エピローグ『ひとますのむすび』
たぶん、夜会としてはあまり良いものではなかっただろう。フェルシアは、だがまぁそれでもいいか、と呟いた。
突然に涙を零したセレネア姫の気絶騒動に会場は大騒ぎとなり、なんやかんやのうちで結局おひらきとなった。フェルシアは、部屋の一室で今は健やかな寝息を立てている乳兄弟の寝顔を見ている。
「泣かれるとは思っていなかったな……」
フェルシアは苦笑する。夜会は結局お流れとなり、自分とユラの婚約話も発表する前に終わってしまった。自分が同伴していた女性に対してあとあと根堀り葉堀り聞かれるだろうが、まあその程度の事はどうということはない。
今は、とにかく、セレネアの事が大事だった。ちなみに彼の親友ユラ=イサオミは隣の部屋にいる。セレネアが気絶した後、お付の女官、ササメに半ば誘拐じみた勢いで連れ込まれている。
『よぉくも姫様を泣かせたんべなぁ!! あにをした、イサオミぃぃぃ!!』
『ちょ、誤解だ!! 僕もそんなつもりは……!!』
とか未だに隣の部屋で聞こえているのでたぶんまだ死んでいないのだろう。時折鋼鉄と鋼鉄の噛み合う剣閃の轟音が聞こえるが聞こえないふりをする。
「う、ううん……」
「目を覚まされましたか? 姫様」
覚醒に伴う呟きにフェルシアはたずねる。まだ半分夢の国に残している意識のまま彼女は辺りを見回した。次いで自分が気絶したのだということを思い出して上半身を起こす。
「わ、私……、す、すみません、フェル!!」
自分が夜会をぶち壊しにしてしまった事に思い至ったのだろう。顔には狼狽の色が濃い。せっかく二人の婚約を祝福する為にきたというのに、ぶち壊しにしてしまったのだ。これでは祝福どころか疫病神じみている。
「姫様、どうかご自分を責めないでください」
「で、でも、でも、わたくし……」
再び慟哭の衝動が胸を突いてきたのだろうか、すでに瞳の端に涙の粒が溢れそうになっている。
「泣かないで下さい。私もユラも、あなたに泣かれるととても悲しいのです」
「……慰めは、やめてください。わたし、おかしいんです」
突然にセレネアの口を突いて出た言葉にフェルシアは思わず首を傾げる。確かに驚きはした。だが少なくとも彼女の行動を振り返っておかしさなどという単語が現れる余地はなかったように思える。気絶してしまったのも、慣れない衆人環視の中に晒されたのだ、無理はないだろう、なのになぜ。そんなフェルシアの困惑を知ってか知らずか、セレネアは、悲しそうな表情を見せながら呟く。
「……わたくし、お二人が婚約すると聞いて、とても苦しかったのです。なぜだかわかりませんでした。わたくし、胸を患った事もないのに、お二人が仲良くしてらっしゃるって聞いただけで無性に胸が苦しくて仕方がなくなるのです。……だからきっとお二人に会えば、この胸の苦しさも静まるんじゃないかと思いました。……でも会ったら、並んで立つ二人を見て、とても苦しくて仕方がなくなりました。気絶してしまうぐらいに。お二人のこと、喜んで差し上げなければならないのに……!!」
その叫び声で、フェルシアは彼女が心中に抱えていたものが何であるのかようやく理解した。彼女の叫び声が聞こえたのか、隣での壮絶な死闘に伴う剣戟の音も止んでいる。
「姫様、実は、姫様にお詫びしなければならないことがございます」
「お詫びだなんて……わたくしこそ、お二人の婚約発表の為の夜会をめちゃくちゃにしてしまって……」
申し訳なさそうにするセレネアにフェルシアは流石に苦笑する。言い難そうにしながらセレネアの耳元に囁くように告げた。
「実は、わたしとユラは愛し合っておりません、わたし達はお互いを良き友人とは思っていますが、良き伴侶とは考えていないのです」
驚きでセレネアの瞳が見開かれ、丸くなる。
「
ユラは、わたしが叔父貴の紹介してくる婚約者に対する理由になってくれた、とても気の良い友人なのですよ。……安心してください。わたしとユラは、姫様の考えてらっしゃったような恋人関係ではないのです」
「か、からかわないで、フェル!! え、わ、わたし、わたし恋人関係とかそんなの……!!」
顔を赤らめ手を振ってフェルシアの言葉を必死で否定する。その様が可笑しかったのか、フェルシアは小さく笑い声を上げながら言った。
「では、姫様、連想してください。わたしとユラが仲良く抱き合っている光景を」
きょとんとした表情の後に、セネレアは言われたとおり実に素直に想像した。
胸の奥でどこかが痛む。以前に幾度も感じたものだ。この胸の痛みに耐え切れなくて、初めて夜会に出席する気になったのだ。
「では、姫様。連想してください。わたしではなく、姫様がユラと仲良く抱き合っている光景を」
「………………………………………………………………」
セレネアは、自分の体温が理由もなく上昇するのを実感した。顔が火照っている事を自覚する。指先が喜びに震えていることを知る。心臓がどことなく落ち着きを無くす様を感じる。
何より、胸に溢れるそれは絶対に喜びと断言できるほどの浮遊感に満ちていた。あまりの恥ずかしさに身悶えながら彼女は自分の体に掛けられていたシーツに火照る顔を押し付け、浮かぶ表情を誰にも見られないようにした。自分の唇が今どんな風に微笑んでいるのか、どんな表情をしているのか、想像しただけで恥ずかしさで死ぬ。そう断言できるほどだった。
これは間違いない。フェルシアは断定する。微笑んで立ち上がった。
「姫様、目を覚ましましたか?」
