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第四話『四方八方破れかぶれ奔走』

 走り去り、見えなくなったその後ろ姿を見つめながら少女は溜息を吐いた。

 彼女がまともに話せる数少ない人の一人である祖父はいつも恩義を受けたならその人の名前を覚えておきなさいと言っていた。

 自分を助けてくれた人の名前ぐらい知っておきたかったが、あいにくとあの綺麗な女性は名も告げずに去ってしまった。もっと声が大きければ、もっと積極的に振舞えればあの女の人も応えてくれたかも知れないのに。

 内気な少女はそっと溜息を吐いた後、ばかばかしいまでに早いスキップ乙女走りで走り去った人の後姿を思って暗く沈んだ。

 と思ったら。

 

「……兄上も大した人だが、妹のユラ様も大したもんだなぁ……」

「兄のガラさんはあの若さで喪装騎士団員の大隊長、大したもんだと思っていたけど、妹さんも物凄い武芸を持っていたとはねぇ」

「いやあ、彩色兼備とはこのことだな。あ、あんた、あの人買った荷物忘れていってるよ、しょうがないねぇ」

「イサオミさんちって大通り右側の48番地だろ? うちのオマケも入れておくから持っていってよ!!」


 少女は自分を助けてくれた恩人の名前が分からなくて悲しんでいたが、周りの人たちの喧騒にそっと耳をすませばその悲しみは三秒で解決した。いくらなんでもあっさりすぎである。普通もうちょっとぐらい話を引くものだが、展開上仕方ないので大急ぎだ。

 ユラ=イサオミは少女には名前を名乗っていなかったが、あいにくと周りの市場の人たちには顔は盛大に割れているということをすっかり忘れていたのであった。本人は名前も名乗らず格好よく立ち去ったつもりだったのだが、周りの人たちは生憎と名前をむちゃくちゃ知っていた。

 いまいち格好良く決まらないのはこれがコメディだからだろうか、うむむ。

 少女は、盛大に発覚した自分の恩人の名前を心の中で反芻し、桜色の唇を指先で撫でてそっと舌の上に乗せてみた。


「……ユラ……様、ユラ……さま、ユラ……イサオミ……様……」


 響きを楽しむかのように、口中で舌を転がし、自分を助けてくれた麗人の名前を囁く。

 少しだけ胸の高鳴りを感じ、少女は小さく微笑んだ。


 ……百合小説っぽい匂いが出ちゃったかしら。作者、反省である。


 

 

 次の日。

 昨日忘れた買い物籠を届けてもらったら、大量のおまけを詰め込まれていて三倍近くの容量に膨れ上がっていた。

 ので、しばらく食事の材料に困らなくなっていた事をユラはのんきに喜びながら少し遅めの朝食を取っていた。兄のガラの出立を見届け、朝のうちにこまごまとした雑事を片付けていたら、少し日が昇っていて朝食の時間が少しずれ込んでしまっていた。

 しかし、昨日の事の余韻がまだ頭に残っているのか、うふうふ思い出し笑いしながら家事をする彼は、喜びで空腹を特に感じもしなかった。

 兄がなにやら痛々しいものを見ているような視線で自分を見ていたが、そんな些細な事は気にしない。

 本人にとっては幸せ一杯の笑顔、他人から見たら『すわ、心の闇が溢れだしたのか!!』と叫び戦慄するような笑みを浮かべてユラは朝食をはむはむと食している。

 

 そんな時、和やかな朝食の場に似合わぬ馬蹄の音が響いた。


「あれ?」


 馬が止まったのは自宅の玄関先、馬から飛び降りたらしい足音はあわただしい勢いで自宅の扉を開けて家の中を走ってくる。

 こんな風に帰ってくるのは一人しか居ない。扉を開けて中に入ってきたのは、やはり彼の兄であるガラ=イサオミだった。いつもの普段着ではない、喪装騎士団の正式の甲冑を身に着けた訓練時の装備のままで青い顔をしている。さすがにその様子にユラは目を剥いた。


