第六話『語らないやさしさ』
と、いうわけで、話は戻ってユラとガラの会話の場面に切り替わるのであるが。
魂が口から抜け出て正気に戻らぬ弟の意識を回復させようとしたガラであったが、すぐには戻らないと諦めて最終兵器の元へ走ることにした。扉を開けて、玄関先にいる馬に飛び乗り、早速駆け出し始める。どうでもいいがこの人大忙しだ。
アンゼリカ姫直属の鉄姫隊は前述したとおり女性だけで構成された団員二千人程度の小規模の騎士団である。
設立には確かに『見栄えが良い』とか、『女性にも剣で身を立てる機会を与えるため』とかの建前が存在している。
が、実際のところはそうではない。
単純に『非常に強い』のだ。
女性の身で戦場に出るのだからその実力は折り紙つきである。それと同時に彼女達は非情なまでに勇猛なのだ。捕虜に取られれば死んだほうがましという目にあうのだから当然実力よりも凄まじい戦闘力を発揮する。故にその名声だけで敵はすくみ上がり、勝利を重ねる結果となる。
ぐつぐつと煮えて良い匂いを放つ臓物の鍋を前に、バッカニアスは溜息を吐く。それでも彼は鉄姫隊の設立に当初難色を示した。
息子である現帝や、孫娘に当たるアンゼリカから懇願され、ついには折れる形となったが、その性質上他の騎士団よりも死亡率の高い鉄姫隊に対しては当然いい顔をしていない。だからこそ、いろいろと手を回して鉄姫隊の作戦任務はなるべく少なくするようにしているのだが、その事実を知るアンゼリカには恨まれている。
武人として戦場に出る機会を不当に奪われているのだから自分を恨むのは当然である。ご隠居も孫娘には嫌われたくないのだが、死亡率の高い女性ばかりの騎士団を戦場に送りだすのは正直心が痛む。その死亡率の高さも他の騎士団に比べてであり、部隊を構成する人は当然死を覚悟した人ばかりなのだが、こればかりはバッカニアスも簡単には譲れなかった。
と、いうわけで、ただでさえ嫌われているバッカニアスとしてはあまりアンゼリカを怒らせたくなかった。
英雄といわれても孫が可愛くて仕方ないのは爺さん連中にとって万国共通であり、
「かくかくしかじか、というわけで、ユラの出仕を止めるようにアンゼリカ様にお口添えして頂きたいのです!!」
鍋が放つ湯気の向こうで必死になって懇願するガラの言葉に対して孫娘の意向に逆らいたくないジジイは
「ごめん無理じゃ」
と、最低の答えを返すのであった。
最後の希望が断たれて前のめりにぶっ倒れるガラ。そのうち心労で気絶するイベントが発生しそうである、うーむ。
書き忘れている気がしたが、ガラと自称ちりめん問屋の楽隠居爺が腰をおろしているのは都市の一角にあるとある飯屋だった。ご隠居は六大選王家の一子として戦場に立つ前だった若かりし日から通う常連中の常連なのである。
出すのは牛や豚などの臓物を煮込んだもので、恐ろしく野卑な外見の食べ物で上流階級には嫌われる類の食事なのだが、若いころからずっと通っているジジイにはいまさら気にする気にもならない。
鍋ごと机の上に出され、ぐつぐつと煮えたぎるそれは音と匂いと視覚で強烈に食欲を沸き立たせるものだった。考えてみれば朝食は果物だけだったな、と思い出したガラはご隠居と一緒に鍋をつつくことにする。
知り合った当初ならば『先帝陛下と一緒に食事するなど恐れ多い!』と恐縮しただろうが、今ではそこまで気にするのも馬鹿らしくなったのか、慣れた様子でよそって食事することにしている。人間どんな環境にも慣れるもんであった。
「ああ、ここだったかい」
声がするので振り向けば、ジオ=ジンツァーが飯屋の扉をあけてご隠居とガラを見て声を上げた。ジオもまた宮廷に出仕し、先帝の顔を拝見した事がある人間で結構普通にご隠居の正体を受け入れていたりする。可愛い相手でなければどうでも良いと考えて大抵のことを平然と受け入れるところはさすが一流の変態、大物といえなくも無いかもしれない。