外行きの多少硬い喋りで話すユラに、フェルシアは頷き、入れ替わるように部屋の外へ。なにやら意味深な表情を浮かべ、まるでいたずらを仕掛けた悪童のような笑みを浮かべてフェルシアはユラの肩に手を置いて言った。
「あとは頼む」
どういう事かとたずね返そうとしたユラの目の前でばたん、と扉が閉まった。
首を傾げながらもユラはセレネアが居るベッドのそばの椅子に腰掛けて、いまだシーツに顔を押し付けている彼女を覗き込んだ。見れば顔が赤い。すわ病か、そう思ったユラであったが、様子からしてなんか違うと判断する。
「ユラ様……どうしましょう」
「はい?」
顔が赤い。姫様の顔が赤いのでこれは自分よりもササメや医者の出る幕ではなかろうかと思う。しかしフェルシアは自分に任せるといっていた。そういった人の心の機微に関してはまだまだ未熟もんのユラはとりあえずセレネアの言葉に首をかしげながら柔らかな微笑を浮かべる。
セレネアは、ユラを潤んだ瞳で見た。その小さな紅唇が言葉を紡ぐ。
「どうしましょう、ユラ様。……わたくし、変態さんになってしまいました!!」
本物の変態兄妹を知っているユラとしてはその姫様の自虐極まる台詞に大いに反論したいところであった。例えどんな言葉であろうと受け取り、彼女の力になる。自分を本格的女装人生の深みに叩き込む原因となった人ではあるが、できるだけ力になってあげたいという心に嘘はなかった。彼女の心を悩ますものがあるなら全力で打破しよう、硬い決心を秘めて頷く。
「変態って、どうかなさったのですか? 姫様?」
ユラの言葉にセレネアは息を大きく吸って吐き、体温を下げるように胸元を緩め風通しを良くした。淑女にあるまじき、はしたない行為だったがそんな些細な作法を気にする余裕も彼女にはなかった。意を決したように言う。
「……好きです、大好きです、ユラ様」
ユラは自分の中で堅牢極まると信じていた決意の牙城が、まるでガラス細工の如く容易くたったの一撃で粉砕されるような幻聴を聞いた。姫君のその一言はそれほどの威力を秘めていた。兄のあの殺人ラブレター以上の破壊力によく吐血しなかったとこの後思い返す。あまりの衝撃だった。ぶっ倒れなかったことだけは掛け値なしに褒めても良い。
「……女性同士でこんな事いうのはおかしいと言う事は知っています。わたくし、変態さんになってしまいました。……でも、変態さんでもいいのです。わたしを助けてくださった時から、たぶんきっと好きでした。二十歳になったらお勤めをやめてご結婚なさる事は知っています。女同士だって事も知っています。……でも、お慕いすることだけは許してください……」
「あ、い、う、え……」
思考停止し五十音を頭から呟くユラ。何を自分が言われているのかはっきり理解できているのか、狼狽したように意味のまるでない声を漏らす。
「……お返事はいりません。迷惑な思いは承知しています。でも想うことだけは許して下さい」
いまだ反応出来ないユラを、困っているのだと勘違いしたセレネアは、赤い顔をさらに赤くして立ち上がり、ユラに視線を合わせず部屋から逃げるように駆け出していった。ユラはそれを追うことすら出来ない。
一人ぼっちの部屋でユラは、壁に頭をつける。建物の冷気が、姫君に勝るとも劣らないまでに紅潮した頭をかすかに冷やす。
「……ぼ、僕が……に? ちょ、ちょっと、ちょっと待ってよ……!!」
ユラは自らの狼狽を押さえ込むように頭を振った。
「姫様は僕の事を女だと思って好きになってたって……。そんな事言われたら、言われたら僕、どうすればいいんだ?!」
頭が熱い。顔が紅潮する。セレネアの告白で、もう意識せずには居られなくなりつつあった。彼女は同性だと思い込みながらも自分を好きになったと言った。世間的には認められない恋だと知ってもなお告白せずにはいられなかった。
だが、ユラは違う。
ユラは自分が男性であることを知っている。セレネアが女性であることを知っている。
向こうはかなわない恋と思っていても、自分は彼女の告白が『なんの問題もない恋愛感情である』と言う事を知っている。
「そ、そんなそんな事言われたら意識しちゃうじゃないか!!」
姫様の事は嫌いではなかった。むしろ好きな部類だと言って良い。だがそれはあくまで保護者被保護者の関係だ。
でも、彼女は自分の事を好いていると聞かされて、ユラの心は乱れに乱れた。
初めて告白された。好きだと言って貰えた。それは幼少の頃から友達を作れない立場の自分にとっては待ち望んでいたはずの言葉だった。だが、嬉しいはずなのに、どうしてここまで狼狽しきっているのだろう。
そこまで考えてユラは呟く。
「……そうか、……僕が、こんなに狼狽してるのも、ドキドキしているのも、みんな好きって事なのか……」
気がつけば、この上ないぐらいに心臓は高鳴っている。
ユラは、頭を壁に押し付けたまま考えた。
向こうは姫様。自分は一介の騎士の家の出の子。
向こうはお互いを同性と思っている。自分はお互いが異性であると知っている。
そして自分は二十歳まで女装を続けなければならない。
「……あーあ。……まったく」
障害が大きすぎる。ユラは胸元にごっそり穴が開いたような感覚を覚えて呟いた。
火照る顔を壁に押し付け、ユラは溜息を吐いた。
自分の想いを確かめるように。言葉にしてみて、はっきり形にするように。
ユラは溜息と共に、今の気持ちを吐き出した。
「……なんて、なんて難儀で面倒な初恋なんだ」
これにて完結です。
おつきあいいただきありがとうございました。