「兄さん? どうしたのさ、騎士団の仕事は?」

「……いいか、よく聞けユラ!! 落ち着いてよく聞け!!」

「落ち着くのは兄さんのほうだろ? 何事よ?」


 ガラはテーブルの上にあった紅茶をがぶ飲みした後、自分の椅子に座り込み、世界の終わりみたいな表情で弟の顔を見た。

 同じく椅子に座りなおして自分のカップに紅茶を注ぐためにポットを傾けるユラ。


「……良いか、ユラ。お前に、女官として王宮に出仕するよう要請が出たんだ!!」


 熱く煮えた紅茶がカップに落ちず、狙いを外してユラの腕に直撃する。

 膨大な熱量による痛みの信号が脳髄に突き刺さっているはずだが、ユラは気付かない。

 それ以上の驚愕が、ユラの一切合財の思考能力を剥奪し、痛みすら忘れさせる。


「……あーーー? えー。……???????????」


 いまいち状況の飲み込めないユラは、ゆっくりと言語能力を復活させ、言葉の意味を解きほぐし、じっくりと時間をかけて理解する。


「は?」


 動揺が、あまりにも巨大な動揺が、この世の終わりに似た事態への恐怖に、ユラの脳髄は全力で理解を拒んだ。

 ガラが慌ててユラの腕に直撃する紅茶をどかして治療を始めるが、それでもユラは正気に戻らなかった。 

 ユラ=イサオミは、腕に響く火傷の痛みも忘れ、蒼い顔をしたまま呆然と椅子に腰掛けたままだった。立ち上がることすらおぼつかない。絶望的な未来への予感に腰が砕けて立ち上がることすら出来ないのであった。


「ユラ、おい、ユラ!!」


 ガラが呆然としたままの弟に声をかけた。

 反応はない。口から魂魄が漏れ出たようにユラは首を傾けたまま見えないものを見るかのように宙に虚ろな視線を彷徨わせている。



 主役のダメージがあんまり重傷すぎるので、しょうがないから、あそれ回想シーンスタートなのである。


 


 その日はガラ=イサオミに取って不気味な始まりを告げた。

 考えてみたら昨晩から尋常ではなかったのである。

 昨日ひさしぶりの休みをとって弟の誕生日を祝おうとケーキを買って、夕食の食材を買って帰宅してくる弟を待っていたのだが、帰ってきた弟はうふうふ笑いながら扉を開けて帰ってきた。

 心に何か重大な傷を受けたのかと思ったのだが、どうやらそういうわけではないらしい。

 どうしたのかと思っていたのだが、なぜか買い物籠を弟は市場に忘れてきたらしく、仕方ないので夕食はケーキで済ませた。甘いものは普通に好きだが、甘いものだけで胃袋を埋めるというのも辛いガラはとりあえず弟へ切れ味の良い包丁を一本プレゼントした。二十歳になったら男性に戻る記念としていい太刀を買ってやろうと今から地道に貯蓄していたりする。

 そんなプレゼントも、心をどこか遠いところに飛ばしているユラは「あ、ありがとー。えへうふおほあはー」とアヤシイ笑みを浮かべてうわの空で返事するだけなのでちょっとがっかりして枕を涙で濡らした事はおにいちゃんだけの秘密である。

 

 次の日、目を覚ましても弟はやっぱり魂を遠いところへ飛ばしたままだった。

 痛々しいものを見る目で弟を見たガラは、昨日の夕食に間に合わなかったおまけだらけの買い物かごの中身から適当に果物を選んでかじって出発した。


 

 いつもと違うことが起こったのは、彼が隊長を勤める大隊が朝の訓練を終了させて食堂に足を運ぼうとしたその時だった。


「やあ、ガラ」


 美弦のような響きの良い声がガラに向かって投げかけられる。

 足を止めて見てみればそこにいたのは一人の青年。ガラは片眉を吊り上げた。


「ジオ? ジオ=ジンツァーか。どうしたんだ?」


 ジオ=ジンツァー。ガラ=イサオミにとって付き合いの長い知人である。

 性格は明るく、人付き合いも良い。朗々とした美声は人の耳目を集めるに足るものであった。線の細い体に蟲惑的な微笑を浮かべたどこか妖しげな雰囲気を孕んだ青年。銀色の髪の毛に不健康と思うまで肌の白い美貌の虚弱児。イメージカラーはパープル。

