書き上げたそのラブレターは、今彼が懐から取り出したただ一通のみだった。

 思いの丈を込めたつもりだった。だが、それは自分の予想を超え、よりによって彼女に拭い難い傷を与えてしまったのだ。

 自分で自分が許せなかった。

 もう彼女と会わない。そう決意し、ガラはその手紙を焼却炉に放り込もうとする。


「…………くそっ、くそっ……」


 重い、重い溜息。もう今日一日で一生分の溜息を吐いた気がする。悪気はなかった。だが、悪気がなかったと言ってよりによって愛していた人を命の危機に晒したのだ。許されるはずがない。

 拳を痛いまでに握り締めた。後悔してもし切れない。

 せめて、二度とこんな悲劇は繰り返さない。ガラは、焼却炉に手紙を投げ入れると、もう二度と振り返らず、その場を後にした。


――――――


 以前のガラ=イサオミの入院騒動より一月が経過していたある昼下がりの午後。

 楚々とした人影が、物流の大動脈、物資を各地に送り出す心臓とも言われる皇帝陛下のお膝元、ディミスタンを歩いている。そのしなやかな手足は美しい猫科の猛獣を連想させ、ロープから零れ出る目鼻立ちは多くの若者に素顔を夢想させるに足るものだった。


 女性にしては少々上背が高すぎるかもしれないし、ロープなど纏っているため一見不振人物に見えなくも無い。だが、そのいでたちに周りの人は慣れきっているのか誰も誰何の声を挙げようとはしなかった。

 一ヶ月ほど前までは声をかける人々も多く、その人影は最初の頃辟易していたものだが、皇帝陛下のご息女に仕える女官ということを知って話しかけるものはめっきり減った。その皇帝陛下のご息女に仕える女官が実は男性であると知ったら一体どれほどの混乱が巻き起こるのか。

 女装の似合う、というか似合いすぎて怖い主人公、ユラ=イサオミはそれが破滅に直結すると理解しながらも考えることが多々ある。女装で得をしたことなど一度もない。ないのだからせめて空想で楽しむネタにでもするしかないのである。

 秘密というものは発覚すれば身の破滅に繋がるから伏せなければならない。発覚したものはそもそも秘密ではなくなる。


「……では、僕は男性であると吹聴したらどうなるか……」


 考えてみてユラは暗然たる気持ちになった。子供の頃病弱だった自分は普通に成長することは不可能だと思われていたらしい。しかし、母親が『女装の格好をさせれば生き延びることが出来る』とどっかの占い師にいわれてそれを真に受け女装させたところ普通に成長を始めたのである。もう健康な体になったのだから男に戻ってもいいだろうと思わなくもないが、母親に遺言で女装を続けるように言われた以上、続けないというわけにもいかなかった。



 ユラ=イサオミは王城の門(と書いてヘルズゲートとルビを打ちます)の脇にある小門を潜って中に入るためいつもどおりの道を歩いていた。

 自分のような一介の騎士の家に生まれた人間が皇帝の娘付の女官になったのだ。大抵の人ならばたいした出世だと褒めちぎるだろう。給料が出るというのは兄に食わせて貰っていることを悔しく思っていたユラとしても嬉しい。だが、実は男性という秘密を抱えるユラにとってはそれは破滅と栄達を天秤棒の両端にかけて綱渡りするようなものだった。


 辞めたい。兄の前で強がりは言ったが、磨耗する神経に疲れはたまる一方である。どこかでガス抜きをしたくても、男友達は優れた容色に目をつけた輩ばかりで、女友達は秘密の発覚を防ぐためにどちらとも仲良くなれない。

 彼の秘密を知り、なおかつ平然と接してくれる相手といえば、と指折り数えてみて、


「ご隠居に、兄さんに、ジオさん」


 師匠に、兄に、変態、あまりにもアレな交友関係。誰でも落ち込む。

 上二つはともかく最後の一つは極め付けに変である。アクセントもここまでくると、もはやくどい。

 ユラはため息を吐いた。

 彼とて普通の男性だ。女性と仲良くしたいと思う。だが、あいにく友達を作ることがやたらめったら困難な事情のある彼にとって、気楽に付き合える人は希少なのである。

 実の兄であるガラが入院し、会話が少なくなってからは人恋しく思うのは必然であった。


 いまだに自分と目を合わせて話すことも出来ない仕えるべき姫君の顔を思い出してユラは王城の門(と書いてヘルズゲートとルビを打ちます)まで足を進め。

 そこでいつもと違うものに遭遇したのである。



 そこにいたのは一人の少女だった。自分よりも一つぐらい年下の女性。栗色の髪を頭の後ろで揃えている。髪の長さが足りないためか、馬の尾縛りではなく束ねられた髪はむしろお団子のように見えた。体つきはその年頃にしてはなかなかの成長振りで胸元の衣服を内側から押し上げている。どことなく幼さを含んだその容姿は愛らしい魅力にあふれていた。


