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第八話『微笑と覚悟』

 パンチラを気にしなくなったら人はあそこまで早く動けるようになるものなのか。

 ガラ=イサオミは眼前で繰り広げられる師弟同士の恐るべき死闘を呆れたような表情で見守っていた。作者も一応確認の為読み返してみたが、確かにユラは荒くれ者の傭兵達を叩きのめしたとき蹴り技を一撃足りとて放ってはいないのである。


 しかし、まあ、だからどうしたという気分であった。


「なあ、ガラ。幾らユラ君とはいえ、あの様子はただ事ではないぞ?」


 さっきぶん殴られたはずのジオはもう既に復活してユラとご隠居の戦いを観戦していた。ギャグ小説特有の凄まじい回復力を気にしてはいけない。その内ジオには『実は受身の天才である』とか『謎の生命体の細胞片を移植されている』などの隠し設定でも出てきそうで作者も怖いのである。

 ガラはジオの言葉に難しい表情をしたまま頷いた。


「……ああ、俺も一度だけユラがああなったのを見たことがある」


 目を閉じ思い出の奥にしまった過去を反芻し、ガラは息を吐いた。

 忌まわしい過去の記憶を掘り起こす激痛を耐えているようにも見えるガラは、目を閉じたまま、光を嫌うように下を向いた。口を開く。


「……あれは、俺がまだ子供の時だった。子供の頃のユラは今ほど健康ではなく、小さい頃は母上と一緒に空気の良い所で養生しながら成長を待とうという事になった。

 そしてユラの体調も安定し、うちに帰ってきた時、あの悲劇は起きたんだ」

「悲劇?」


 怪訝そうにジオは訊ね返した。


「ユラはな。向こうでは女の子として通していた。だが、問題なのは、……ユラ自身がその頃は自分のことを実際女の子と信じていた事だった。

 ……そして、五歳のユラと、俺達の父上が一緒にお風呂に入った時にそれは起きた」


 遠い、はるか遠いどこかを見るような遠い目でガラは自宅の一室の壁を見る。明らかに心ここにあらずといった様子で言葉を続けるガラに、ジオは戦慄したように後ずさった。


「聞こえてきたのは父上の悲鳴。それに続くように聞こえる地獄の底から響くよぅな大絶叫。おおよそ五歳の子供が張り上げたとは信じられない叫び声だった。

 ……よっぽどショックだったんだろうなぁ、ユラの奴。

 なにせ、女の子と信じていたにも関わらず、父親にあるものが自分にもあったんだから。五歳児とは思えない超常的な破壊力でユラは風呂場を破壊し、家をぶっ壊していった。父上も正式な騎士であったにも関わらず倒された。……今のユラは同じだ。精神的に耐え切れない事態、余りにも信じたくない事態、怒りでどうにかなってしまうような状態に出くわすと頭の配線が一本ぶっ壊れて今みたいな状況になる」

 

 余りにも知りたくない事実を告げられ、ジオはボケ役の本分を忘れて寒気に体を震わせる。ガラの独白は続いた。


「……今から思えば、父上が早死にしたのもその時受けた打撲が原因だったかも知れんなぁ……。そういえば、母上も眠っているユラの枕元で『ごめんなさい、私が貴方にしっかり性教育していなかったばかりに……』と涙を流しながら謝罪しているのを覗き見たことが子供の頃にあった気がする」

「そ、そんな恐ろしい『あなたの家の黒歴史』を唐突に明かさないでくれたまえ!!」


 今まで知らなかった恐るべき真実を明かされ、ジオは本気で恐怖したように叫んだ。



 後ろで明かされる驚愕の真実を耳に挟みながらご隠居はほろりと涙を流していた。片腕で涙を拭い、もう片腕は降り注ぐ雨あられの如き刃の連続を捌き続けている。相変わらず盛大な余裕のあるジジイであった。


「僕は男の子だ、男の子なんだ、出仕なんてそもそも絶対に無理なのになんでこうなるんだ!!」


 シャフー、シャフー、シャフー、と口元から明らかに人間ではない呼吸音を漏らし、瘴気を吐き出しながらユラはジジイに襲い掛かる。どうでもいいが折角のプレゼントを料理に使うのではなく、人斬り包丁として使われてガラとしては心中複雑であった。