 甘い毒花、という表現が似合いそうな彼は、その容姿とは裏腹に優れた文官である。大概の計算を暗算であっさりこなす計算能力に、優れた記憶力を持っている。

 物好きな蝶と戯れる妖花、そんな浮名を流す名の知れた色事師ではあるが、素人さんには決して手を出さないという主義と、遊びと割り切っている相手としか愛を語らないという主義、相手との関係を良好なままで別れるという火遊びの後始末の抜群の上手さで悪評は驚くほど少ない。こういったもてる男は嫉妬の的になりやすいのだがそういった処世術は妖怪並みに上手いのであった。


 そんな彼とガラは微妙な友情を維持していた。

 悪人ではない、むしろ節度ある色事師の彼とどうして明確な友情に発展しないのかというと、なぜかというならば、彼は『可愛いければ男でも女でもどっちでも良い』という主義の人だったからである。

 言っておくが、そっち系が好きなお姉さんたちを読者に引きずりこもうとする作者の黒い邪念の使徒ではない。

 たぶん。 




 ジオ=ジンツァーとガラ=イサオミのへんてこ友情の始まりは、ジオが「不味いな、本気で惚れてしまいそうなんだ」と真顔でガラに言ってきた時だった。

 そんな事を言われたガラは、とりあえず彼をボコボコにタコ殴りにした。そんな彼が沖に打ち上げられた魚のように瀕死の痙攣を繰り返しながら『……き、君じゃなくて……妹さんの……ほう……』という彼の血文字で書かれたダイイングメッセージでようやく彼の言葉の対象が自分でなく弟に対するものだと気づき。

 弟の不幸を嘆くよりも、自分がこいつに好かれなくて良かったと素直に胸をなでおろした。

 

 しかしまぁ、いつものことである。

 妹、……じゃなかった、弟に対してのセッティングを頼む彼を適当に処理していたガラは、しばらくした後ジオが思いのたけを打ち明けると自分に宣言する事を聞いた。その頃には彼が案外義理堅く、信用できる人間であると言う事を知ったガラは、ジオに誓約書に秘密を漏らさないことを誓わせて弟の真実を告げたのである。

 彼の反応は一言。


「で? なんだ、そんなことなのかい?」


 いっそ天晴れなまでの平静さだった。そこでようやく彼が『どっちでもOK』な人であることを知ったガラは自分の決断をいたく後悔している。

 世間一般では女性と認知されているユラが実は男性であったとしても、彼にとってはたいした問題ではなかった。

『彼はね、俺が始めて本気で愛を語り合いたいと思った人なんだよ』とすばらしく晴れ晴れしい微笑みで語る様を見て、ガラは『……こいつだけには話すんじゃなかった』とその時ぼやいた。


 ジオ=ジンツァー。

 弟のことに関して相談できる数少ない人間であり、得がたい親友といえる人間。

 しかし同時にユラの真実を知りながらなおも愛を諦めない危険人物でもある。弟を大事にしているガラはそういった観点からいまだに彼のことを『友人』ではなく、『変態』『危険人物』と位置付けているのであった。


 あと、余談だがユラに思いを打ち明けたらしいジオは、数日後ボコボコにタコ殴りにされて病院に搬送された。

 自分と弟、二回ボコボコにされても元気に回復しているんだから、実はあいつ生命力強いんじゃないかとガラは思っている。



 そんな彼が勤務時間中に騎士団の詰め所に来るのは珍しい事だった。公私はきっちりとつける男なので、考えられるのは仕事だと考える。


「どうしたんだ、こんな時間に。珍しいな」


 首を傾げながら訪ねるガラの言葉に、ジオは事の他真剣な表情で頷き返した。


「まったくだ。……今回は俺もちょっと困惑している。今の俺はメッセンジャーでね。……ガラ。アンゼリカ姫がお前をお呼びなんだ」

「は?」


 意外な名前にガラは目を丸くして答えた。 

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