 着ているものは見た目の華やかさよりも動きやすさを重視したつくり。人目をひきつける彩色の美しさはないが、少女自身が持つ魅力があれば不要に思える。

 だが、ユラが目を引かれたのはそんな少女の容姿にではなかった。

 その少女が背中に背負っていた棍。

 樫の木の中心を繰り抜いた棒の中に鉄芯を通して頑丈さを増し、全体に牛皮を巻いて両端に鉄製の輪をつけた明らかな実戦向きの棍だったのである。

 ユラは武芸百般の謎の老人、読者に素性を隠しているのか隠していないのかいまいち判断に困る自称『エ・チーゴのちりめん問屋の楽隠居ジジイ』、通称ご隠居に武術を教わっているためかそういった眼力は自然と培われていた。

 武術の中でも人を殺せる刃を手にした相手に対してなお殺さずに治める事に優れているのが杖術だ。

 そういった技を修めている人間に対してどこか興味を抱いたのは、武で以て身を立てることを夢にするユラにとって無理からぬことだっただろう。

 田舎から来たのか、おのぼりさんらしく城門を見上げる彼女に声をかけてみたくなり、ユラは足先をその人に向けて近づいてみることにした。


「もし? 王城に何か御用ですか?」

「ふぇ?」


 後ろからかけられた声にその少女は振り向いて答えた。

 何処と無く幼い容姿だとは思ったが、その声の音の高さ故か、更に一、二歳幼いように思えてしまう。その少女は首を傾げながらユラを見返した。

 遠目ではよく確認できなかったが、近くで見てみると想像よりも背が高い。女性としては(注・本当は男性です)かなりの長身の部類であるユラの少し下ぐらいなのだからけっこう上背がある。

 声をかけられるとは思ってなかったのだろう。実際王城を物珍しそうに見上げる地方出身者は案外多い。そんなその他大勢にまぎれて気にかける人など居まいと思っていたのか、不思議そうにユラを見返した。だが、少女はとりあえずにこりと笑った。普通に可愛い。


「ああいえ。大した用件じゃないっす。2ヵ月後に開かれる鉄姫隊の入隊試験会場になるのがここっすから、真っ先に見ておきたかったんす」


 ああ、なるほど、とユラは頷いた。

 全国各地から入隊したいと思って剣で身を立てようとする女性が一堂に会する試験はかなり過酷なものと聞いている。早めに上京しておこうという人がいてもおかしくは無い。おかしくは無いが。


「でも、……二ヶ月前からですか?」


 ちょっと早すぎる。そういいたいユラの言葉の先を察したのか、少女は苦笑しながら答えた。


「はい、田舎では結構それなりにやれるつもりっすけども、人の集まるここならきっと強い人も居ると思いまして。試験に備えてどこか大きな道場でもあれば修行させてもらおうと思って来たっす。井の中の蛙にはなりたくないっすから」


 疑問が氷解するのを感じたユラは、そうでしたか、と微笑んだ。

 いちいち理に適う返答に心地よさを感じながらユラはそろそろ家に帰ろうと考えて会話を切り上げようと口を開く。


「そうですか。……じゃあ、二ヵ月後頑張ってくださいね。ぶしつけな質問をして申し訳ありません」


 華の香るような美しい動作で一礼し、ユラは誰もが好く様な笑みを浮かべた。

 その表情に少し顔を赤く染めながら少女は、こ、こちらこそどうも、と慌てた様子で答える。


「あ、ありがとうございますっす! 頑張って入隊しますです。そ、それじゃ、綺麗なお兄さん、さようなら」


 一礼し、立ち去ろうとする少女。

 ユラは微笑み手を振って見送ろうとして、そこで少女が聞き捨てならぬ一言を言った事を認識した。

 その瞬間。表情から笑みが消える。顔が凍て付く。双腕が大蛇のように伸びた。


「まてい」


 まるで奥歯の奥のスイッチを押したかのような圧倒的速度でユラはその少女の腰を掴む。


「ほ、ほぇ?」


 何故だか良く判らないが必死ということだけはひしひしと伝わってくるユラの表情に少女は戸惑ったように呟きの声を漏らした。ユラの顔が黙れと語っている。いかに雄弁な吟遊詩人とてその無言の威圧に押し黙らざるを得ない、そんな鬼気を放ちながらユラは彼女を強引にお姫様だっこした。

 どうでもいいが、なかなか尋常な筋力ではない。


「おおう?! まさかこんなところで夢の一つがかなうとは感無量、今日は良い日っす!」


 きゃー、と黄色い悲鳴をあげ、嬉しそうにしている少女を無視してユラは王城の中に入り、走り、辺りから聞こえてくる誰何の声を無視して医務室の中に飛び込んだ。

 

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