 スカートが、ふわりと舞い上がった。高角度に跳ね上がった蹴撃、相手に背を見せ一回転したユラの美脚が相手目掛けて弧を描き凶猛な勢いと共に伸びる。後ろ回し蹴りだ。即座にご隠居は対応の為後方へと後ずさる。大振りの一撃をかわし、余裕を持って反撃の一撃を叩き込む概算を行い、ご隠居は笑みを浮かべる。



 ちなみに後ろの背景で、ジオが広がるユラのスカートを見て鼻血のアーチを出しながら凄く幸せそうな笑みを浮かべて後ろにぶっ倒れていた。ガラはそんな倒れ伏せるジオに肺、腎臓、胃、急所の事如くを打ち抜く悪魔のようなヤクザキックの嵐を見舞う。殺意バリバリであった。


 

 後ろ回し蹴り、そう判断したはずのご隠居の脊髄に何十年ぶりかの感覚が戻った。

 そう、若かりし日に戦場に立ち、流星王と戦った時か、もしくは東方半月の国で慣れぬ船の上で数名の腕利きに周りを囲まれた時か、白豚公の刺客たちに襲われたときか、もしくは魔王ドゴール公が周りの崖から捕虜の人馬数万を突き落として屍の道を作り、完璧な包囲網を作り上げた地獄戦の最終幕か。 


 すなわち、命の危機の警告。


 ご隠居は本能に従い全力で後ろに下がった。同時に銀色の滝が落ちてくる。刃物、そう認識すると同時にすっぱりと頬が切れる感覚がした。

 靴を脱ぎ、脚の指先で包丁を掴んでの奇襲の一撃。指に頬からの血を感じて指先で拭った。この数十年、かすり傷一つ負ったことの無い自分に手傷を負わせた女装弟子に、肉食獣の笑みを浮かべた。ご隠居、心底喜んでいる。


「ははは、わしに手傷を入れたのはお前が五人目じゃな」


 そのリストの中には歴史上の偉人がかなり入っていたりするのだが。まさかその偉人達も自分達の後に女装美青年が混ざるとは夢にも思っていなかったに違いない。


 ぞわりと空気が歪んだ。

 ご隠居は久しぶりの敵にようやく本気を出す気になったのか、腰を低く落とした。無傷で捉えることが目的だったのだが、半生を武人として生きた人の性か、その目的は念頭から外れている。

 一触即発の空気が今にも弾けようとしたその瞬間。

 ばたん、と人が倒れる音がした。


「ガラ、ガラ!!」


 ジオの今までにない焦りに満ちた声に、半ば狂乱状態のユラも数十年ぶりに本来の武を発揮しようとしたご隠居も振り向いた。


「……兄さん?」


 その光景にユラの瞳に正気の光が灯り、心臓が止まるような衝撃を受けた。ガラが倒れている。

 それもこれまでとは違って血の気の無い真っ青な顔で前のめりに倒れている。


「……うーん、処刑部隊が……、処刑部隊が……」

「兄さん、兄さん?!」


 うわ言を呟く兄に、ユラが兄を上回る真っ青さ加減で駆け寄った。ここでやる事は無いと最速を極める判断したご隠居は人を呼ぶために誰よりも早く家を出る。


「ああ、どうしようジオさん!! ……兄さんが、兄さんが!!」

「まずは深呼吸!!」


 真剣な表情でユラに命令するジオ。彼はガラの呼吸が正常であることを確認する。心肺系ではない。傷を受けた様子も無い。ともすれば臓器の疾患と見るべきか。一瞬で判断をつけて彼は立ち上がる。


「まずは医院に連れて行くぞ。ここでは処置が出来ない」

「は、はい!!」

 

 大きく息を吸っていくらか気の落ち着いたユラは頷いた。

 いつもの様子から一転して表情を不安に染めユラはただ頷いた。血の繋がる大切な実の兄が突如の気絶、今までそんな様子は微塵も見せなかったのに、どうして気付かなかったのか、自らを攻めながらユラは兄を運ぶ準備をする。

 この時は、この時ばかりはユラの脳裏から未来に対する不安など微塵も無くなっていた。

 今を、護るだけで、大切な兄を護る事で手一杯でそれ所ではなくなっていた。



 なお、ガラの気絶の原因は、ご隠居に出血をさせる手傷を負わせたことである。

 ユラはご隠居の正体を知らず、ジオとご隠居はそもそもそんな細かい事を気にする真面目な性格ではなかったので手傷程度では全く気にも止めなかった。

 だが、ご隠居が先代皇帝であり、大事な体であると知っているガラは、その真面目さゆえか、心労の余り気絶してしまったのである。真面目で常識人が苦労するというのはいつもの世の常か。