「失礼、お相伴させていただきますよ」
「うむ」
鷹揚に頷いてジオはガラの隣に座った。
辺りには人が多い。労働者が大勢昼食時に利用するここは非常な賑わいを見せており、多少大声で話しても声にまぎれて聞こえる事はない。
ガラは飯を食べているうちにようやく人心地付いたのか、ご隠居を恨めしげに見た。
「……では、ご隠居。どうしてユラが宮廷に出仕する事を止めてくださらないのですか? あれは実際は男で、それがばれれば大変な事になるというのに……」
「うむ」
と、重々しく頷くご隠居。
……重々しく頷きはしたが、実はこの人この時点では頭の中に何も考えていなかったりする。単に孫娘の機嫌を損ねたくないという理由で断ったとガラに正直に言ったら、彼、一人で反乱でも起こしそうな雰囲気であった。
だが、猛烈な頭脳の回転で窮地を脱する為の言い訳を考え付くところはさすが大陸統一を成し遂げた偉大な英雄である。偉大さの発揮する方向性がちょっと問題ありとは思うが。
「まずはな。イサオミの家と、わしとの関係がどこにあったか、じゃ。これを明かすとなればわしにとっては、唯一の楽しみであった外への外出を後々禁じられる事になる」
「理由としては弱いんじゃありませんか? ご隠居。失礼ですが、ユラ君の社会的信頼とご隠居の道楽を一緒にされては困りますよ?」
一種不敬罪とも取れる言葉をジオは刃のような鋭さを秘めて言う。この人変態で女の子も男の子も平等に好きな人だが、決して無能と言う言葉は似つかわしくないのだ。ご隠居はその言葉を気にした風も無く、頷いて答えた。
「其の通りじゃな。だが、おぬしらはわしがどちら寄りの立場か思い出したらばどうかね?
わしは、セレネアと、アンゼリカの祖父であり、二人の願いならばできるだけ叶えようとする立場の人間じゃぞ?」
……あ、とガラが呻く様な呟きを漏らした。
ユラは彼の愛弟子であるという立場から、きっとこちら側に立った行動をしてくれるものと考えていた。だが、冷静に考えてみればご隠居は孫娘二人の幸せを考える立場であり、ユラの全面的な味方をしてくれると限ったわけではなかったのである。
「じゃが、任せよ。もし、ユラの性別が発覚すれば事情を明かし、わしが持つ全ての権限を持って助けてやる。
……済まんな。ガラ。わしも申し訳ないとは思っているのだ。だが、セレネアのあの人見知りの激しさをどうにかせねばならぬと思っているのはこのわしも同様なのだ」
深々と頭を下げるご隠居にガラはもう責める言葉を吐けなくなった。
だが、弟の未来を左右する事態に何も言わずに終わるのは癪だったので、代わりに嫌がらせの言葉を吐く事にする。
「しかし、弟も男です、もしセレネア様に不埒な心を抱いたらどうするんです?」
そんな言葉にも全く動じず、ご隠居は答える。
「あれは優しい男だ。嫌がる娘に無理やり迫る事はあるまい。……むしろありえるとするなら両者合意の線じゃな。まあ、そっちは安心せい。ディアヌスは剣を抜いて激怒するかも知れんが、まあそこはわしが何とかするから、がはははははは」
その返答、笑い声の中でガラは数秒押し黙り、呟いた。
「……現皇帝と先代皇帝が仲違いし、相打つというのはいくつもの王朝を滅ぼした実績のある事態だったな」
「そうだね」
頷くジオ。
「……ディアヌス帝とご隠居が斬り合うシーンと言うのは心臓に悪いな」
「まったくだ」
「……男の身で有りながら国家滅亡の火種になるとは……。ユラの奴。立派な傾国の美女になったもんだ」
「それを本人の前で言ったら多分泣くから、言わないのが優しさと言う奴だぞ、友よ」
二人は仲良く水をあおった。