 先代皇帝にかすり傷でもつけてしまえば不敬罪と考えているガラは、弟がご隠居に傷を負わせた事に耐え切れず、失神してしまったのである。




 まどろみの中、ガラは昔の事を思い出していた。

 自分は子供の頃、可愛い妹が欲しいと夜空のお星様にお祈りした事がある。

 子供の頃のたわいない願い事だ。どうしてそんなことを思ったのか覚えてすらいないようなありふれた理由だ。

 だが、お星様は中途半端に子供の頃のお願いを聞いてくださったのである。

 お星様は、可愛い妹ではなく可愛い弟をくださったのだ。

 罪悪感で3日ほど眠れなくなった事はガラ本人しか知らない。

 生まれた弟を恨んだ事は一度ならずあった。幼い子供なら良くあるが、其の頃のガラは母親が大好きだったのである。だから母親が弟と一緒に遠くに行くと聞いた時、小さなユラを憎く思った。

 でも、母親が病で亡くなった時、自分は兄なのだからしっかりしなければと思った。自分は兄なのだから母親や父親と長くいる事ができる。でも弟は父母と一緒にいる時間は自分よりどうしても短くなるのだ。

 大事にしてあげよう、そう心から思ったのはその時からだった。



「……あ?」


 ガラ=イサオミはからからに乾いた自分の喉の感覚を、まず一番最初に思い出した。

 ご隠居にユラが傷をつけて、それで処刑部隊が来る、そう思ったら堰が決壊するように自分の体は崩れ落ちていたのだ。

 鼻に付くのは消毒液の臭い、病院かと考えて上半身を起こしたガラはそこで自分のベッドの端に持たれている女性に気付いた。幼い頃に見たその懐かしい姿に思わず呟く。


「……母上?」

「……んえ?」


 背に流れる艶やかな黒髪、引き締まった四肢。そこまで見てガラは寝ぼけ眼をこするその人が自分の弟である事をようやっとこさ思い出した。


「あ、兄さん。起きたんだ? 体、どこか具合悪いところ無い?」


 ガラが目を覚ました事で一瞬顔に喜色を浮かべたユラだが、すぐに身を案じる不安げなものへと表情を変える。ガラはあの時一番痛んだ自分の胃腸の様子を確かめてみた。大丈夫、収まっている。


「ユラ、ご隠居は? それからお前は大丈夫か? ひどい顔だぞ?」


 弟の顔を見てガラは唸った。女性にも十分に見間違えられるその秀麗な容姿はひどく荒れていた。肉体的というよりは精神的にやつれたような顔。そういった経験をガラは弟関連で非常に多くつんでいたので良く分かる。

 ガラの言葉にユラは泣き笑いのような表情を浮かべた。


「一番大丈夫じゃなかったのは兄さんだよ。……ごめん。兄さん診察してもらったら、どうも心因性の臓器疾患らしい。薬湯と休養を取ることで十分直せるから。ご隠居も浅い切り傷だったし。向こう傷は男の勲章じゃ、って親指立てて笑って全然気にしてなかった」


 そういうとユラはすっくと立ち上がった。

 今まで起きなかった兄がようやく目を覚ました事でユラの心残りはすべて消え去った。

 清涼とした晴れ晴れな笑顔を浮かべる。一切合財の迷い悩みを振り切り、微笑みながら彼は兄を見る。その目に不安や恐れの色はある。

 だが、絶望の色はすべてが覚悟に駆逐されていた。


「詳しいとこはご隠居とジオさんから聞いた」

「……そうか」


 ガラは夢の中なら忘れることが出来ていた事実を思い出し顔を曇らせる。気のせいか胃腸がきりきりときしむような痛みを覚える。


「兄さん。無理させてごめん」


 頭を下げるユラ。

 その弟に目を丸くする兄。その様子を見ながら彼は微笑んだ。


「安心して。ご隠居もジオさんも僕を手伝ってくれる。二年だ。二年で僕は男に戻れるし、兄さんの脛かじって生活する必要もなくなる」

「お前……」

「大丈夫さ」


 笑い、背を向ける。

 女性にも見間違う線の細いその体だが、妙なまでの力強さを持つ弟の背にガラは父親を思い出した。


「僕、漢だぜ?」

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